●歌は、「岩倉の小野ゆ秋津に立ちわたる雲にしもあれや時をし待たむ」である。
●歌碑は、田辺市秋津町 宝滿禅寺にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「寄雲」<雲に寄す>である。
◆石倉之 小野従秋津尓 發渡 雲西裳在哉 時乎思将待
(作者未詳 巻七 一三六八)
≪書き下し≫岩倉(いはくら)の小野(をの)ゆ秋津(あきづ)に立ちわたる雲にしもあれや時をし待たむ
(訳)岩倉の小野から秋津にかけて立ちわたる雲ででもあるというのですか、そんなはずはないのに、あなたは時期が来るのを待つのですか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ゆ 格助詞:《接続》体言、活用語の連体形に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段〕…で。…によって。④〔比較の基準〕…より。 ⇒参考 上代の歌語。類義語に「ゆり」「よ」「より」があったが、中古に入ると「より」に統一された。(学研)
(注)しも 副助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞、助詞などに付く。①〔多くの事柄の中から特にその事柄を強調する〕…にかぎって。②〔強調〕よりによって。折も折。ちょうど。▽多く「しもあれ」の形で。③〔逆接的な感じを添える〕…にもかかわらず。かえって。▽活用語の連体形に付く。④〔部分否定〕必ずしも…(でない)。▽下に打消の語を伴う。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意
宝満禅寺は、和歌山県田辺市秋津町にある。山号は「巖倉山」である。
恐らく岩倉の小野に住んでいる男が、女の住んでいる秋津までなかなか通ってくれないことを立ちわたる雲に喩えてなじっている歌であろう。
雲の発生状況を踏まえめったにかからない雲に譬え「一定の時に立ち渡る雲でもないのに、時が来るのを待つのですか」とするどく突っ込んでいる歌である。
海岸から離れ、山手に。本堂の下が駐車場になっている。
本堂の脇から境内に。山の中にこのような立派なお寺があることにまず驚かされる。
歌碑探しである。それなりの大きさをイメージしながら、ザ~っと見わたせどそれらしきものが見当たらない。境内から少し上ったところに墓地がある。
墓地の中途くらいまで上ってみたが見つからない。
墓地に上がる石段の側に説明案内板がある。近づいてみてみると「厳倉山新四国八十八箇所道標」と書かれている。ちなみに、この道標は、文政十一年に建てられたもので、公共工事のため撤去されることになったのでここに移転したものであると書かれている。
「古くから下万呂小泉の熊野古道に面して建てられ多くの旅人を巖倉山八十八箇所に案内してきた。」とある。
ネット検索では、「巖倉山」は見つからなかったが、お寺の山号やこの道標から、巖倉山はこの近くにあったに違いない。
案内板を読み終え、その横の碑に目をやると何と探していた万葉歌碑ではないか。
比較的小振りの石碑である。周りの墓標などに同化してしまっている。
歌の内容は、詰問調であるが、女性である作者に慮り小振りの歌碑にしたのかもしれない。
見つけることができてほっと胸をなでおろす。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」