万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1276)―島根県益田市 県立万葉公園(20)―万葉集 巻二 二〇八

●歌は、「秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも」である。

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島根県益田市 県立万葉公園(20)万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園(20)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母 <一云路不知而>

        (柿本人麻呂 巻二 二〇八)

 

≪書き下し≫秋山の黄葉(もみち)を茂(しげ)み惑(まと)ひぬる妹(いも)を求めむ山道(やまぢ)知らずも <一には「道知らずして」という>

 

(訳)秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので中に迷いこんでしまったいとしい子、あの子を探し求めようにもその山道さえもわからない。<その道がわからなくて>(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句、妻の死を認めまいとする表現。第三、五句にかかる。(伊藤脚注)

 

二〇七から二一六歌の歌群の題詞は、「柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいどう)して作る歌二首幷(あは)せて短歌>とあり、二群の長反歌になっている。すなわち「二〇七(長歌)、二〇八、二〇九(短歌)」と「二一〇(長歌)、二一一、二一二(短歌)」の二群である。さらに「或本の歌に日はく」とあり、長歌一首と短歌三首「二一三(長歌)、二一四~二一六(短歌)」が収録されている。「泣血哀慟歌」と言われている。 

(注)きふけつ【泣血】:目から血が出るほど、ひどく泣き悲しむこと。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)あいどう【哀慟】:〘名〙 かなしんで、泣き叫ぶこと。心から、かなしみ嘆くこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

 二〇七歌(長歌)をみてみよう。

 

◆天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不己行者 人目乎多見 真根久往者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣渕之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使乃言者 梓弓 聲尓聞而<一云、聲耳聞而> 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴<或本、有謂之名耳聞而有不得者句>

         (柿本人麻呂 巻二 二〇七)

 

≪書き下し≫天飛(あまと)ぶや 軽(かる)の道(みち)は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど やまず行(ゆ)かば 人目(ひとめ)を多み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後(のち)も逢はむと 大船(おほぶね)の 思ひ頼みて 玉かぎる 岩垣淵(いはかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くがごと 照る月の 雲隠(がく)るごと 沖つ藻(も)の 靡(なび)きし妹(いも)は 黄葉(もみちば)の 過ぎてい行くと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 梓弓(あずさゆみ) 音(おと)に聞きて<一には「音のみ聞きて」といふ> 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 音(おと)のみを 聞きてありえねば 我(あ)が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 心もありやと 我妹子(わぎもこ)が やまず出で見し 軽(かる)の市(いち)に 我(わ)が立ち聞けば 玉たすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾(たまぼこ)の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹(いも)が名呼びて 袖ぞ振りつる<或本には「名のみ聞きてありえねば」といふ句あり>

 

(訳)軽(かる)の巷(ちまた)は我がいとしい子のいる里だ、だから通いに通ってよくよく見たいと思うが、休みなく行ったら人目につくし、しげしげ行ったら人に知られてしまうので、今は控えてのちのちに逢(あ)おうと先を頼みにして、岩で囲まれた淵のようにひっそりと思いを秘めて恋い慕ってばかりいたところ、あたかも、空を渡る日が暮れてゆくように、夜空を照り渡る月が雲に隠れるように、沖の藻さながら私に寄り添い寝たあの子は散る黄葉(もみじ)のはかない身になってしまったと、事もあろうにあの子の便りを運ぶ使いの者が言うので、あまりな報(しら)せに<あまりな報せだけに>どう言ってよいかどうしてよいかわからず、報せだけを聞いてすます気にはとてもなれないので、この恋しさの千に一つも紛れることもあろうかと、あの子がかつてしょっちゅう出で立って見た軽の巷に出かけて行ってじっと耳を澄ましても、あの子の声はおろか畝傍の山でいつも鳴く鳥の声さえも聞こえず、道行く人も一人としてあの子に似た者はいないので、もうどうしてよいかわからず、あの子の名を呼び求めて、ただひたすらに袖(そで)を振り続けた。<噂だけを聞いてすます気にはとてもなれないので>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あまとぶや【天飛ぶや】分類枕詞:①空を飛ぶ意から、「鳥」「雁(かり)」にかかる。②「雁(かり)」と似た音の地名「軽(かる)」にかかる。③空を軽く飛ぶといわれる「領巾(ひれ)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)軽 分類地名:今の奈良県橿原(かしはら)市大軽町一帯の地。上代、市(いち)が立って栄えた。(学研)

(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(学研)

(注)まねし【多し】形容詞:数量や回数が多い。度重なっている。 ※上代語。(学研)

(注)べみ:…しそうなので。…に違いないので。 ※派生語。 ⇒参考 上代に、多く「ぬべみ」の形で使われ、中古にも和歌に用いられた。 ⇒なりたち 推量の助動詞「べし」の語形変化しない部分「べ」+原因・理由を表す接尾語「み」(学研)

(注)さねかづら【真葛】分類枕詞:さねかずらはつるが分かれてはい回り、末にはまた会うということから、「後(のち)も逢(あ)ふ」にかかる。(学研)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)隠(こも)りのみ:ひっそりと思いを秘めて。(伊藤脚注)

(注)おきつもの 【沖つ藻の】分類枕詞:沖の藻の状態から「なびく」「なばる(=隠れる)」にかかる。(学研)

(注)たまづさの 【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)

(注)あづさゆみ 【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)

(注)我が立ち聞けば:妻が軽の巷に紛れこんでいるかもしれぬと思っての行為。(伊藤脚注)

(注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(学研)

(注)「鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば」:雑踏に佇みながら孤愁に沈むさま。(伊藤脚注)

(注)「妹が名呼びて 袖ぞ振りつる」:妹の名を呼ぶことで現れる幻影に向かって袖を振る。(伊藤脚注)

 

 二〇七(長歌)、二〇八、二〇九歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その140改)で紹介しております。二〇九歌については次稿「同(その1277)」で紹介させていただきます。

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tom101010.hatenablog.com

 

 (その140)からは、(その58改)の「天理市中山町長岳寺北の山の辺の道の二〇八歌の歌碑」、(その115)の「橿原市地黄町 人麿神社の歌碑」にアクセスができます。

 

「軽」の地は、今の奈良県橿原(かしはら)市大軽町一帯の地をいうが、大軽町の春日神社の万葉歌碑については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その136改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