●歌は、「埼玉の津に居る舟の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね」である。
●歌碑(万葉灯籠)は、埼玉県行田市埼玉 前玉神社にある。
(注)名称は前玉神社HPに記載されている「万葉灯籠」を踏襲いたしました。
●歌をみていこう。
◆佐吉多萬能 津尓乎流布祢乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曽祢
(作者未詳 巻十四 三三八〇)
≪書き下し≫埼玉(さきたま)の津に居(を)る舟の風をいたみ綱(つな)は絶(た)ゆとも言(こと)な絶えそね
(訳)埼玉の舟着き場に繋がれている舟が、風の激しさに綱は絶えてしまうことがあっても、あなたのお言葉は絶やさないでね。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)埼玉:武蔵の郡名。行田市あたり。(伊藤脚注)
(注)そ-ね 分類連語:〔副詞「な」…「そね」の形で〕…してほしくない。…しないでほしい。▽やわらかな禁止を表す。 ⇒なりたち:禁止の終助詞「そ」+相手に望む願望の終助詞「ね」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1093)」で紹介している。
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「前玉神社」について同神社HPをみてみよう。
「前玉神社のご由緒」には、「前玉神社は『延喜式』(927年)に載る古社で、幸魂(さいわいのみたま)神社ともいいます。700年代の古代において当神社よりつけられた【前玉郡】は後に【埼玉郡】へと漢字が変化し、現在の埼玉県へとつながります。
前玉神社は、埼玉県名の発祥となった神社であると言われています。
武蔵国前玉郡(むさしのくにさきたまのこおり)は、726年(神亀3年)正倉院文書戸籍帳に見える地名だと言われており、1978(昭和53)年に解読された稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文から、471年には大和朝廷の支配する東国領域が、北武蔵国に及んでいたのは確実であると言われています。
北武蔵国の地元豪族が眠ると思われるさきたま古墳群の真上に建てられています。」(同神社HP)と書かれている。
「前玉神社の歴史」には、「前玉神社が最初に祀られた時代については、一説には大化の改新(645年)より一世紀以上さかのぼる安閑天皇、宣化天皇あるいは雄略天皇の頃の古墳時代(400年代後半~500年代前半)ではないかと考えられています。
その名残として社は古墳群に向かって祈願するように建立されています。
前玉神社は千数百年の歴史を持つ荘厳で由緒ある古社です。」(同神社HP)と書かれている。
「万葉灯籠とは」には、「前玉神社本社に登る階段をはさむように、元禄10年(1697年)10月15日、当神社の氏子たちが所願成就を記念して奉納した2つの燈籠があります。高さは180センチメートル。
この地を詠んだ万葉集の歌、『小崎沼』と『埼玉の津』が刻まれています。」と書かれており、それぞれの歌、訳、解釈が記されている。歌、訳は省略させていただき、解釈のみ引用させていただきます。
三三八〇歌の解釈:「現在の行田市下中条のあたりが詠まれた地である。利根川の流路の船着き場であり、下総の国府から来た水路でかなり賑わいがあったと思われる。現在の行田市も、利根川土手あたりをはじめ赤城颪(おろし)のように烈しく風が吹く。
北風の強いときは自転車を漕いでも、風に向かうと全然進めないくらいである。そのことを考えると烈しく吹く風の中で揺れたり激しく船に叩きつけられている『もやいの綱』を見ている実感が伝わってくる歌である。」(同神社HP)
■いざ、前玉神社へ■
特別講義も無事に終わり、桶川駅近くのホテルに辿り着く。早速、ホテルで作戦変更作業に入る。
前玉神社→八幡山古墳は、徒歩で40分。バスで吹上駅から前玉神社に行きバスで戻り、吹上駅から行田折り返し場までバスで行き、八幡山古墳を見てまた折り返すことに。
一旦決めたもののどう考えても効率が悪すぎてなにかひっかかる。
吹上駅でタクシーを捕まえることができたら効率よく周れ、川越氷川神社をあきらめれば調布市多摩川児童公園・狛江市中和泉「玉川碑」を見ることができる。
さらに調べて行くと狛江駅の「万葉をしのぶ乙女像『たまがわ』」(狛江市役所HP)の横に「巻14―3373歌」の説明案内板があると分かったので、これも追加できる。リベンジで来るのである。
タクシーを捕まえるには、通勤時間帯にひっかからないように早めが肝心と、ホテルの朝食は6時30分からであるが、これをパスし6時過ぎにホテルを出発する。
吹上駅到着、タクシー乗り場に急ぐ。何と一台のタクシーが待機しているではないか。
前玉神社、八幡山古墳を回りたい旨伝え乗り込む。
前玉神社の駐車場でタクシーに待っていてもらい、急いで万葉灯籠を目指す。
古墳の裾野をジグザグに上るように現地に到着。
そして、元禄万葉灯籠との感動の対面である。
何時か機会を見つけて、これらの古い歌碑を見て周りたいものである。
前出の拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1093)」に「何時か機会を見つけて、これらの古い歌碑を見て周りたいものである。」書いていたその歌碑が目の前にあるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「前玉神社HP」