●歌は、「河内女の手染の糸を繰り返し片糸にあれど絶えむと思へや」である。
●歌碑は、東大阪市足代 近鉄布施駅前にある。駅南側府道172号線に接したところの郵便ポストの近くにある。ここも積み木型である。
●歌をみていこう。
◆河内女之 手染之絲乎 絡反 片絲尓雖有 将絶跡念也
(作者未詳 巻七 一三一六)
≪書き下し≫河内女(かふちめ)の手染の糸を繰(く)り返し片糸(かたいと)にあれど絶えむと思へや
(訳)河内の国の女たちがその手で染めた糸を、何度も繰った、そんな糸なのだから、片糸であっても、切れてしまうとは思えない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)河内 分類地名 :旧国名。畿内(きない)五か国の一つ。今の大阪府東部。河州(かしゆう)。古くは「かふち」であったらしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)くりかへす【繰り返す】他動詞:何度も糸をたぐる。何度も同じことをする。(学研)➡絶えず思っている様
(注)かたいと【片糸】名詞:より合わせていない糸。 ※縫い合わせる糸は、より合わせた糸を使う。(学研)➡片思いの譬え
題詞は、「寄絲」<糸に寄す>である。
布施の駅前に「河内女之・・・」の歌があることに、ふと疑問を抱いたが、「河内の国」を調べることによって合点がいったのである。
畿内(きない)五か国や河内については、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典に詳しく載っている。みていこう。
「中国,朝鮮,日本で,王城,皇居などのある首都周辺の特別区域の名。日本では『内つくに』ともいう。山城,大和,河内,和泉,摂津の5ヵ国の総称。中国の畿内制を取入れ,8世紀初めの『大宝律令』では,大倭,河内,摂津,山背の4ヵ国を畿内とし,特別の行政区域とした。畿内制成立の時期については諸説がある。畿内の文字の初見は『日本書紀』崇神天皇 10年 10月の条であるが,制度としての畿内制に関する記事の初見は,大化改新の詔の第2条である。それには区域を,東は伊賀国 (三重県) の横河,西は播磨国 (兵庫県) の櫛淵,南は紀伊国 (和歌山県) 兄山,北は近江国 (滋賀県) 狭々波合坂山 (ささなみのおうさかやま) 以内としているが,その後国を単位として区域を構成するようになり,浄御原令制下ではすでに四畿内が成立している。その行政単位である国には若干の変動があり,まず和泉,芳野2監 (げん) の廃置があったが,天平宝字1 (757) 年和泉国を復し,「五畿内」が成立,七道と合せ「五畿七道」として全国をさすようになった。畿内に対する特典として,調の半分と庸のすべてが免除された。その他種々の面において,畿内は中央先進地域としての処遇を受け,長く政治,経済,文化の中心として栄え,明治以後は京都,奈良,大阪,兵庫の各府県に編入された。」
「河内の国」は、大阪府の鉄道の駅名からもイメージができる。
大阪府の駅名を調べてみると、「河内」を冠するのは次の7駅である。
河内天美:近鉄南大阪線
河内磐船:JR学研都市線
河内堅上:JR大和路線
河内松原:近鉄南大阪線
河内森:京阪交野線
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」
★「ウィッキペディア 大阪府の鉄道駅」