万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その237)―大津市錦織 大津京シンボル緑地―

 

●歌は、「我れはもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり」である。

 

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大津市錦織 大津京シンボル緑地万葉歌碑(藤原鎌足

●歌碑は、大津市錦織 大津京シンボル緑地    にある。

 

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大津京シンボル緑地の碑

この歌に関して、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その112)」で鎌足を祀った談山神社の歌碑の項で紹介している。


●歌をみてみよう。

 

◆吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利

                 (藤原鎌足 巻二 九五)

 

≪書き下し≫我れはもや安見児得たり皆人(みなひと)の得かてにすといふ安見児得たり

 

(訳)おれはまあ安見児を得たぞ。お前さんたちがとうてい手に入れがたいと言っている、この安見児をおれは我がものとしたぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「内大臣藤原卿娶采女安見兒時作歌一首」<内大臣藤原卿、采女安見児を娶る時に作る歌一首>

 

 藤原鎌足の正妻は鏡王女である。この歌は、鏡王女との結婚後のことで、鎌足は、采女(うねめ)安見児(やすみこ)を娶りえて有頂天になっていることを歌っている。

(注)鏡王女(かがみのおほきみ):[?~683]万葉集の女流歌人。舒明(じょめい)天皇の皇女・皇妹とも、鏡王の娘で額田王(ぬかたのおおきみ)の姉ともいわれる。天智天皇に愛され、のち藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の妻。鏡女王。鏡姫王。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

 

 「采女」とは、天皇の御膳その他について奉仕する宮中の女官である。諸国の郡少領(次官)以上の娘で容姿端正なものが選ばれるのである。采女は、天皇に所属するいわば、「物体的人間」であり、恋愛はかたく禁じられていた。まさに、「皆人の得難(えかて)にす」る者であった。それを鎌足は得たのである。功臣鎌足への特別待遇の何物でもない。それだけに喜びも一入だったに違いない。

 

 中大兄皇子天智天皇)の愛を得ていた鏡王女は、皇子の片腕となって「大化の改新」で活躍した鎌足と結婚している。臣下であった鎌足(40歳の時である)が皇子の皇女である王女と結婚できたのか、それは忠臣に対する皇子の心遣い、いわば一種の報酬であったと考えられる。

 

 伊藤 博氏は、「萬葉集相聞の世界」(塙書房)の中で、「『近江大津宮御宇天皇』(天智天皇の御代)なる標題のもとに、」九一歌から九五歌の順に「まとめて配列されている。これらは、同じ時のものではなかった。けれども、『天皇と王女、王女と鎌足鎌足采女』という関係で、一連のものとしてまとめられた五つの歌は、優に、一つのロマンス(恋物語)を構成している。五つの歌は、後の読者には、体系を持つ一まとまりの歌群として、(中略)その複雑微妙な対人関係を、うたい継がれたものであるまいか。」と書かれている。

 

 この歌群をみていこう。

題詞「天皇、鏡王女(かがみのおほきみ)に賜ふ御歌一首」

◆妹(いも)が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺(ね)に家もあらましを

               (天智天皇 巻一 九一)

(訳)せめてあなたの家だけでもいつもいつも見ることができたらな。大和のあの大島の嶺に我が家でもあったらなあ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞「鏡王女、和(こた)へ奉(まつ)る御歌一首」

◆秋山の木(こ)の下隠(したがく)り行く水の我こそ増(ま)さめ思ほすよりは

               (鏡王女 巻一 九二)

(訳)秋山の木々の下を隠れ流れる川の水かさが増してゆくように、私の思いの方がまさっているでしょう。あなたが私を思って下さるよりは。(同上)

 

題詞「内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)、鏡王女を娉(つまど)ふ時に、鏡王女が内大臣に贈る歌一首」

◆玉櫛笥(たまくしげ)覆(おほ)ひを易(やす)み明けていなば君が名はあれど我(わ)が名し惜しも

               (鏡王女 巻一 九三)

(訳)玉櫛笥の覆いではないが、二人の仲を覆い隠すなんてわけないと、夜が明けきってから堂々とお帰りになっては、あなたの浮名が立つのはともかく、私の名が立つのが口惜しうございます。(同上)

 

題詞「内大臣藤原卿、鏡王女に報(こた)へ贈る歌一首」

◆玉櫛笥みもろの山のさな葛(かずら)さ寝(ね)ずはつひに有りかつましじ

                (藤原鎌足 巻一 九四)

(訳)あんたはそんなにおっしゃるけれど、玉櫛の蓋(ふた)ならぬ実(み)という、みもろの山のさな葛、そのさ寝(ね)ずは―共寝をしないでなんかいて―よろしいのですか、そんなことをしたらとても生きてはいられないでしょう。(同上)

 

題詞「内大臣藤原卿、采女安見児を娶る時に作る歌一首」

◆我はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり

                (藤原鎌足 巻一 九五)

(訳)おれはまあ安見児を得たぞ。お前さんたちがとうてい手に入れがたいと言っている、この安見児をおれは我がものとしたぞ。(同上)

 

 この歌群は、大化改新を背景に、「中大兄皇子天智天皇)と鏡王女」、「鏡王女と鎌足」、「鎌足采女」の宮廷ロマンスである。

そして、鏡王女の妹といわれる額田王が、大海人皇子に嫁ぎ、その兄の天智天皇後宮に入るのである。

 

題詞「天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまふ時に、額田王が作る歌」

◆あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る

額田王 巻一 二〇)

(訳)茜(あかね)色のさし出る紫、その紫草の生い茂る野、かかわりなき人の立ち入りを禁じて標(しめ)を張った野を行き来して、あれそんなことをなさって、野の番人が見るではございませんか。あなたはそんなに袖(そで)をお振りになったりして。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞「皇太子(ひつぎのみこ)の答へたまふ御歌 明日香(あすか)の宮に天の下知らしめす天皇、謚(おくりな)して天武天皇(てんむてんのう)

◆紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎(にく)くあらば人妻(ひとづま)故(ゆゑ)に我(あ)れ恋(こ)ひめやも

大海人皇子 巻一 二一)

(訳)紫草のように色美しくあでやかな妹(いも)よ、そなたが気に入らないのであったら、人妻と知りながら、私としてからがどうしてそなたに恋いこがれたりしようか。(同上)

 

 そして、壬申の乱となっていくのである。

 姉の鏡王女、妹の額田王、兄の中大兄皇子天智天皇)、弟の大海人皇子天武天皇)を軸とした、大化改新壬申の乱、人間関係と歴史的事案の絡みの筆舌に尽くしがたい展開が万葉集の歌をとおしても見えてくるのである。

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「びわ湖大津 光くんマップ(大津市観光地図)」(大津市・(公社)びわ湖大津観光協会

★「大津市ガイドマップ」(㈱ゼンリン 協力:大津市

 

※20230429朝食関連記事削除、一部改訂