万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2486)―

●歌は、「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝にける」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(山部赤人) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみてみよう。

 

題詞は、「山部宿祢赤人歌四首」<山部宿禰赤人が歌四首>である。

(注)歌四首:春の野遊びの宴歌。一組。初め二首は春への賞讃で男性の立場、後二首は春への嘆息で女性の立場。(伊藤脚注)

 

◆春野尓 須美礼採尓等 來師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来

      (山部赤人 巻八 一四二四)

 

≪書き下し≫春の野にすみれ摘(つ)みにと来(こ)しわれぞ野をなつかしみ一夜寝(ね)にける

 

(訳)春の野に、すみれを摘もうとやってきた私は、その野の美しさに心引かれて、つい一夜を明かしてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)野をなつかしみ:野原の美しさに心引かれて。(伊藤脚注)

(注の注)なつかし【懐かし】形容詞:①心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。②思い出に心引かれる。昔が思い出されて慕わしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)                          

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その417)」で、山部神社の歌碑とともに四首を紹介している。

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 上記写真の「山部赤人伝説」説明案内板によると、「当地は万葉歌人山部赤人の終焉の地と伝えられ、赤人伝説にまつわる史跡が多く残されています。

 ◇赤人廟碑・慶応元年(1865年)に高島郡歌人渡忠秋の勧めにより碑文が刻まれたもので、赤人寺は山部赤人の創建で、小松社(山部神社)が赤人の廟にあたり、近くには赤人墓や赤人桜があった事など赤人と当地の関係が詳しく記されています。・・・」と書かれている。

 さらに、万葉歌碑は、同案内板に、「明治十二年建立」と書かれている。



 

 

 奈良県宇陀市榛原山辺にも「山辺赤人の墓」と伝えられる墓があり、その横にも万葉歌碑(三九一五歌)が立てられている。(山部赤人であるが、現地の案内板の記載通り「山辺」としてあります。)

 次のように書かれている。

山辺赤人の墓

 『万葉集』に数多くの秀歌を遺した歌人山辺赤人の墓地と伝承されている。ここにいつの頃にか建てられた五輪の石塔、いかにも古そうに風化している。伝承そのままか真実であるかは詳らかではないが、ここ大和富士の南斜面に人家の散在する文字通りの山辺の村に、山辺赤人が祀られていると、古くから村人は信じて疑わない。」

 

 歌もみてみよう。

 

 題詞は、「山部宿祢明人詠春鸎歌一首」<山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)春鸎(しゅんあう)を詠む歌一首>である。

(注)春鸎:春になって人里に姿を見せた鴬

 

◆安之比奇能 山谷古延氐 野豆加佐尓 今者鳴良武 宇具日須乃許恵

               (山部赤人 巻十七 三九一五)

 

≪書き下し≫あしひきの山谷(やまたに)越えて野づかさに今は鳴くらむうぐひすの声

 

(訳)山を越え谷を越えして、人里近い野の高みで、今こそは高らかに鳴き渡っていることであろう。春を待っていた鶯の声は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)のづかさ【野阜・野司】名詞:野原の中の小高い丘。(学研)

 

 左注は、「右年月所處未得詳審 但随聞之時記載於玆」<右は、年月と所処と、いまだ詳審(つばひ)らかにすることを得ず。ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す。>とある。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その374)」で紹介している。

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 山部赤人の墓について調べていると、東金市HPの「山辺赤人の墓と伝えられる『赤人塚』」というコンテンツが目にとまった。次のように書かれている。

小倉百人一首 第4番の和歌でも知られる万葉歌人山辺赤人の墓と伝わる『赤人塚』が東金市雄蛇ヶ池近くにあります。

赤人はこの地の出身だったという説もあるのだとか。

東金市観光協会のホームページ(別ウインドウで開く)で詳しく紹介されています。

碑には『田児の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ 不盡の高嶺に雪は降りける』と刻まれています。

『田児の浦』は『田子の浦』。内房 勝山港の田子の浦から詠んだという説もあるそうです。

『ゆ』は経由、通って、の意味。また、『不盡』は『不尽』=富士山のことです。

※『山辺』は『山邊』『山部』の表記もあります。」


 万葉と現代のロマンのパイプ。機会を見て一度行ってみたいものである。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「東金市HP」