●今日もサンドイッチを作った。サンチュと焼き豚が中味である。八朔をデザートに使おうと思ったが、久しぶりに剥き戻しをやってみた。八朔の外皮を赤道線に切れ目をいれ、指で皮がちぎれないよう慎重に上下にはずす。中味を取り出し、ひと房づつ薄皮を剥いて外皮の中に埋め戻していくのである。薄皮を剥くときにエイヤーでやると半円状の両隅が崩れてしまう。慎重に、慎重に。
砥部焼の大皿にロの字型に並べ、その中央にデザートグラスの入れた八朔を配した。
デザートは、八朔だけでもいいのだが、八朔は明日にとっておこうと思い、イチゴと2色のブドウで作った。
今日は、万葉集第1期の歌の特徴等について書いてみる。
●万葉集の時代区分 第1期(その2)
(1) 第1期の歌の特徴
この期の歌の特徴は、集団性、意欲性、呪的性格、自然との融即性、歌謡や民謡とのつながりの深さなどがあげられる。
集団性、意欲性は、集団的行事、すなわち宮廷儀礼や土俗と結びついて詠われたことと関連する。舒明天皇の国見の歌や宇智野の狩の歌などが典型的な例である。
◆山常庭(やまとには) 村山有等(むらやまあれど) 取輿呂布(とりよろふ)
天乃香具山(あまのかぐやま) 騰立(のぼりたち)
國見乎為者(くみにをすれば) 國原波(くにはらは)
煙立龍(けぶりたつたつ) 海原波(うなばらは)
加萬目立多都(かまめたつたつ) 怜忄可國曽(うましくにぞ)
蜻嶋(あきづしま) 八間跡能國者(やまとのくには)
(舒明天皇 巻一 二)
※うましの二字目はりっしんべんに「可」と書くが漢字がみつから
なかったので、「りっしんべんと可」を並記してある
犬養 孝氏は「万葉の人びと」の著の中で「言霊」について述べられている。言葉には霊がある、命がある、だから良い言葉を使えば良いことが実現し、悪い言葉を使えば悪いことが実現するという「言霊信仰」がある。国見の歌というのは、自分の統治する国をほめたたえる「国ほめの行事」に際しての歌である。国見をするために登った天の香具山をまずほめ、国見をしたところ、煙たち立つ、カモメたち立つと情景に満足しつつ対句的表現(繰り返し)で、心情を高揚させ、「うまし国ぞ」と国を絶賛している。
近江遷都にあって、額田王が大和の国魂である三輪山の神に対する別離のこころを読んだ歌も第一期の特徴を持っている。
歌の背景にある歴史的事項も書かれているので全文を掲載してみる。
(題詞) 額田王下近江國時作歌井戸王即和歌
◆味酒(うまさけ) 三輪乃山(みわのやま) 青丹吉(あをによし)
奈良能山乃(ならのやまの) 山際(やまのまに) 伊隠萬代(いかくるまで)
道隈(みちのくま) 伊積流萬代尓(いつもるまでに) 委曲毛(つばらにも)
見管行武雄(みつつゆかむを) 數ゝ毛(しばしばも)
見放武八萬雄(みさけむやまを)
情無(こころなく) 雲乃(くもの) 隠障倍之也(かくさふべしや)
◆三輪山乎(みわやまを) 然毛隠賀(しかもかくすか) 雲谷裳(くもだにも)
情有南畝(こころあらなも) 可苦佐布倍思哉(かくさふべしや)
右二首歌山上憶良大夫類聚歌林日 遷都近江國時 御覧三輪山御歌焉
日本書紀日六年丙春三月辛酉朔己卯遷都于近江
(額田王 巻一 一七)
近江遷都に際して大和に別れを告げる儀礼の中で詠われたものといわれている。
(2)口誦末期
第1期の時代は、法令や戸籍の記録などの面で、実用的な文字の使用が進められていた。また、中国から漢詩や漢文学が隆盛をみた時代でもあった。万葉集に関しても、歌謡や民謡等の口誦時代から、記載を前提とした時代への移行期であったともいえる。
中国文学の技巧のひとつである「対句」についても意識され始めた時代でもある。ただ、歌謡等におけるリズム感を重視したような繰り返しとは異なる。
「対句」は、柿本人麻呂以降に確立を見たといわれ、額田王の「山のまに い隠るまで 道の隈 い積るまでに」「つばらにも 見つつ行くかむを しばしばも 見放けむ山を」については、記紀歌謡の繰り返しや言い換えに近いとみるとされている。
(参考文献)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「萬葉集」 鶴 久 森山 隆 編 (桜楓社)