万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1008)―春日井市東野町 万葉の小道(5)―万葉集 巻一 五四

●歌は、「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」である。

 

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春日井市東野町 万葉の小道(5)万葉歌碑(坂門人足

●歌碑は、春日井市東野町 万葉の小道(5)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎

                (坂門人足 巻一 五四)

 

≪書き下し≫巨勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を

 

(訳)巨勢山のつらつら椿、この椿の木をつらつら見ながら偲ぼうではないか。椿花咲く巨勢の春野の、そのありさまを。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)こせやま【巨勢山】:奈良県西部、御所(ごせ)市古瀬付近にある山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)つらつらつばき 【列列椿】名詞:数多く並んで咲いているつばき。

(注)しのぶ 【偲ぶ】:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。

 

 題詞は、「大寳元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の秋の九月に、太上天皇(おほきすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌>である。

(注)太上天皇:持統上皇

 

 左注は「右一首坂門人足」<右の一首は坂門人足(さかとのひとたり)>である。

 

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歌の解説案内板

 

 なお、万葉集五六歌として、この歌の原本となったと思われる歌が収録されている。

 

 題詞、「或本歌」<或本の歌>

 

◆河上乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 雖見安可受 巨勢能春野者

               (春日蔵首老 巻一 五六)

 

≪書き下し≫川の上(うへ)のつらつら椿(つばき)つらつらに見れども飽(あ)かず巨勢の春野は 

 

(訳)川のほとりに咲くつらつら椿よ、つらつらに見ても見飽きはしない。椿花咲くこの巨勢の春野は。伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 五四歌の題詞にあるように、「秋九月」であるから、椿は咲いていない。「巨勢の春野」はここなのだと、「偲はな」と、リズミカルな春日蔵首老の歌を踏まえて、春のつらつら椿の情景を想い浮かべて詠っているのである。

 

 万葉集には椿の歌が九首収録されている。五四、五六歌ならびに他の七首の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その223)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 巨勢寺の子院の一つである「阿吽寺」に五四歌の歌碑がある。この歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その441)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 つらつら椿といえば、坂本人足を思い浮かべるが、本歌を詠ったであろう春日蔵首老について調べてみよう。

 

コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusによると、「春日倉老 かすがのくらのおゆ」について「?-? 飛鳥(あすか)-奈良時代の官吏,歌人

僧であったが,大宝元年(701)還俗(げんぞく)して春日倉首(おびと)の氏姓をあたえられ,追大壱をさずけられる。和銅7年常陸介(ひたちのすけ)となる。「万葉集」に歌8首,「懐風藻」に漢詩1首がおさめられている。法名は弁基,弁紀。」と書かれている。

 

 つらつら椿の歌については、上述の「ブログその223、441」以外にも何度か紹介してきている。

植物園の万葉歌碑といえば定番である。今回の「万葉の小道」と「大蔵池公園」でも重複している。

 

そこで、本稿では春日蔵首老の巻一 六二、巻三 二八二歌を、「ブログその1022」で、巻三 二八四、二八六、二九八、巻九 一七一九歌を紹介することにしたい。

 

 

六二歌からみてみよう。

 

題詞は、「三野連 名闕 入唐時春日蔵首老作歌」<三野連(みののむらじ)名は欠けたり 入唐(にふたう)時に、春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)が作る歌>である。

 

◆在根良 對馬乃渡 ゝ中尓 幣取向而 早還許年

               (春日蔵首老 巻一 六二)

 

≪書き下し≫在(あ)り嶺(ね)よし対馬(つしま)の渡り海中(わたなか)に幣(ぬさ)取り向けて早(はや)帰り来(こ)ね

 

(訳)山嶺(やまね)連なる対馬(つしま)の海(うみ)つ道(じ)、そのまっただ中に幣(ぬさ)を捧(ささ)げて、一日も早く帰って来て下さい。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ありねよし:[枕]《「ありね」は語義未詳。「よし」は間投助詞》「対馬(つしま)」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

 

次は、二八二歌である。

 

 題詞は、「春日蔵首老が歌一首」である。

 

◆角障経 石村毛不過 泊瀬山 何時毛将超 夜者深去通都

              (春日蔵首老 巻三 二八二)

 

≪書き下し≫つのさはふ磐余(いはれ)も過ぎず泊瀬山(はつせやま)いつかも越えむ夜(よ)は更(ふ)けにつつ

 

(訳)磐余の池もまだ過ぎていない。この分では、泊瀬の山、あの山はいつ越えることができようか。夜はもう更けてしまったというのに。(同上)

(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その105改)」で紹介している。(初期ブログであるのでタイトル写真に朝食の写真が載っているが、本文では朝食関連記事は削除し改訂してあります。ご容赦ください。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「つのさはふ」のような枕詞で語義やかかる理由が未詳の場合、朴炳植氏の「『万葉集』は韓国語で歌われた 万葉集の発見」(学習研究社)でそれなりの解説がなされているので今回ものぞいてみよう。

 「つの(さ)はふ」の「つのはふ」は「つたはふ」(蔦はう)の意で、「ツヌ・ツナ・ツタ」は「ヌ→ナ→タ変化」にかなった見方という。(境内 ケイナイ→ケイダイ)

 そして「さ」については、次のように書かれている。「私の考えでは、この『サ』は『サカン(盛ん)』という言葉に使われた『サ』と同じ意味のもので、『盛・繁・茂』などを表すものである。そうすると『ツノサハフ』は『蔦の茂生した』ということになり、それが『磐・石』の枕詞として使われる理由がはっきりしてくるのである。」

 

 自分なりに韓国語からのアプローチも今後やっていきたいものである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「『万葉集』は韓国語で歌われた 万葉集の発見」 朴 炳植 (学習研究社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」

★「コトバンク デジタル大辞泉