万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その464)―八尾市志紀町 志紀駅―万葉集 巻七 一三八五

●歌は、「真鉋持ち弓削の川原の埋れ木のあらはるましじきことにあらなくに」

 

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八尾市志紀町 志紀駅万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、八尾市志紀町 志紀駅にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆眞釶持 弓削河原之 埋木之 不可顕 事尓不有君

              (作者未詳    巻七 一三八五)

 

≪書き下し≫真鉋(まかな)持ち弓削(ゆげ)の川原(かはら)の埋(うも)れ木(ぎ)のあらはるましじきことにあらなくに

 

(訳)弓削の川原の埋れ木が、現れずにすむことなどすむことなどあるはずはけっしてないのだが・・・。((伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)うもれぎ【埋もれ木】:① 長く水中や土中に埋もれた木が完全には炭化せず、まだ木質を残しているもの。黒褐色または緑褐色で木目が美しく堅いため細工物の材料とする。神代木(じんだいぼく)。② 世間から顧みられない不遇の身の上。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)まかなもち【真鉋持ち】:[枕]鉋 (かんな) で弓を削る意から、地名の「弓削 (ゆげ) 」にかかる。(goo辞書」

 

 題詞は、「寄埋木」<埋れ木に寄す>である。「埋れ木」は、人に知られたくない交際の譬え。

 

 歌碑は、JR大和路線の志紀駅西口ロータリーの中心部に立っている。裏側に歌や弓削の川原に関する説明が次のようになされている。

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歌碑裏側説明解説案内文

 「この附近は、旧大和川の河川敷に当り、弓削の河原と呼ばれていたところである。往古の大和川は、亀の瀬峡谷を経て石川との合流点から北流し、この地方の農耕、文化や交通の発展に多大の貢献をした。しかし、常に膨大なる土砂を堆積したので、屡々氾濫し、そのため流路は、たえず変化した。

 この歌は、弓削の河原にある埋れ木がやがて現れ出るように、わたしたちの仲は世間に知られないはずもないという心情を「弓削の河原の埋れ木」に喩えて詠まれたものである。」

 今の大和川は、志紀駅から南へ2kmほどの所を流れている。

 

「志紀」については、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』を参考にみてみる。大阪府八尾市内の一地域。八尾市の南部に位置し、八尾市と合併する前の南河内郡志紀町であった地域である。「志紀」の歴史については、律令制制定以降は河内国志紀郡に属する。古来より物部氏一族・弓削氏の本拠地であり、弓削道鏡の出身地(曙川東に由義寺跡が存在する)である。渋川道(奈良街道)の経由地であり、交通の要所であった、と記されている。

 

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JR志紀駅西口

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「goo辞書」

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」