万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その406)―滋賀県米原市上丹生 いぼとり公園―

●歌は、「ま金吹く丹生のま朱の色に出て言はなくのみぞ我が恋ふらくは」である。

 

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米原市上丹生 いぼとり公園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、滋賀県米原市上丹生 いぼとり公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆麻可祢布久 尓布能麻曽保乃 伊呂尓▼弖 伊波奈久能未曽 安我古布良く波

              (作者未詳 巻十四 三五六〇)

  • ▼は、「亻(にんべん)」+「弖」=「で」

 

≪書き下し≫ま金(かね)吹(ふ)く丹生(にふ)のま朱(そほ)の色に出(で)て言はなくのみぞ我(あ)が恋ふらくは             

 

(訳)金(くがね)を吹き分ける丹生(にう)、その地で採れる真っ赤な土のように、おもて、そう、あらわに口に出して言わないだけのこと。私が恋い焦がれているこの思いは。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まかねふく【真金吹く】分類枕詞:ふいごで吹いて鉄を製することから、鉄の産地「吉備(きび)」、鉄をふくむ赤土の意味から地名「丹生(にふ)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まかね【真金】名詞:鉄。「まがね」とも。 ※「ま」は接頭語。(学研)

(注)まそほ【真赭・真朱】名詞:①(顔料や水銀などの原料の)赤い土。②赤い色。特に、すすきの穂の赤みを帯びた色にいう。「ますほ」とも。 ※「ま」は接頭語。①は上代語。(学研)

(注)丹生(にゆう)(=地名)

丹生(にゆう)に関しては、米原市公式ウエブサイトに、「下丹生古墳」について、「市内で唯一、横穴式石室内が見学できる古墳で、集落の上手東側の小高い丘の上に立地する。直径約14,5メートル、高さ約3,5メートルを測る6世紀後半の円墳で、石灰岩の巨岩を組み合わせた石室は全長7,5メートルと長大である。出土品は伝わってないが、息長丹生真人一族の墳墓と考えられている。」と書かれている。

 

いぼとり公園は、JR醒ヶ井駅から県道17号線を丹生川に沿う形で、南へ約5分の所にある。途中、息長丹生真人一族の墳墓と言われる「下丹生古墳」がある。この丹生川は、天野川に注ぎ、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その405)」で紹介した朝妻湊跡付近でびわ湖に流れ込んでいる。天野川が息長川と呼ばれたのもこのような背景があるからであろう。

 

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いぼとり園の聖水(但し飲料不可)

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いぼとり公園全景(左隅にい万葉歌碑が見える)

 ここまで書いて、ふと、「丹生」という地名では整合性があるが、なぜ、巻十四の歌の歌碑が滋賀県にあるのかが疑問に思えてきた。

製鉄と関係があるのかを調べてみたら、確かに「近江」は鉄の生産が盛んであったと記されているが、今の高島や瀬田あたりが中心で、米原近辺についての記載は見つからなかった。

現在の手持ち文献等では限界であるので、後日の課題としたい。

 

参考までに、製鉄に関する次のような資料がある。

近江国は、資源や技術を背景として、全国でも早い段階の古墳時代後期に製鉄を開始したことで知られています。さらに7世紀には旧栗太郡の瀬田丘陵で大規模な生産遺跡群が形成され、宮や寺院、官衙の発展を支えます。栗東市内では製鉄を行っていた遺跡は見つかっていませんが、野洲川左岸地域を中心とした古墳時代の集落では、鉄ぞく(金偏に族)をはじめとする鉄製品を多く所有するムラとして知られ、蜂屋遺跡や高野遺跡など鍛冶をしている痕跡がみられることなど、鉄を加工する技術をもっていました。また栗東市新開古墳では鉄てい(金偏に廷)という鉄素材を副葬するなど、鉄に関連の深い豪族がいたことがわかっています。」(栗東歴史民俗博物館 特集展示「技術者の系譜 ~古代近江の金属生産~」)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「米原市公式ウエブサイト」

★「栗東歴史民俗博物館 特集展示『技術者の系譜 ~古代近江の金属生産~』」