●歌は、「我が門の榎の実もり食む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ」である。
●歌碑は、京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園 №21 にある。
●歌をみていこう。
◆吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 ゝゝ者雖来 君曽不来座
(作者未詳 巻十六 三八七二)
≪書き下し≫我(わ)が門(かど)の榎(え)の実(み)もり食(は)む百千鳥(ももちとり)千鳥(ちとり)は来(く)れど君ぞ来(き)まさぬ
(訳)我が家の門口の榎(えのき)の実を、もぐように食べつくす群鳥(むらどり)、群鳥はいっぱいやって来るけれど、肝心な君はいっこうにおいでにならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)もり食む:もいでついばむ意か。
(注)ももちどり 【百千鳥】名詞①数多くの鳥。いろいろな鳥。②ちどりの別名。▽①を「たくさんの(=百)千鳥(ちどり)」と解していう。③「稲負鳥(いなおほせどり)」「呼子鳥(よぶこどり)」とともに「古今伝授」の「三鳥」の一つ。うぐいすのことという。
巻十六は「有由縁幷雑歌」で、三八六〇~三八八四歌は、「国名」を題詞に掲げている。歌碑の歌に続く三八七三歌の左注は、「右歌二首」<右の歌二首>とある。三八七〇歌の左注は「右歌一首」、三八七一歌も同じ、三八七二、三八七三歌は、「右歌二首」、三八七四歌は「右歌一首」、三八七五歌も同じである。この歌群六首の前は、題詞「筑前國志賀白水郎歌十首」<筑前(つくしのみちのくち)の国の志賀(しか)の白水郎(あま)の歌十首>とあり、三八六〇~三八六九歌の歌群がある。三八七六歌の題詞は、「豊前國白水郎歌一首」<豊前国(とよのみちのくち)白水郎(あま)の歌一首>である。歌碑の歌を含む六首は、前十首の題詞に統轄される筑前の歌謡と推測される。
三八七三歌もみておこう。
◆吾門尓 千鳥數鳴 起余ゝゝ 我一夜妻 人尓所知名
(作者未詳 巻十六 三八七三)
≪書き下し≫我(わ)が門に千鳥(ちとり)しば鳴く起きよ起きよ我が一夜(ひとよ)夫(づま)人に知らゆな
(訳)我が家の門口で鳥がいっぱい鳴き立てている。さあ起きて起きて、私の一夜夫さん、人に知られないでね。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
「一夜妻」とあるが、内容から見ても「一夜夫」である。通い婚といいうが、男が夕に訪れ朝に帰るという、一夜一夜の積み重ねと考えるので、一夜限りの夫というより、時間という区切りでの通い婚の連続性のなかの「一夜ごとの夫」と解釈する方が自然であろう。
両歌とも千鳥に寄せて、前者は、鳥は騒ぐも、肝心な君はいっこうにおいでにならぬ、と嘆き、後者は、鳥が騒ぎ出した、早く起きて人に知られないように帰って、と動のあとの静を取り戻そうとするユーモラスな感じが歌われている。歌人たちが作った歌というより、巻十四の東歌ではないが、九州の、大宰府と違った、男女の営みをさりげなく、生活感あふれる素朴性と自然体から詠っている、歌謡性あふれる歌である。
地方性あふれる、庶民的な歌をも収録しているところに万葉集と言われる所以がはぐくまれていると言えよう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「古代の恋愛生活」万葉集の恋歌を読む 古橋信孝 著 (NHKブックス)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチは、レタス、トマトそして焼き豚である。小鹿田焼きの皿に井戸枠組みに並べた。まん中に野菜じゅーずのグラスを配した。デザートは、りんごのカットを十字状に組み、りんごを主体に組み立てた。赤と緑のブドウで加飾した。中心部は「赤色」主体にした。