万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その305)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(46)―万葉集 巻十六 三八八五

 

●歌は、「この片山に二つ立つ櫟が本に梓弓八つ手挟み・・・」である。

 

f:id:tom101010:20191217204941j:plain

万葉の森船岡山万葉歌碑(46)(乞食者の詠)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(46)である。

 

●歌をみてみよう。

 

◆伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多ゝ弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥獦 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来立嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃婆夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 白賞尼

                (乞食者の詠 巻十六 三八八五)

 

≪書き下し≫いとこ 汝背(なせ)の君 居(を)り居(を)りて 物にい行くとは 韓国(からくに)の 虎といふ神を 生(い)け捕(ど)りに 八つ捕り持ち来(き) その皮を 畳(たたみ)に刺(さ)し 八重(やへ)畳(たたみ) 平群(へぐり)の山に 四月(うづき)と 五月(さつき)との間(ま)に 薬猟(くすりがり) 仕(つか)ふる時に あしひきの この片山(かたやま)に 二つ立つ 櫟(いちひ)が本(もと)に 梓弓(あづさゆみ) 八(や)つ手挟(たばさ)み ひめ鏑(かぶら) 八つ手挟み 鹿(しし)待つと 我が居(を)る時に さを鹿(しか)の 来立ち嘆(なげ)かく たちまちに 我(わ)れは死ぬべし 大君(おほきみ)に 我(わ)れは仕(つか)へむ 我(わ)が角(つの)は み笠(かさ)のはやし 我(わ)が耳は み墨(すみ)坩(つほ) 我(わ)が目らは ますみの鏡 我(わ)が爪(つめ)は み弓の弓弭(ゆはず) 我(わ)が毛らは み筆(ふみて)はやし 我(わ)が皮は み箱の皮に 我(わ)が肉(しし)は み膾(なます)はやし 我(わ)が肝(きも)も み膾(なます)はやし 我(わ)がみげは み塩(しほ)のはやし 老い果てぬ 我(あ)が身一つに 七重(ななへ)花咲く 八重(やへ)花咲くと 申(まを)しはやさに 申(まを)しはやさに

 

(訳)あいやお立ち合い、愛(いと)しのお立ち合い、じっと家に居続けてさてさてどこかへお出かけなんてえのは、からっきし億劫(おつくう)なもんだわ、その韓(から)の国の虎、あの虎というおっかない神を、生け捕りに八頭(やつつ)もひっ捕らまえて来てわさ、その皮を畳に張って作るなんぞその八重畳、その八重の畳を隔てて繰り寄せ編むとは平群(へぐり)のあのお山で、四月、五月の頃合、畏(かしこ)の薬猟(かり)に仕えた時に、ここな端山(はやま)に並び立つ、二つの櫟(いちい)の根っこのもとで、梓弓(あずさゆみ)八(やつ)つ手狭み、ひめ鏑(かぶら)八(やつ)つ手狭み、このあっちが獲物を待ってうずくまっていたとしなされ、その時雄鹿が一つ出て来てひょこっとつっ立ってこう嘆いたわいさ、「射られてもうすぐ私は死ぬはずの身。どうせ死ぬなら大君のお役に立ちましょう。私の角はお笠の材料(たね)、私の耳はお墨の壺(つぼ)、私の両目は真澄(ますみ)の鏡、私の爪はお弓の弓弭(ゆはず)、私の肌毛はお筆の材料(たね)、私の皮はお手箱の覆い、私の肉はお膾(なます)の材料(たね)、私の肝もお膾の材料(たね)、私の胃袋(ゆげ)はお塩辛の材料(たね)。そうそう、今や老い果てようとするこの私めの身一つに、七重も八重も花が咲いた花が咲いたと、賑々(にぎにぎ)しくご奏上下され、賑々しくご奏上下され」とな。(伊藤 博 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)いとこ【愛子】名詞:いとしい人。▽男女を問わず愛(いと)しい人を親しんで呼ぶ語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)「いとこ 汝背(なせ)の君」:相手を親しんでの呼びかけ。聴衆あての表現。

(注)をり【居り】:<自動詞>①座っている。腰をおろしている。

               ②いる。存在する。 

    <補助動詞>(動詞の連用形に付いて)…し続ける。…している。(学研)

(注)やへだたみ【八重畳】( 名 ):幾重にも重ねて敷いた敷物。神座として用いる。  ( 枕詞 ):幾重にも重ねるところから、「へ(重)」と同音の地名「平群(へぐり)」にかかる。 (学研)

(注)くすりがり【薬狩】名詞:陰暦四、五月ごろ、特に五月五日に、山野で、

薬になる鹿(しか)の若角や薬草を採取した行事。[季語] 夏。薬猟(学研)

(注)はやし:栄えさせる意の「栄す」の名詞形

(注)ゆはず【弓筈・弓弭】名詞:弓の両端の弦をかけるところ。上の弓筈を「末筈(うらはず)」、下を「本筈(もとはず)」と呼ぶ。※「ゆみはず」の変化した語。(学研)

(注)なます【鱠・膾】名詞:魚介・鳥獣の生肉を細かく刻んだもの。後世では、それを酢などであえた料理。さらに後には、大根・人参などを混ぜたり、野菜のみのものにもいう。(学研)

 

 題詞は、「乞食者詠二首」<乞食者(ほかひひと)が詠ふ歌二首>である。

(注)ほかひびと【乞児・乞食者】名詞:物もらい。こじき。家の戸口で、祝いの言葉などを唱えて物ごいをする人。「ほかひひと」とも。

 

 左注は、「右歌一首為鹿述痛作之也」<右の歌一首は鹿のために痛みを述べて作る>である。

 

 「乞食者(ほかひひと)が詠ふ歌二首」のもう一首、三八八六歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その213)」で紹介している。

 

 万葉集で、「いちひ(イチイガシ)」が詠われているのは、この一首だけである。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」