万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1022)―愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(4)―万葉集 巻一 五四

●歌は、「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」である。

 

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愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(4)万葉歌碑(春日蔵首老)


●歌碑は、愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(4)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎

                (坂門人足 巻一 五四)

 

≪書き下し≫巨勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を

 

(訳)巨勢山のつらつら椿、この椿の木をつらつら見ながら偲ぼうではないか。椿花咲く巨勢の春野の、そのありさまを。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)こせやま【巨勢山】:奈良県西部、御所(ごせ)市古瀬付近にある山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)つらつらつばき 【列列椿】名詞:数多く並んで咲いているつばき。

(注)しのぶ 【偲ぶ】:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。

 

 題詞は、「大寳元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の秋の九月に、太上天皇(おほきすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌>である。

(注)太上天皇:持統上皇

 

 左注は「右一首坂門人足」<右の一首は坂門人足(さかとのひとたり)>である。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その441)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 つらつら椿の歌は、植物園の万葉歌碑といえば定番である。4月14日に巡った春日井市の「万葉の小道」と「大蔵池公園」でも重複している。

 

ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1008)」で書いたように、坂門人足の本歌を詠った春日蔵首老の巻一 六二、巻三 二八二歌を「その1008」で、巻三 二八四、二八六、二九八、巻九 一七一九歌を本稿で紹介することにしたい。

 

 二八四歌からみてみよう。

 

 

題詞は、「春日蔵首老歌一首」<春日蔵首老が歌一首>である。

 

◆焼津邊 吾去鹿齒 駿河奈流 阿倍乃市道尓 相之兒等羽裳

               (春日蔵首老 巻三 二八四)

 

≪書き下し≫焼津辺(やきづへ)に我(わ)が行きしかば駿河(するが)なる阿倍(あへ)の市道(いちぢ)に逢(あ)ひし子らはも

 

(訳)焼津(やいづ)のあたりに私が行ったその時たまたま、駿河の国の阿倍(あへ)の市で逢った子、あの子は今頃どうしていることか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)焼津:静岡県焼津市

(注)いちぢ【市路・市道】名詞:市(いち)へ通じる道。また、市にある道。(学研)歌垣が行われるところ。歌垣では郡婚が許されるのが習い。

 

 次は、二八六歌である。

 

題詞は、「春日蔵首老即和歌一首」<春日蔵首老、即(すなはち)和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆宜奈倍 吾背乃君之 負来尓之 此勢能山乎 妹者不喚

              (春日蔵首老 巻三 二八六)

 

≪書き下し≫よろしなへ我(わ)が背(せ)の君(きみ)が負ひ来(き)にしこの背の山を妹(いも)とは呼ばじ

 

(訳)せっかくよい具合いに、我が背の君(笠麻呂さま)が“背の君”と言われては背負ってきた“背”、その”背“という名を負い持つ山ですもの、今さら”妹“などとは呼びますまい。(同上)

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)

(注)おふ【負ふ】他動詞:背負う。(学研)

 

この歌は、二八五歌の題詞「丹比真人笠麻呂徃紀伊國超勢能山時作歌一首」<丹比真人笠麻呂(たぢひのまひとかさまろ)、紀伊の国(きのくに)に往(ゆ)き、背(せ)の山を越ゆる時に作る歌一首>に和(こた)えた歌である。二八五歌もみてみよう。

 

◆栲領巾乃 懸巻欲寸 妹名乎 此勢能山尓 懸者奈何将有 <一云 可倍波伊香尓安良牟>

                (丹比真人笠麻呂 巻三 二八五)

 

≪書き下し≫栲領巾(たくひれ)の懸(か)けまく欲(ほ)しき妹(いも)の名をこの背の山に懸(か)けばいかにあらむ<一には「替へばいかにあらむ」といふ>

 

(訳)栲領巾(たくひれ)を肩に懸けるというではないが、口に懸けて呼んでみたい“妹”という名、その名をこの背の山につけて、“妹”の山と呼んでみたらどうであろうか。<この背の山ととり替えてみたらどうであろうか>(同上)

(注)たくひれの【栲領巾の】分類枕詞:「たくひれ」の色が白いことから、「白(しら)」「鷺(さぎ)」に、また、首に掛けるところから、「懸(か)く」にかかる。(学研)

