万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その309)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(50)―

●歌は、「筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(50)(作者未詳)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(50)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母

                (作者未詳 巻十四 三三五〇)

     或本歌日 多良知祢能  又云 安麻多伎保思母

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくばね)の新桑繭(にひぐわはまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)しあやに着欲(きほ)しも

  或る本の歌には「たらちねの」といふ。 また「あまた着(き)欲しも」といふ。

 

(訳)筑波嶺一帯の、新桑で飼った繭の着物はあり、それはそれですばらしいけれど、やっぱり、あなたのお召物がむしょうに着たい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)あやに【奇に副詞:①なんとも不思議に。言い表しようがなく。②むやみに。ひどく。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

                           

 

 万葉集には「桑」を詠みこんだ歌は三首収録されている。ただし、植物としての「くわ」を詠んだのは二首(三三五〇、一三五七歌)である。もう一首(三〇八六歌)は「桑子」すなわち蚕を詠んでいるのである。

 

 両歌ともみておこう。

 

◆足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣尓 着常云物乎

                (作者未詳 巻七 一三五七)

 

≪書き下し≫たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願(ねが)へば衣(きぬ)に着るといふものを

 

(訳)母が生業(なりわい)として育てている桑の木でさえ、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 一三五七歌の「願(ねが)へば衣(きぬ)に」の表現には、高価でなかなか手にすることができない、の意が込められている。同様に三三五〇歌の「新桑繭(にひぐわはまよ)の衣(きぬ)」、桑の新芽で育てた蚕から採った高価な絹の衣服よりも「君が御衣(みけし)しあやに着欲(きほ)しも」と言っているのである。

 

 ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その209)」でみてきた山上憶良の歌、「富人(とみひと)の家の子どもの着る身なみ腐(くた)し捨つらむ絹綿(きぬわた)らはも」(巻五 九〇〇)、「荒栲(あらたへ)の布衣(ぬのきぬ)をだに着せかてにかくや嘆かむ為(せ)むすべを無み」(同九〇一)と比して衣の差が歴然としている。

 三三五〇歌は、巻十四「東歌」の巻頭五首の一首であり、部立てとしては「雑歌」(伝来途上で欠落したと思われる)に位置づけされる。相聞歌でなく雑歌という点から、新婚等での儀式の歌と考えられる。

 

 

 三〇八六歌もみておこう。

 

◆中ゝ二 人跡不在者 桑子尓毛 成益物乎 玉之緒許

                (作者未詳 巻十二 三〇八六)

 

≪書き下し≫なかなかに人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり

 

(訳)なまじっか人の身なんかではなくて、いっそのこと蚕にでもなりたい。玉の緒のはかない命をつなぐだけのありさまで。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)なかなかに 副詞:①なまじ。なまじっか。中途半端に。②いっそのこと。かえって。むしろ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くはこ【桑子】名詞:蚕の別名。[季語] 春。(学研)

(注)たまのを【玉の緒】名詞:①美しい宝玉を貫き通すひも。②少し。しばらく。短いことのたとえ。③命。 ※「玉」に「魂」をかけ、「魂」を肉体につなぎとめる緒の意からこの意味がうまれた。(学研)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉集東歌論」 加藤静雄 著 (桜楓社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」