●歌は、「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」である。
●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(26)にある。
●歌をみていこう。
◆巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
(坂門人足 巻一 五四)
≪書き下し≫巨勢山(こせやま)のつらつら椿つらつらに見つつ偲(しの)はな巨勢の春野を
(訳)巨勢山のつらつら椿、この椿の木をつらつら見ながら偲ぼうではないか。椿花咲く巨勢の春野の、そのありさまを。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)つらつら(に・と)副詞:つくづく。よくよく。▽念を入れて見たり考えたりするようす。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
「ツバキはヤブツバキの類であろうが、『つらつら椿』については定まっていない。花が連なるようにたくさん咲いているとするのが一般であるが、花ではなく葉がつやつやとしているからだともいう。
大宝(たいほう)元年(七〇一)秋九月、持統上皇の紀伊国行幸のお供をした坂門人足(さかとのひとたり)は、藤原京を出て最初の峠越えである巨勢にさしかかった時、その地が、
『河上の つらつら椿 つらつらに 見れど飽かず 巨勢の春野は (巻一 五六)』
と歌った春日蔵首老(かすがのくらびとのおゆ)のつらつら椿で名高い所であることを思い出して、秋の景色をの上に春の景色を重ねて歌った。
どのような節かは分からないが、当時、歌は確実に歌われていた。この歌でも第一句と第五句に巨勢(こせ)を繰り返し、第二句、第三句、第四句で、いずれもツの音を二度も繰り返して、実に流暢なリズムがある、音という点では、椿にも二重の意味があり、椿(ツバキ)は妻来(つまき)の意味をも持っている。椿は家の庭木としてはあまり好まれないが、万葉の椿も概ね山野に自生する椿が歌われ、一木一草を愛でるよりは、全体として咲き誇る椿が好まれている。その意味でつらつら椿は、連なって咲く多くの花の意であろうか。」 (万葉の小径 つばきの歌碑)
この歌の題詞は、「大寳元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國詩歌」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の秋の九月に、太上天皇(おほきすめらみこと:持統天皇)、紀伊(き)の国に幸(いでま)す時の歌>である。
(注)大宝元年:701年
持統天皇が紀伊行幸の時、大和の巨勢路を通り真土山(まつちやま)を越えていかれた。今の奈良県御所市古瀬あたりである。巨勢山は椿の多い所である。この辺の春の景色を見たいものだと歌ったのである。
「万葉の小径 つばきの歌碑」の説明にあった、春日蔵首老(かすがのくらびとのおゆ)の歌もみてみよう。
◆河上乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 雖見安可受 巨勢能春野者
(春日蔵首老 巻一 五六)
≪書き下し≫川の上(うへ)のつらつら椿(つばき)つらつらに見れども飽(あ)かず巨勢(こせ)の春野は
(訳)川のほとりに咲くつらつら椿よ、つらつらに見ても見ても見飽きはしない。椿花咲くこの巨勢の春野は。(同上)
奈良県HP「はじめての万葉集 Vol.8」に、春日蔵首老の歌が解説されている。
「ツバキは『万葉集』に九首みられますが、『椿』だけではなく『海石榴』『都婆伎』『都婆吉』とも記されています。『椿』と表記する植物は中国にもありますが、実はまったくの別物です。
『海石榴』をツバキとよむのは不思議に思われるかもしれませんが、『万葉集』に『八峯乃海石榴(やつをのつばき)』(巻十九の四一五二)と『夜都乎乃都婆吉(やつをのつばき)』(巻二十の四四八一)とあり、どちらも八峯(やつを)のツバキを指すことから両者の比較によって『海石榴」がツバキであることがわかります。
ツバキは日本原産の植物です。油がとれることは良く知られています。黒くツルツルとした果実が熟すと三つ四つに裂け、中から褐色の種子がでてきます。この種子から油を搾り出すことができるのです。
かつて遣唐使はこの油をもって渡海しました。中国において海という字がつく植物は海外からもたらされたものを指すことが多いため、もしかすると『海石榴』という表記は中国でつくられたのかもしれませんね。
歌にある『つらつら椿』は、『万葉集』本文では『列〻椿』となっています。葉と葉の間からツバキの花が連なったように咲いているのが見えるようすをいっているのでしょう。まるでツバキの連なりを楽しむような、とてもリズムの良い一首です。」
「つらつら椿」は椿が連なって茂っているとか、群れ咲く意味とされているが、椿は野生では群落を成すことが多いので、このような表現となったと思われる。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉の小径 つばきの歌碑」