(注)かく【懸く・掛く】他動詞:①垂れ下げる。かける。もたれさせる。 ②話しかける。口にする。(学研より)

 

 笠麻呂が、故郷の「妹」を持ちだした二八五歌に絡んで、あなたの奥様が「背の君」その「背」にちなみ山の名を替えるなどとは、と二八六歌で返している。

 

 「背の山」は、大和国から紀伊国へ行く道の途中にある背山(和歌山県伊都郡かつらぎ町)と言われている。

 「背の山」を詠んだ阿閇皇女(あへのひめみこ 後の元明天皇)の歌が収録されている。これもみてみよう。             

 

 題詞は、「越勢能山時阿閇皇女御作歌」<背の山を越ゆる時に。阿閇皇女(あへのひめみこ)の作らす歌>である。

 

◆此也是能 倭尓四手者 我戀流 木路尓有云 名二負勢能山

              (阿閇皇女 巻一 三五)

 

≪書き下し≫これやこの大和(やまと)にしては我(わ)が恋ふる紀伊道(きぢ)にありといふ名に負ふ背の山

 

(訳)これがまあ、大和にあっては常々私が見たいと恋い焦がれていた、紀伊道(きぢ)にあるという、その名にそむかぬ背(夫)の山なのか。(同上)

(注)「背」に「夫」を意識している。

 

 

 次に二九八歌をみてみよう。

 

 春日蔵首老(かすがのくらのおびとおゆ)の法師名は「弁基」という記載がある。その個所をみてみよう。

 

 題詞は、「弁基歌一首」<弁基(べんき)が歌一首>である。

 

◆亦打山 暮越行而 廬前之 角太河原尓 獨可毛将宿

                  (弁基 巻三 二九八)

 

左注は、「右或云 弁基者春日蔵首老之法師名也」<右は或いは「弁基(べんき)は春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)が法師名(ほふしな)」といふ。

 

≪書き下し≫真土山(まつちやま)夕越え行きて廬前(いほさき)の角太(すみだ)川原(かはら)にひとりかも寝(ね)む

 

(訳)真土山、この山を夕方の越えて行って、廬前(いおさき)の角太川原で故郷遠くただ独り旅寝することであろうか。(同上)

(注)真土山(まつちやま):大和・紀伊の国境、紀ノ川の右岸にある山

(注)角太川原:和歌山県橋本市隅田町付近を流れる紀ノ川の川原。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その105改)」で紹介している。

(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、改訂してあります。ご容赦下さい)

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 ラストは一七一九歌である。

 

題詞は、「春日蔵歌一首」<春日蔵(かすがのくら)が歌一首>である。

 

◆照月遠 雲莫隠 嶋陰尓 吾船将極 留不知毛

               (春日蔵首老 巻九 一七一九)

 

≪書き下し≫照る月を雲な隠しそ島蔭(しまかげ)に我(わ)が舟泊(は)てむ泊(とま)り知らずも

 

(訳)明るく照る月、この月を、雲よ隠さないでおくれ。島陰にわれらの舟を泊めようと思うが、その舟着き場がわからないのだ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右一首或本云 小辨作也 或記姓氏無記名字 或偁名号不偁姓氏 然依古記便以次載 凡如此類下皆放焉」<右の一首は、或本には「小弁(せうべん)が作」といふ。或いは姓氏は記(しる)せれど名字を記すことなく、或いは名号を偁(い)へれど姓氏は偁(い)はず。しかれども、古記によりてすなはち次をもちて載(の)す。すべてかくのごとき類(たぐひ)は、下(しも)みなこれに倣(なら)へ>である。

(注)姓氏は記(しる)せれど名字を記すことなく:一七一五歌(▼本)、一七一六歌(山上)、一七一七歌(春日)、一七一八歌(高市)、一七一九歌(春日蔵)と題詞にあることをいう。(▼は「木へんに鬼」誰か未詳。訓もエノモト、ツキノモト等あるが未詳)

 

(注)名号を偁(い)へれど姓氏は偁(い)はず:一七二〇歌以後、元仁、絹、島足、麻呂とあることをいう。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「はじめての万葉集vol.77」