●歌は、「山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麻呂作歌二首」<溺(おぼ)れ死にし出雲娘子(いづものをとめ)を吉野に火葬(やきはぶ)る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌二首>である。
(注)溺死:吉野行幸中の出来事か。実際には入水だったらしい。(伊藤脚注)
(注)出雲娘子:伝未詳。出雲出身の采女か。(伊藤脚注)
◆山際従 出雲兒等者 霧有哉 吉野山 嶺霏▼
▼は、雨冠に「微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む
(柿本人麻呂 巻三 四二九)
≪書き下し≫山の際(ま)ゆ出雲(いづも)の子らは霧なれや吉野の山の嶺(みね)にたなびく
(訳)山あいからわき出る雲、その雲のようであった出雲娘子は、まあ、あの霧なのか、そんなはずはあるまいに、吉野の山の嶺に霧となってたなびいている。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)山の際ゆ:「出雲」の枕詞。山の間から湧き出る雲の意。次歌の初句と共に、生前の娘子のはつらつとしたさまを匂わす。(伊藤脚注)
もう一首もみてみよう。
◆八雲刺 出雲子等 黒髪者 吉野川 奥名豆颯
(柿本人麻呂 巻三 四三〇)
≪書き下し≫八雲(やくも)さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ
(訳)盛んにさしのぼる雲、その雲のようであった出雲娘子の美しい黒髪は、まるで玉藻のように吉野の川の沖の波のまにまに揺らめき漂うている。
(注)八雲さす:「出雲」の枕詞。群がる雲がさし出るの意。「八雲立つ」とも。(伊藤脚注)
(注)なづさふ 自動詞:①水にもまれている。水に浮かび漂っている。②なれ親しむ。慕いなつく。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
「鴨山五首」を、梅原 猛氏の「水底の歌 柿本人麿論 上」を参考にみてきたが、同氏は「詩人(人麿)は、神々の如く死を賜わったのであろう。大神の如き荘厳にして華麗なる死ではないにしても、やはり天下第一の詩人には、それにふさわしい死と葬礼が与えられたのであろう。おそらく権力は、・・・詩人に入水を命じて、その屍のけっして人目につかないことをことを願ったのであろう。」と入水による死を賜わったと推論されている。
「・・・問題の五首の前後には奇妙に暗合する歌がある。前には、人麿が狭岑島で石中死人を見る歌があり、後ろには、和銅四年、河辺宮人(かわべのみやひと)が姫島(ひめしま)の松原に嬢子(おとめ)の屍(かばね)を見て悲しみ嘆いて作る歌がある。いずれも水死人の歌である。」とも書かれている。
二二〇から二二二歌の歌群の題詞は、「讃岐(さぬき)の狭岑(さみね)の島にして、石中(せきちゅう)の死人(しにん)を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷(あは)せて短歌」である。この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その320)」で紹介している。
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同氏は、「(二二八、二二九歌)の歌は、明らかに水死人を歌っている。特に後の歌には、はっきり海に沈んだ女が歌われている。そして前の歌は、あなたは海に沈んだけれど、あなたの名は永久に残るという。どうして姫島に沈んだ一人の乙女の名が永久に残るのであろうか。・・・この姫島で死んだ乙女の歌は巻三(四三四から四三七歌)にも出てくる。」と書かれている。
二二八、二二九歌並びに四三四から四三七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1095)」で紹介している。
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さらに「・・・姫島で沈んだ乙女が人麿とどういう関係があるのかは分からない。関係はないかもしれない。しかし、人麿の歌をはさむ二つの水死人の歌は何を意味するのであろう。それは、暗に、人麿の死も水死であることをあらわそうとしているのでないか。」と書かれている。
そして「巻二ばかりでなく、巻三にも人麿が水死人を歌った歌がある。」として、四三〇歌を挙げられている。
「人麿がかくも多く水死人に関心をもっているのはどういうわけであろう。私はこれも、暗に彼の死に様を示すためのものではなかろうかと思う。」と書かれている。
巻一、巻二は宮廷の歴史を中核に編纂されているが、「・・・こういう皇族の歌の中に人麿の歌があるのは、万葉集の編者の人麿にたいする異常なる尊敬のせいであろうが、この人麿が歌ったとはいえ、全く行き倒れの人の如き石中死人を対象にした歌が、ここに載せられているのはどいうわけであろうか。」と書かれ「万葉集編者はひそかに圧殺された真実を語ろう」としているのではと考えられている。
また河辺宮人なる人物は未詳とされているが、伊藤氏も二二八、二二九歌の脚注で「物語上の作者名か。」と書かれている。このような所にも編者の意図が見え隠れしているように思えるのである。
「万葉集対藤原氏」という図式はこれまで以上に明確になってきたように思えてくるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「水底の歌 柿本人麿論 上」 梅原 猛 著 (新潮文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」