万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1156)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(116)―万葉集 巻十七 三九六七歌前文(書簡)

●三九六七歌の前文(書簡)の抜粋は、「・・・豈に慮らめや蘭蕙藂を隔て・・・」である。

f:id:tom101010:20210906145951j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(116)万葉歌碑<プレート>(大伴池主)



●歌碑(プレート)<三九六七歌の前文(書簡)>は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(116)にある。

 

●前文(書簡)ならびに歌をみていこう。

 

 

三九六七ならびに三九六八歌は、三月二日に手紙とともに、池主が家持の手紙に答える形で贈ったものである。手紙をみてみよう。

 

◆(前文)忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能蠲戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼ゝ戯蝶廻花舞 翠柳依ゝ嬌鸎隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蕙隔藂琴罇無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能黙已 俗語云以藤續錦聊擬談咲耳

 

≪前文の書き下し≫たちまちに芳音(ほういん)を辱(かたじけな)みし、翰苑(かんゑん)雲を凌(しの)ぐ、兼(さら)に倭詩(わし)を垂れ、詞林(しりん)錦(にしき)を舒(の)ぶ。もちて吟じもちて詠じ、能(よ)く恋緒(れんしよ)を蠲(のぞ)く。春は樂しぶべく、暮春の風景はもとも怜(あはれ)ぶべし。紅桃(こうたう)灼々(しゃくしゃく)、戯蝶(きてふ)は花を廻(めぐ)りて舞ひ、 翠柳(すいりう)は依々(いい)、嬌鶯(けうあう)は葉に隠(かく)れて歌ふ。楽しぶべきかも。淡交(たんかう)に席(むしろ)を促(ちかづ)け、意を得て言を忘る。楽しきかも美(うるは)しきかも。幽襟(いうきん)賞(め)づるに足れり。あに慮(はか)らめや、蕙(らんけい)藂(くさむら)を隔て、琴罇(きんそん)用ゐるところなからむとは。空(むな)しく、令節を過ぐさば、物色(ぶつしよく)人を軽(かろ)みせむかとは。怨(うら)むるところここに有あり、黙(もだ)してやむこと能(あた)はず。俗(よ)の語(ことば)に云はく、藤を以もちて錦に続(つ)ぐといふ。いささかに談笑(だんせう)に擬(なそ)ふらくのみ。

 

(前文の略私訳)早速、御手紙を頂戴し、その文の勢いは雲を凌ぐばかりです。さらに和歌を詠っておられますが、その詞は錦を織ったかのようです。その歌をくりかえし吟じ、今までのあなた様の思いと違う思いにおどろかされました。春は楽しむべきと思います。三月の風景には、いっそうの感動があります。紅の桃花は光輝き、戯れ飛ぶ蝶は花を舞い、青柳の葉はなよなおと、なまめかしい声の鴬は葉に隠れて鳴いています。何と楽しいことでしょう。君子とのお付き合いでお心が通じ合い、言葉も数多くはいりません。じつに楽しいし麗しいことです。お付き合いで知る奥深いお心はなんとすばらしいことでしょう。ところが、どうしたことなのでしょうか、や蕙といった芳しい花々が叢にうずめ隠され、宴での琴や酒樽を使うこともないとは。空しくこのすばらしい季節をやり過ぎては、自然に侮られてしまいませんか。怨む気持ちになりませんか。語らいもできずにいるとは。世間でいうまるで藤を錦に継ぐといいますような拙い手紙の内容です。すこしでもあなた様のお笑い草にでもなればとの思いです。

(注)たちまち(に)【忽ち(に)】副詞:①またたく間(に)。すぐさま。たちどころ(に)。②突然(に)。にわか(に)。③現(に)。実際(に)。 ※古くは「に」を伴って用いることが多い(学研)

