●歌は、「味酒を三輪の祝が斎ふ杉手触れし罪か君に逢ひかたき」である
●歌碑は、一宮市萩原町 萬葉公園(21)にある。
●歌をみていこう。
◆味酒呼 三輪之祝我 忌杉 手觸之罪歟 君二遇難寸
(丹波大女娘子 巻四 七一二)
≪書き下し≫味酒(うまさけ)を三輪の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉手(て)触(ふ)れし罪か君に逢ひかたき
(訳)三輪の神主(かんぬし)があがめ祭る杉、その神木の杉に手を触れた祟(たた)りでしょうか。あなたになかなか逢えないのは(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)うまさけ【味酒・旨酒】分類枕詞:味のよい上等な酒を「神酒(みわ)(=神にささげる酒)」にすることから、「神酒(みわ)」と同音の地名「三輪(みわ)」に、また、「三輪山」のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにかかる。 ※ 参考枕詞としては「うまさけの」「うまさけを」の形でも用いる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)はふり【祝】名詞:神に奉仕することを職とする者。特に、神主(かんぬし)や禰宜(ねぎ)と区別する場合は、それらの下位にあって神事の実務に当たる職をさすことが多い。祝(はふ)り子。「はうり」「はぶり」とも。(学研)
(注)か 係助詞《接続》種々の語に付く。「か」が文末に用いられる場合、活用語には連体形(上代には已然形にも)に付く。(一)文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。)①〔疑問〕…か。②〔反語〕…か、いや…ではない。(二)文末にある場合。①〔疑問〕…か。②〔反語〕…か、いや…ではない。▽多く「かは」「かも」「ものか」の形で。(学研)
(注)手触れし罪か:手を触れたはずはないのにの気持ちがこもる。
題詞は、「丹波大女娘子歌三首」<丹波大女娘子(たにはのおほめをとめ)が歌三首>である。他の二首もみてみよう。
◆鴨鳥之 遊此池尓 木葉落而 浮心 吾不念國
(丹波大女娘子 巻四 七一一)
≪書き下し≫鴨鳥(かもとり)の遊ぶこの池に木(こ)の葉落ちて浮きたる心我(あ)が思(おも)はなくに
(訳)鴨の鳥が浮かんで遊んでいるこの池に木の葉が落ちて浮いている。そんな浮わついた心で私があなたを思っているわけではないのに。(同上)
(注)上三句は序。「浮きたる」を起こす。
◆垣穂成 人辞聞而 吾背子之 情多由多比 不合頃者
(丹波大女娘子 巻四 七一三)
≪書き下し≫垣(かき) ほなす人言(ひとごと)聞きて我(わ)が背子が心たゆたひ逢はぬこのころ
(訳)垣根のように二人の仲を隔てる世間の中傷を耳にして、あなたの心がぐらついたのか、この頃逢ってくださらない。
(注)かきほ【垣穂】なす (「人」「人言」などを修飾する枕詞的な慣用句)① 物をへだてる垣のように、互いの仲をへだてる。また、悪くいう。② まわりをとり囲む垣のように多い。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)ひとごと【人言】名詞:他人の言う言葉。世間のうわさ。(学研)
(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】自動詞:①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(学研)
伊藤 博氏は、その著「萬葉集相聞の世界」(塙書房)のなかで、男女の仲に関与してくる「外部的障害の代表物」として、七一三歌にある「人言」や「人目」をあげておられる。 万葉集ではおよそ百八十首収録されている。
大伴坂上郎女の歌をみてみよう。
◆汝乎与吾乎 人曽離奈流 乞吾君 人之中言 聞起名湯目
(大伴坂上郎女 巻四 六六〇)
≪書き下し≫汝(な)をと我(あ)を人ぞ離(さ)くなるいで我(あ)が君人の中言(なかごと)聞きこすなゆめ
(訳)あなたと私との仲を、他人(ひと)が引き裂こうとしているようです。さああなた様、そんな人の中傷に断じて耳をお貸し下さいますな。(同上)
(注)いで 接続詞:さて。そもそも。 ▽あらたに話題をおこすときに用いる。(学研)
(注)中言(なかごと)=中口(なかぐち):両者の間に入って、どちらに対しても相手の悪口を言うこと。中傷。なかごと。(goo辞書)
(注)ききこす【聞きこす】分類連語:聞いてほしい。聞いてくれ。 ⇒なりたち 動詞「きく」の連用形+(主に上代に使われた)希望の助動詞「こす」(学研)
(注)ゆめ【努・勤】副詞:①〔下に禁止・命令表現を伴って〕決して。必ず。②〔下に打消の語を伴って〕まったく。少しも。(学研)
概して、女性は、丹波大女娘子のように、人言により男の訪れが遠ざかることを嘆かなけらばならなかったのである。大伴坂上郎女のような性格であれば、男に対し、他人の中傷など気にするなと、叱咤激励できるのであるが。
歌碑の丹波大女娘子の七一二歌では、手を触れたはずはないのにの気持ちがありつつも、手を触れてしまったかのように、自分を追い込んでいる女性の弱さといったことが感じられる。
これとは逆に、大伴安麻呂(旅人の父)の場合は、祟りがあるという神木に手ぐらい触れるが、ただ人妻というだけで手出しもできないと詠っている。
◆神樹尓毛 手者觸云乎 打細丹 人妻跡云者 不觸物可聞
(大伴安麻呂 巻四 五一七)
≪書き下し≫神木(かむき)にも手は触(ふ)るといふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも
(訳)懼(おそ)ろしい神木にさえ手ぐらい触れることもあるというのに、ただもう、人妻というだけでまるっきり手出しもできないものなのかなあ。(同上)
(注)しんぼく【神木】名詞:神社の境内にあり、神霊が宿るとして祭られる樹木。(学研)
(注)うつたへに 副詞:〔下に打消・反語の表現を伴って〕ことさら。まったく。②〔肯定の表現を下に伴って〕きっと。(学研)ここでは①の意。
(注)かも 終助詞:《接続》体言や活用語の連体形などに付く。〔詠嘆を含んだ反語〕…だろうか、いや…ではない。 ▽形式名詞「もの」に付いた「ものかも」、助動詞「む」の已然形「め」に付いた「めかも」の形で。(学研)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(900)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」