万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1791~1793)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(2~4)―万葉集巻四 五九三、巻八 一六二三、巻十一 二六五六

―その1791―

●歌は、「君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(2)万葉歌碑(笠女郎)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆君尓戀 痛毛為便無見 楢山之 小松下尓 立嘆鴨

       (笠女郎 巻四 五九三)

 

≪書き下し≫君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松(こまつ)が下(した)に立ち嘆くかも

 

(訳)君恋しさにじっとしていられなくて、奈良山の小松が下に立ちいでて嘆いております。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)「松」に「待つ」の意を懸ける。同じ奈良内に住ながら切なく待たねばならぬ意をこめる。(伊藤脚注)

 

 この歌は、五八七から六一〇歌までの題詞「笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首」<笠女郎、大伴宿禰家持に贈る歌廿四首>の一首である。六〇九から六一〇歌は、左注に「右の二首は、相別れて後に、さらに来贈(おく)る」とあり、恋の成熟の後、やがて別れにいたるまでの心情の変化が見て取れる歌群である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1094)」で紹介している。

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 笠女郎のこの歌に初めて出会ったのは、2019年3月6日である。このシリーズのブログを書き始めて2番目に訪れた奈良市法蓮町の狭岡(さおか)神社境内にある歌碑であった。

 万葉集には、笠女郎が家持に贈った二十九首の歌が収録されている。ブログを書くにあたり、笠女郎の情熱的というか、大胆な発想を歌に取り入れる独創性に驚かされたのを鮮明に覚えている。

 笠女郎の歌との出会いが万葉集に引き込まれる要因の一つであるといっても過言ではない。

奈良市法蓮町 狭岡神社 万葉歌碑(笠女郎)

狭岡神社

 

 

―その1792―

●歌は、「我がやどのもみつかへるて見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(3)万葉歌碑(大伴田村大嬢)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(3)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」<大伴田村大嬢 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌二首>である。

(注)いもうと【妹】名詞:①姉。妹。▽年齢の上下に関係なく、男性からその姉妹を呼ぶ語。[反対語] 兄人(せうと)。②兄妹になぞらえて、男性から親しい女性をさして呼ぶ語。

③年下の女のきょうだい。妹。[反対語] 姉。 ※「いもひと」の変化した語。「いもと」とも。(学研)

 

◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無

        (大伴田村大嬢 巻八 一六二三)

 

≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし

 

(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)もみつ【紅葉つ・黄葉つ】自動詞:「もみづ」に同じ。※上代語。(学研)

(注)かへで【楓】名詞:①木の名。紅葉が美しく、一般に、「もみぢ」といえばかえでのそれをさす。②葉がかえるの手に似ることから、小児や女子などの小さくかわいい手のたとえ。 ※「かへるで」の変化した語。

(注)大伴田村大嬢 (おほとものたむらのおほいらつめ):大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の娘。大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)は異母妹

 

 大伴田村大嬢の同じような題詞の歌が、七五六~七五九、一四四九、一五〇六、一六六二歌として収録されている。これらについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で紹介している。

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 坂上大嬢は大伴家持の妻である。万葉集には、十一首収録されている。坂上大嬢の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1364)」で紹介している。

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―その1793―

●歌は、「天飛ぶや軽の社の斎ひ槻幾代まであらむ隠り妻ぞも」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(4)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(4)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆天飛也 軽乃社之 斎槻 幾世及将有 隠嬬其毛

      (作者未詳 十一 二六五六)

 

≪書き下し≫天(あま)飛(と)ぶや 軽(かる)の社(やしろ)の斎(いは)ひ槻(つき)幾代(いくよ)まであらむ隠(こも)り妻(づま)ぞも

 

(訳)天飛ぶというわけではないが、の社の槻の木、その神木がいつの世までもあるように、あなたはいつまでも忍び妻のままでいるのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)あまとぶや【天飛ぶや】分類枕詞:①空を飛ぶ意から、「鳥」「雁(かり)」にかかる。。②「雁(かり)」と似た音の地名「軽(かる)」にかかる。③空を軽く飛ぶといわれる「領巾(ひれ)」にかかる。(学研)

(注)上三句は序。下二句の譬喩。(伊藤脚注)

(注)いつき【斎槻】名詞:神が宿るという槻(つき)の木。神聖な槻の木。一説に、「五十槻(いつき)」で、枝葉の多く茂った槻の木の意とも。 ※「い」は神聖・清浄の意の接頭語。(学研)

(注)ぞも 分類連語:〔疑問表現を伴って〕…であるのかな。▽詠嘆を込めて疑問の気持ちを強調する意を表す。 ※上代は「そも」とも。 ⇒なりたち 係助詞「ぞ」+終助詞「も」(学研)

 

巻十一の二六五六から二六六三歌の歌群は、部立「寄物陳思」の神祇に関する歌が収録されている。

(注)じんぎ【神祇】:天の神と地の神。天神地祇。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 万葉時代の神と人との距離感が今もさほど変わらないことには驚きを隠せない。特にこの歌群からはそう感じてしまう。この歌ならびに同歌群の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1134)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会