万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その310,311)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(51、52)―

●歌は、「千葉の野の子手柏のほほまれどあやに愛しみ置きてたか来ぬ」である。

 

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万葉の森船岡山(51)(作者未詳)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(51)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆知波乃奴乃 古乃弖加之波能 保ゝ麻例等 阿夜尓加奈之美 於枳弖他加枳奴

               (作者未詳 巻二十 四三八七)

 

≪書き下し≫千葉(ちば)の野(ぬ)の子手柏(このてかしは)のほほまれどあやに愛(かな)しみ置きてたか来(き)ぬ

 

(訳)千葉の野の児手柏の若葉のように、まだ蕾(つぼみ)のままだが、やたらにかわいくてならない。そのままにしてはるばるとやって来た、おれは。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ほほまる【含まる】自動詞:つぼみのままでいる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たか-【高】接頭語:〔名詞や動詞などに付いて〕高い。大きい。立派な。「たか嶺(ね)」「たか殿」「たか知る」「たか敷く」(同上)

 

左注は、「右一首千葉郡大田部足人」<右の一首は千葉(ちば)の郡(こほり)の大田部足人(おほたべのたりひと)>である。

「防人歌」である。

 

 「カシワ」は、「炊ぐ葉(かしぐは)」であり、炊いだものを、すなわち調理した食べ物を盛るに適した木の葉の総称であった。

落葉樹のブナ科の「カシワ」とヒノキ科の「コノテカシワ」が代表。前者は、「柏餅」のカシワの葉、後者は、よく干物などをのせていることからイメージがつかめよう。

 四三八七歌は、「コノテカシワ」とあるが、まだ蕾のような若葉のようにということから、ブナ科のカシワを詠っていると思われる。ヒノキ科の「コノテカシワ」を明らかに詠った歌は、巻十六の三八三六歌である。題詞には、「佞人(ねいじん)を謗(そしる)歌一首」とあり、「奈良山の児手柏(このてかしは)の両面(ふたおも)にかにもかくにも佞人(ねいじん)が伴(とも)」(まるで奈良山にある児手柏<このてかしは>のように、表の顔と裏の顔とで、あっちにもこっちにもいい顔をして、いずれにしても始末の悪いおべっか使いの輩<やから>よ。)(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

 四三八七歌は、四三八四~四三九四歌の歌群の左注、「二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之」<二月の十六日、下総(しもつふさ)の国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)少目(せうさくわん)従七位下県(あがた)の犬養宿禰(いぬかひのすくね)浄人(きよひと)。進(たてまつる)歌の数二十二首。 ただし、拙劣(せつれつ)の歌は取り載せず>とあるうちの収録された一首である。

 

 万葉集巻二十には、天平勝宝七年(西暦755年)の防人交替の時の歌が八十四首、その前の歌九首と合わせて九三首が収録されている。他の巻にも若干あるのを合わせると防人の歌としては、約百首ある。

 防人の任期は三年で毎年三分の一が交替させられていたのである。交替時には、それぞれの国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)が、交替要員を連れて来て難波で中央の役人に引き渡すのである。

 大伴家持は、兵部少輔として、任にあたっていたので、防人の歌が渡ったのである。家持は、万葉集の編纂を行ったのであるから、拙劣歌は除かれ、家持の基準を満たした歌が万葉集に収録されたのである。

防人たちが奉った歌は一六六首あり、万葉集に収録されている歌は八四首であるから、八二首が「拙劣歌」として捨てられたのである。

 

「防人」は「さきもり」と読んでいるが、防ぐ人であり、「さきもり」とは読めない。意味でよませているのである。元々は「み崎守り」のことであった。

 

 

―その311―

●歌は、「水伝ふ礒の浦廻の岩つつじ茂く咲く道をまたも見むかも」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(52)(日並皇子尊舎人)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(52)である。

 

●この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その121)」でふれているので、ここでは、歌のみ掲載する。

 

◆水傳 磯乃浦廻乃 石上乍自 木丘開道乎 又将見鴨

                 (草壁皇子の宮の舎人 巻二 一八五)

 

≪書き出し≫水伝ふ磯(いそ)の浦(うら)みの岩つつじ茂く咲く道をまたも見むかも

 

(訳)水に沿っている石組みの辺の岩つつじ、そのいっぱい咲いている道を再び見ることがあろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 一七一~一九三歌の歌群の題詞は、「皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首」<皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人等(とねりら)、慟傷(かな)しびて作る歌二三首>とある。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一~四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」