●サンドイッチの中味はサニーレタスと焼豚。サニーレタスは水でよく洗い、適当な大きさに切り、ペーパータオルで水分をとり食パンに挟む。サニーレタス、焼き豚、サニーレタス、焼き豚、サニーレタスの5層バージョン。砥部の丸皿に盛る。
デザートは、伊予柑を主体に盛り付け、イチゴやブドウをスライスして飾り付けた。中央部はヨーグルトが見えるようにした。いつものように、干しブドウでアクセントをつけた。
今日は「しひ」の歌碑の紹介である。19歳の有間皇子の淡々とした歌の内面に包含されている心情を思いやるといつも何とも言えない気持ちになってくる。
●万葉の小径シリーズ-その13 しひ シイ
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
(有間皇子 巻二 一四二)
家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛
家にいると器に盛る飯を 今は(捕らわれの)旅の途中であるから、それもできず、ただ、椎の葉に盛ることよ。
「シイは、スダジイやブラジイをいい、常緑高木で二五メートルほどの高さに成長する。
斉明天皇四年(六五八)十一月、天皇や皇太子中大兄(なかのおおえ)たちが飛鳥の宮を留守にし、紀温泉(きのゆ 今の和歌山県白浜温泉)へと出かけている間に、有間皇子は留守官蘇我赤兄(そがのあかえ)と図り、挙兵しようとするが、逆に赤兄に捕らえられ、紀温泉に護送される。その途中、岩代(和歌山県日高郡南部町)の地で、海上遥かに中大兄たちのいる温泉を望んで詠んだ歌。十九才の有間が、自分の死を覚悟しながら、その気持ちを抑えて詠んでいる所に、かえって無念の心が強く伝わってくる。
有間皇子は、葉を食器の代わりに用いて飯を食べる、そんな不自由さの中で、簡単に中大兄皇子の腹心の部下である蘇我赤兄の誘いに乗ってしまったことを悔やんでいるのであろうか。あるいは、葉は食器ではなく、神に供える飯を盛るものではなかったかとの見方もできる。今は捕らわれの身であるから十分なことはできないが、せめて常緑の生命観溢れる椎の葉に、お供えの飯を盛って、神の加護を願っているともとれる。」
(万葉の小径 しひの歌碑)
「磐白乃(いわしろの) 濱松之枝乎(はままつがえを) 引結(ひきむすび)
真幸有者(まさきくあらば) 亦還元見武(またかへりみむ)」(一四一)
「家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛」(一四二 上述)
続いて、有間皇子に和した長忌寸意麻呂、山上憶良、柿本人麻呂の歌がある。皇子の死後四〇年を経ているが皇子の無実を訴える気持ちに応えている内容である。このことは、万葉集の編者の「題詞」ならびに「左注」の字句からも読み解くことができる。
有間皇子の二首(一四一、一四二)の「題詞」は「有間皇子自傷結松枝歌二首」となっており、それに対して、長忌寸意麻呂の歌二首(一四三、一四四)の題詞は「長忌寸意麻呂見結松哀咽歌二首」となっている。山上憶良の歌の題詞は「山上臣憶良追和歌一首」、柿本人麻呂の歌の題詞は」、「大寶元年辛丑幸于紀伊國時見結松歌一首 柿本朝臣人麻呂歌集中出也」と一貫したストーリーとなっている。
長忌寸意麻呂見結松哀咽歌二首
「磐代乃(いわしろの) 崖之松枝(きしのまつがえ) 将結(むすびけむ)
人者反而(ひとはかへりて) 復将見鴨(またみけむかも)」(一四三)
「磐代乃(いわしろの) 野中尓立有(のなかにたてる) 結松(むすびまつ)
情毛不解(こころもとけず) 古所念(いにしえおもほゆ)」(一四四)
山上臣憶良追和歌一首
「鳥翔成 有我欲比管(ありがよひつつ) 見良目杼母(みらめども)
人社不知(ひとこそしらね) 松者知良武(まつはしるらむ)」(一四五)
(注)第一句定訓を得ず あまがけり、かけるなす、つばさなす、
とりはなす、といった説がある
大寶元年辛丑幸于紀伊國時見結松歌一首 柿本朝臣人麻呂歌集中出也
「後将見跡(のちみむと) 君之結有(きみがむすべる) 磐代乃(いわしろの)
子松之宇礼乎(こまつがうれを) 又将見香聞(またもみむかも)」(一四六)
(参考文献)
★万葉の小径 しひの歌碑
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか」 神野志 隆光 著 (東京大学出版会)