(注)芳音(ほういん):有り難いお便り

(注)翰苑(かんゑん)雲を凌(しの)ぐ:文章は勢いがあって雲を凌ぐよう。「翰苑」は文壇のこと。転じて文章。

(注)詞林(しりん)錦(にしき)を舒(の)ぶ:言葉の綾は錦を織ったよう。「詞林」は詩歌の譬え。

(注)ぼしゅん【暮春】;① 春の終わり。春の暮れ。晩春。② 陰暦3月の異称。(goo辞書)ここでは②の意

(注)「紅桃」、「戯蝶(きてふ)」、「翠柳(すいりう)」、「嬌鶯(けうあう)」等は遊仙窟にみえる語

(注の注)遊仙窟:中国唐代の小説。張鷟(ちょうさく)(字(あざな)は文成)著。主人公の張生が旅行中に神仙窟に迷い込み、仙女の崔十娘(さいじゅうじょう)と王五嫂(おうごそう)の歓待を受け、歓楽の一夜を過ごすという筋。四六文の美文でつづられている。中国では早く散逸したが、日本には奈良時代に伝来して、万葉集ほか江戸時代の洒落本などにも影響を与えた。古写本に付された傍訓は国語資料として貴重。遊僊窟。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)いい【依依】:[文][形動タリ]思い慕うさま。離れがたいさま。(goo辞書)⇒なよなよした様

(注)淡交(たんかう)に席(むしろ)を促(ちかづ)け、意を得て言を忘る:淡々たる君子の交際においては席を近づけただけで、互いの心は通じ合い、ことばは不要となる。

(注)幽襟(いうきん):交わって知られる奥深い心

(注)蘭蕙(らんけい)藂(くさむら)を隔て:蘭と蕙との香草が叢(くさむら)を隔てているように交際もかなわず

(注の注)らんけい【蘭蕙】:蘭と蕙。ともに香草で、賢人君子にたとえられる。(goo辞書)

(注)琴樽(読み)きんそん:〘名〙 琴と酒樽。琴を奏したり酒を飲んだりすること。楽しく遊ぶこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)物色(ぶつしよく)人を軽(かろ)みせむかとは:自然の風情が人を軽んじることになりはしまいか。自然に侮られることをいう。

(注)藤を以もちて錦に続(つ)ぐ:駄作を秀作に継ぐことの譬え

(注)談笑(だんせう)に擬(なそ)ふらくのみ:お笑い草に当てようとするのみ

 

 三九六七歌をみてみよう。

 

◆夜麻我比迩 佐家流佐久良乎 多太比等米 伎美尓弥西氏婆 奈尓乎可於母波牟

                                   (大伴池主 巻十七 三九六七)

 

≪書き下し≫山峽(やまがひ)に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ

 

(訳)山あいに咲いている桜、その桜を、一目だけでもあなたにお見せたできたら、何の心残りがありましょう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 前文(書簡)ならびに三九六七、三九六八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その959)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 植物解説板を写し損なった。歌碑(プレート)には、万葉名「らに」、現代名「シュンラン」と書かれている。

 「『植物で見る万葉の世界』國學院大學 萬葉の花の会 著(同会 事務局)」によると、「『らに』をシランとする説もあるが、シュンランとするほうが有力である。『らに』については歌には詠まれていない。(中略)『シュンラン』はラン科の多年草。本州以南の各地の山中に自生し、木漏れ日が射し、水はけのよい斜面などに群生する。古来、秋の菊と並び賞せられ、庭植えや鉢植えにして植栽される。(後略)」とある。

 

f:id:tom101010:20210906145344p:plain

「シュンラン」 「みんなの趣味の園芸」 NHK出版HPより引用させていただきました。



 

「蘭(らん)」は、令和の原典となった「梅花歌卅二首并序」<梅花(ばいくわ)の歌三十二首幷(あわ)せて序>にも見られる。

 

◆(序文)天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 薫珮後之香・・・

 

≪序の書き下し≫天平二年の正月の十三日に、師老(そちらう)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会(うたげ)を申(の)ぶ。時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前(きやうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(くゆ)らす。・・・

 

「梅花歌卅二首并序」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その683、番外)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

池主の手紙は「蘭蕙」で、梅花の序は「蘭薫」である。慌てると間違いそうである。

「蘭」の読みも、春日大社神苑萬葉植物園の歌碑(プレート)や「植物で見る万葉の世界」(國學院大學 萬葉の花の会 著)では「らに」と読んでいる。

「らに【蘭】:《「らん」の撥音「ん」を「に」と表記したもの》フジバカマの古名。」(goo辞書)の説もあるが、「藤袴」は秋の七種の一つであるから、季節がずれてしまうように思うのである。

 

「蘭」ひとつでも検索し諸説を学ぶだけでもこれまでになかった知識が多少は身につくのも楽しいものである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「goo辞書」

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)