万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その451)―東大阪市足代 近鉄布施駅前―万葉集 巻七 一三一六 

●歌は、「河内女の手染の糸を繰り返し片糸にあれど絶えむと思へや」である。

 

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東大阪市足代 近鉄布施駅前万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、東大阪市足代 近鉄布施駅前にある。駅南側府道172号線に接したところの郵便ポストの近くにある。ここも積み木型である。

 

●歌をみていこう。

 

◆河内女之 手染之絲乎 絡反 片絲尓雖有 将絶跡念也

               (作者未詳 巻七 一三一六)

 

≪書き下し≫河内女(かふちめ)の手染の糸を繰(く)り返し片糸(かたいと)にあれど絶えむと思へや

 

(訳)河内の国の女たちがその手で染めた糸を、何度も繰った、そんな糸なのだから、片糸であっても、切れてしまうとは思えない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)河内 分類地名 :旧国名畿内(きない)五か国の一つ。今の大阪府東部。河州(かしゆう)。古くは「かふち」であったらしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くりかへす【繰り返す】他動詞:何度も糸をたぐる。何度も同じことをする。(学研)➡絶えず思っている様

(注)かたいと【片糸】名詞:より合わせていない糸。 ※縫い合わせる糸は、より合わせた糸を使う。(学研)➡片思いの譬え

 

題詞は、「寄絲」<糸に寄す>である。

 

布施の駅前に「河内女之・・・」の歌があることに、ふと疑問を抱いたが、「河内の国」を調べることによって合点がいったのである。

畿内(きない)五か国や河内については、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典に詳しく載っている。みていこう。

「中国,朝鮮,日本で,王城,皇居などのある首都周辺の特別区域の名。日本では『内つくに』ともいう。山城,大和,河内,和泉,摂津の5ヵ国の総称。中国の畿内制を取入れ,8世紀初めの『大宝律令』では,大倭,河内,摂津,山背の4ヵ国を畿内とし,特別の行政区域とした。畿内制成立の時期については諸説がある。畿内の文字の初見は『日本書紀崇神天皇 10年 10月の条であるが,制度としての畿内制に関する記事の初見は,大化改新の詔の第2条である。それには区域を,東は伊賀国 (三重県) の横河,西は播磨国 (兵庫県) の櫛淵,南は紀伊国 (和歌山県) 兄山,北は近江国 (滋賀県) 狭々波合坂山 (ささなみのおうさかやま) 以内としているが,その後国を単位として区域を構成するようになり,浄御原令制下ではすでに四畿内が成立している。その行政単位である国には若干の変動があり,まず和泉,芳野2監 (げん) の廃置があったが,天平宝字1 (757) 年和泉国を復し,「五畿内」が成立,七道と合せ「五畿七道」として全国をさすようになった。畿内に対する特典として,調の半分と庸のすべてが免除された。その他種々の面において,畿内は中央先進地域としての処遇を受け,長く政治,経済,文化の中心として栄え,明治以後は京都,奈良,大阪,兵庫の各府県に編入された。」

 

「河内の国」は、大阪府の鉄道の駅名からもイメージができる。

大阪府の駅名を調べてみると、「河内」を冠するのは次の7駅である。

 河内天美:近鉄南大阪線

 河内磐船:JR学研都市線

 河内堅上:JR大和路線

 河内国分:近鉄大阪線

 河内長野:南海高野線近鉄長野線

 河内松原:近鉄南大阪線

 河内森:京阪交野線

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」

★「ウィッキペディア 大阪府の鉄道駅」