万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット&フルーツ190215(万葉集と高の原駅)

●今日も作りました。サンチュと焼き豚を挟んで。備前焼の丸皿に。サンチュは柔らかいこともあって、サニーレタスとは違い暴れないので、端正なサンドイッチの仕上がりになった。

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2月15日のモーニングセット

 デザートは、立体的な造形が頭に浮かんだ。実際に作り出すとイメージが違う。りんごの形も自然体であるので、左右対称の均整の取れた美しさとはかけ離れてくる。それでも何とかイメージに近いものを意識して作り続ける。ブドウの2色切り合わせを飾りつけ、何とか漕ぎつけた 。 

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2月15日のデザート

 

●最寄りの駅は、近鉄京都線高の原駅である。改札に向かって右側の入り口近くの自販機の足元に長皇子の歌碑がある。

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長皇子の歌碑

 

◆秋去者(あきさらば) 今毛見如(いまもみるごと) 妻戀尓(つまごひに)

 鹿将鳴山曽(かなかむやまぞ) 高野原之宇倍(たかのはらのうへ)

                       (長皇子 巻一 八四)

 

 題詞は、「長皇子與志貴皇子於佐紀宮俱宴歌」(長皇子、志貴皇子と佐紀の宮にともに宴をする歌)

 左注は、「右一首長皇子」 とある。

 

 (訳)秋になると、今もご覧になっているように妻を恋して鳴く山なのです。この高野原一帯は、である。

 

 この歌は、万葉集巻一の締めの歌である。

 長皇子は天武天皇の第四皇子、弓削皇子の兄。志貴皇子天智天皇の第七皇子である。

 題詞にあるように、佐紀に長皇子の宮があった。平城京の北側一帯は台地である。佐紀にある孝謙天皇陵は高野陵と称されることから、この一帯の台地を含めて高野原と言われていたのではないかと思われる。

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高の原駅周辺の地図

 下の写真の黄色で囲んだあたりが平城旧跡である。青い線で囲んだ小高い丘陵が「高野原」であろう。写真左端あたりの裾野に古墳が連なる。ここから「押熊(神功五丁目付近)」あたりまで、右手に丘陵が広がっているのである。

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近鉄百貨店(西大寺)屋上から「高野原」を望む

 

 ウィキペディアによると、「高の原駅奈良県奈良市朱雀三丁目にある、近畿日本鉄道近鉄京都線の駅。駅番号はB24。平城ニュータウン建設に伴い、1972年11月に開業。駅名は、万葉集に詠われた佐紀丘陵の古称とされる地名「高野原」にちなんで名づけられた。現在は関西文化学術研究都市の玄関口となっている。」

 引っ越してきた当初は特急は止まらなかったが、今はいわゆる通勤時間帯は特急が止まるようになった。

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高の原駅

 

 高の原駅の西、サンタウン方面の階段の途中に、彫刻家佐藤忠良氏の作品「夏」がある。

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佐藤忠良氏の作品「夏」

 夕映えに浮かび上がるシルエットは新たな作品というイメージが出来上がる。夕映えを求めてウオーキングするが、人が途切れるのを狙ってシルエットを撮影することも一つの楽しみである。