万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その454)―柏原市高井田 JR高井田駅前―万葉集 巻九 一七五一 

●歌は、「島山をい往き廻る河副の丘邊の道ゆ昨日こそ吾が越え來しか一夜のみ宿たりしからに峰の上の櫻の花は瀧の瀬ゆ落ちて流る君が見むその日までには山下の風な吹きそと打越えて名に負へる社に風祭せな」である。

 

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柏原市高井田 JR高井田駅前万葉歌碑(高橋虫麻呂

●歌碑は、柏原市高井田 JR高井田駅前にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆嶋山乎 射徃廻流 河副乃 丘邊道従 昨日己曽 吾超来壮鹿 一夜耳 宿有之柄二 峯上之 櫻花者 瀧之瀬従 落堕而流 君之将見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社尓 風祭為奈

               (高橋虫麻呂 巻九 一七五一)

 

≪書き下し≫島山(しまやま)を い行き廻(めぐ)れる 川沿(かはそ)ひの 岡辺(をかべ)の道ゆ 昨日(きのふ)こそ 我(わ)が越え来(こ)しか 一夜(ひとよ)のみ 寝たりしからに 峰(を)の上(うへ)の 桜の花は 滝の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山おろしの 風な吹きそと 打ち越えて 名(な)に負(お)へる社(もり)に 風祭(かざまつり)せな

 

(訳)島山を行き巡って流れる川沿いの、岡辺の道を通って私が越えて来たのはほんの昨日のことであったが、たった一晩旅宿(たびやど)りしただけなのに、尾根の桜の花は滝の早瀬をひらひら散っては流れている。我が君が帰り道のご覧になるその日までは、山おろしの風など吹かせ給うなと、馬打ちながらせっせと越えて行って、その名も高い風の神、竜田の社に風祭りをしよう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しまやま 【島山】名詞:①島の中の山。また、川・湖・海などに臨む地の

    島のように見える山。②庭の池の中に作った山。築山(つきやま)。 (weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)こそ・・・しか:逆説条件

(注)君:ここでは 藤原宇合をさす。

(注)名に負へる社:風の神として聞こえる竜田の社、の意

 

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その187)」で紹介しているが、歌碑は、「名に負へる社」龍田大社にあったのである。

 

 題詞は、「難波經宿明日還来之時歌一首并短歌」<難波(なには)に経宿(やど)りて明日(あくるひ)の還(かへ)り来(く)る時の歌一首幷せて短歌>である。

 

 反歌の方もみていこう。

 

◆射行相乃 坂之踏本尓 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得

              (高橋虫麻呂 巻九 一七五二)

 

≪書き下し≫い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも

 

(訳)国境の聖なる行き逢いの坂の麓に、枝もたわわに咲く桜の花、この美しい花を見せてやれる子でもいたらよいのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ををる 【撓る】(たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる。

(注)もがも 《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。

 

長歌では、藤原宇合のことを思って、「君之将見 其日左右庭」と詠い、短歌では、「令見兒毛欲得」と自分の立場で詠っているのである。

ここで改めて、「反歌」の意味をおさえてみよう。「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」には、「長歌のあとに添える歌。歌体は短歌形式、まれに旋頭歌(せどうか)。一首ないし数首で、長歌の意を補足または要約したもの。万葉集に多く見られる。かえしうた。」と書かれている。

 一七五一歌で、藤原宇合のことを思って詠い、反歌で、ちょっぴり私事の立場で本音を添える。微笑ましい感じがする。この歌を受け入れる当時の万葉びとのおおらかさを垣間見た思いである。万葉集の幅を思い知らされた思いである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」