万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その104改、105改)ー桜井市立図書館、安倍文殊院西古墳横―万葉集 巻六 九九〇、巻三 二八二

―その104―

 

歌は、「茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の樹の歳の知らなく」である。

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桜井市立図書館万葉歌碑(紀朝臣鹿人)

 

●歌碑は、桜井市立図書館にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆茂岡尓 神佐備立而 榮有 千代松樹乃 歳之不知久

                 (紀朝臣鹿人 巻六 九九〇)

 

≪書き下し≫茂岡に神(かむ)さび立ちて栄たる千代松の木の年の知らなく

(訳)茂岡に神々しく立って茂り栄えている、千代ののちを待つという松の木、この木の齢の見当もつかない(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

 紀朝臣鹿人の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その96改)」で紹介している。(初期ブログであるので、タイトルの写真は朝食であるが、本文では削除し、改訂しております。ご了承下さい。)

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 桜井市立図書館は、等彌神社の前にある。駐車場から三輪山が見える。図書館の屋根がドーム状になっているので三輪山と重なって面白いねらいになっている。

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桜井市立図書館の屋根と三輪山

 

 

 

―その105―

 

●歌は「つのさはふ磐余も過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ」 である。

 

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安倍文殊院西古墳横万葉歌碑(春日蔵首老)


  ●歌碑は、安倍文殊院西古墳横    にある。

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安倍文殊院西古墳と万葉歌碑

●歌をみていこう。

 

◆角障経 石村毛不過 泊瀬山 何時毛将超 夜者深去通都

                  (春日蔵首老 巻三 二八二)

 

≪書き下し≫つのさはふ磐余(いわれ)も過ぎず泊瀬山(はつせやま)いつかも越えむ夜は更けにつつ

 

(訳)磐余の地もまだ過ぎていない。この分では、泊瀬の山、あの山はいつ越えることができようか。夜はもう更けてしまったというのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)つのさはふ:枕詞 「いは(岩・石)」「岩見(いはみ)」「磐余(いわれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳

 

 春日蔵首老(かすがのくらのおびとおゆ)の法師名は「弁基」という記載がある。その個所をみてみよう。

 

 題詞は、「弁基歌一首」<弁基(べんき)が歌一首>である。

◆亦打山 暮越行而 廬前之 角太河原尓 獨可毛将宿

                  (弁基 巻三 二九八)

左注は、「右或云 弁基者春日蔵首老之法師名也」<右は或いは「弁基(べんき)は春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)が法師名(ほふしな)」といふ。

 

≪書き下し≫真土山(まつちやま)夕越え行きて廬前(いほさき)の角太(すみだ)川原(かはら)にひとりかも寝(ね)む

 

(訳)真土山、この山を夕方の越えて行って、廬前(いおさき)の角太川原で故郷遠くただ独り旅寝することであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)真土山(まつちやま):大和・紀伊の国境、紀ノ川の右岸にある山

 

 真土山について詠った歌がある。

◆朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母

                    (調首淡海 巻一 五五)

 

≪書き下し≫あさもよし紀伊人(きひと)羨(とも)しも真土山(まつちやま)行き来と見らむ紀伊人羨(とも)しも

 

(訳)麻裳(あさも)の国、紀伊の人びとは羨ましいな。この真土山を行くとて来(く)とていつもいつも眺められる、紀伊の人びとは羨ましいな。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 (注)あさもよし【麻裳良し】:<枕詞>麻で作った裳の産地であったことから、地名の「紀(き)」に、また、同音を含む地名「城上(きのへ)」にかかる。

 

 ちなみに、この歌に続く五六歌は、春日蔵首老の歌である。

◆河上乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 雖見安可受 巨勢能春野者

                     (春日蔵首老 巻一 五六)

 

≪書き下し≫川の上(うへ)のつらつら椿(つばき)つらつらに見れども飽(あ)かず巨勢(こせ)の春野は

 

(訳)川のほとりに咲くつらつら椿よ、つらつらに見ても見ても見飽きはしない。椿花咲くこの巨勢の春野は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 

 大宝(たいほう)元年(701年)秋九月、持統上皇紀伊国行幸のお供をした坂門人足(さかとのひとたり)は、藤原京を出て最初の峠越えである巨勢にさしかかった時、その地が、春日蔵首老(かすがのくらびとのおゆ)が詠ったつらつら椿で名高い所であることを思い出して、秋の景色に春のつらつら椿の情景を重ねて詠ったのが、

巻三 五四歌の「巨勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「weblio古語辞書」

 

※20210422朝食関連記事削除、一部改訂