万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その457)―太子町 太子和みの広場横小公園―万葉集 巻八 八二九 

●歌は、「梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや」である。

 

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太子町 太子和みの広場横小公園万葉歌碑(張氏福子)

●歌碑は、太子町 太子和みの広場横小公園にある。太子和の広場の北東角の交差点、太子幼稚園側にある小さな公園、いわゆるポケットパークである。ここには、「近つ飛鳥の里 太子探訪」説明案内掲示板と歌碑が4基ある。

 

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「近つ飛鳥の里 太子探訪」説明案内掲示

●歌をみていこう。

 

◆烏梅能波奈  佐企弖知理奈波  佐久良<婆那>  都伎弖佐久倍久  奈利尓弖阿良受也  [藥師張氏福子]

                     (張氏福子 巻八 八二九)

 

≪書き下し≫梅の花咲きて散りなば桜花(さくらばな)継(つ)ぎて咲くべくなりにてあらずや  [藥師(くすりし)張氏福子(ちやうじのふくじ)]

 

(訳)梅の花が咲いて散ってしまったならば、桜の花が引き続き咲くようになっているではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)くすし【薬師・医師】名詞:医者。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)➡ここでは、大宰府医師

 

■張氏福子:?-? 奈良時代の医師。

大宰(だざいの)薬師。天平(てんぴょう)2年(730)大宰帥(そち)大伴旅人(おおともの-たびと)宅での梅花の宴に列席してよんだ歌が「万葉集」巻5におさめられている。渡来系氏族で,「藤氏家伝」にみえる方士張福子と同一人とみられる(コトバンク デジタル版日本人名大辞典+Plusより)

 張氏福子の歌は、万葉集にはこの一首のみ収録されている。

 

この歌は、「梅花歌卅二首」(八一五~八四六歌)の一首である。序から「令和」が名づけられたことはこれまで何度か書いてきた。

 改めて、題詞ならびに序をみてみよう。

 

 題詞は、「梅花歌卅二首并序」<梅花(ばいくわ)の歌三十二首幷(あわ)せて序>である。

 

 序は、「天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧 鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 促膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠」

 

≪序の書き下し≫天平二年の正月の十三日に、師老(そちらう)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会(うたげ)を申(の)ぶ。

時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風風和(やはら)ぐ。梅は鏡前(きやうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(くゆ)らす。しかのみにあらず、曙(あした)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて盖(きぬがさ)を傾(かたぶ)く、夕(ゆふへ)の岫(くき)に露結び、鳥は縠(うすもの)に封(と)ぢらえて林に迷(まと)ふ。庭には舞ふ新蝶(しんてふ)あり、空には帰る故雁(こがん)あり。

ここに、天(あめ)を蓋(やね)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝(ひざ)を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言(げん)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(きん)を煙霞(えんか)の外(そと)に開く。淡然(たんぜん)自(みづか)ら放(ゆる)し、快然(くわいぜん)自ら足る。

もし翰苑(かんゑん)にあらずは、何をもちてか情(こころ)を攄(の)べむ。詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す、古今それ何ぞ異(こと)ならむ。よろしく園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して、いささかに短詠(たんえい)を成すべし。

 

(訳)天平二年正月十三日、師の老の邸宅に集まって宴会をくりひろげた。

折しも、初春の佳(よ)き月で、気は清く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる。梅は佳人の鏡前の白粉(おしろい)のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香のように匂っている。そればかりか、明け方の峰には雲が往き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋(きぬがさ)をさしかけたようであり、夕方の山洞(やまほら)には霧が湧き起り、鳥は霧の帳(とばり)に閉じ込められながら林に飛び交うている。庭には春生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋来た雁が帰って行く。

そこで一同、天を屋根とし地を座席とし、膝を近づけて盃(さかずき)をめぐらせる。一座の者みな恍惚(こうこつ)として言を忘れ、雲霞(うんか)の彼方(かなた)に向かって胸襟を開く。心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。

ああ、文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。漢詩にも落梅の作がある。昔も今も何の違いがあろうぞ。さあ、この園梅を題として、しばし倭(やまと)の歌を詠むがよい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)天平二年:西暦七三〇年

(注)くき【岫】①山のほら穴。②山の峰。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)翰苑(かんえん):①文章や手紙 ②「翰林院」に同じ。 ③中国、唐初の類書。張楚金の撰。日本に蕃夷部一巻が現存。

(注)詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す:漢詩にも好んで落梅の作を詠んでいる。

(注)園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して:この庭園の梅を題として。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル版日本人名大辞典+Plus」