●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。
●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(31)にある。
●歌をみていこう。
◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬
(大伴家持 巻十九 四一三九)
※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」
≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)
(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
「バラ科の落葉高木ウメ・サクラ・モモの中では、モモは中国では古く詩経の中にも見え、桃源郷として憧れを持たれ、桃李と言い習わされているのに、万葉集にわずか七首にしか歌われず、もっとも数少ない。それも、桃の花としては大伴家持が二首に唯一歌うのみで、他は毛桃というように桃の実が、あるいは桃花染め(つきぞめ)のように染の材として歌われるばかりである。
中国の絵でも思わせるこの歌は、天平勝宝二年三月一日に越中国庁(現、富山県高岡市伏木町勝興寺(しょうこうじ)付近)の夕暮れ時に、守(現在の知事にあたる)大伴家持が桃李を歌った二首の中の一首である。花が好きであった大伴は、特にこの年三月一日から三日の間に、桃、李、かたかご(今のカタクリ)の花、桜、椿など、やつぎばやに花の歌を歌い、ものに憑かれたように美に酔っている。
詩経の「桃夭(とうよう)」という詩は、嫁いで行く乙女を桃に見立てて、褒め称え、桃のように美しく、桃のように葉の繁る、桃のよう実がたくさんできる乙女が嫁いだ先は、将来栄えるに違いないと寿いだものだ。家持の幻想的に歌う娘子も、美しい上に何か呪術的なものを宿しているようである。」(万葉の小径歌碑 もも)
この歌はの題詞は、「天平勝寳二年三月一日之暮眺曯春苑桃李花作二首」<天平(てんぴやう)勝宝(しようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺曯(なが)めて作る歌二首>である。
もう一首は次の通りである。
◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母
(大伴家持 巻二〇 四一四〇)
≪書き下し≫我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも
(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(同上)
(注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
「万葉の小径歌碑 もも」の説明にもあったが、「もも」は、万葉集では七首しか詠まれていない。
他の六首をみてみよう。
◆向峯尓 立有桃樹 将成哉等 人曽耳言焉 汝情勤
(作者未詳 巻七 一三五六)
≪書き下し≫向(むか)つ峰(を)に立てる桃(もも)の木ならめやと人ぞささやく汝(な)が心ゆめ
(訳)向かいの高みに立っている桃の木、あんな木に実(み)などなるものかと人がひそひそ噂している。お前、しりごみするなよ、けっして。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句、思う女の譬え。
(注)ならめやと:実などなるものかと。➡二人の仲が成就しないことの譬え。
◆波之吉也思 吾家乃毛桃 本繁 花耳開而 不成在目八方
(作者未詳 巻七 一三五八)
≪書き下し≫はしきやし我家(わぎへ)の毛桃(けもも)本(もと)茂(しげ)く花のみ咲きてならずあらめやも
(訳)かわいい我が家(や)の毛桃、この桃の木には根元までいっぱい花が咲くだけで、実がならないのであろうか。まさかそんなことはあるまいな。(同上)
(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。
参考:愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。
なりたち形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(学研)
(注)上二句➡愛する娘の譬え。(親の立場)
(注)「本繁 花耳開而」:男からの求婚が多いだけで、の意。
(注)毛桃:桃の実を比喩にして、美しい乙女をいう。
◆吾屋前之 毛桃之下尓 月夜指 下心吉 菟楯頃者
(作者未詳 巻十 一八八九)
≪書き下し≫我がやどの毛桃(けもも)の下(した)に月夜(つくよ)さし下心(したごころ)よしうたてこのころ
(訳)我が家の庭の毛桃の下に、月の光が射しこんで、心中が何となしに楽しい。不思議にこのごろは。(同上)
(注)したごころ【下心】名詞:①内心。本心。②前からのたくらみ。(学研)
(注)うたて【転】副詞:①ますますはなはだしく。いっそうひどく。
「うたてこのごろ」⇒「ますますはなはだしくこのごろは。」②異様に。気味悪く。③面白くなく。不快に。いやに。(学研)
◆日本之 室原乃毛桃 本繁 言大王物乎 不成不止
(作者未詳 巻十一 二八三四)
≪書き下し≫大和(やまと)の室生(むろふ)の毛桃(けもも)本繁(もとしげ)く言ひてしものを成らずはやまじ
(訳)大和の室生(むろう)の毛桃、その根元がよく茂っているように、心をこめてしげしげと言葉を交わしたのだもの、実らせないではおくまい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序、「本繁く」を起こす。
◆桃花褐 淺等乃衣 淺尓 念而妹尓 将相物香裳
(作者未詳 巻十二 二九七〇)
≪書き下し≫桃花染(ももそ)めの浅らの衣(ころも)浅からに思ひて妹(いも)に逢はむものかも
(訳)桃色染めの色の浅い着物、その色浅い着物のように、あっさりと軽い気持ちであなたに逢ったりするものか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。
(注)あらぞめ【荒染・〈退紅〉・〈桃花染〉】①紅花で染めた薄い紅色。洗い染。②薄い紅色の布狩衣(ぬのかりぎぬ)の短いもの。仕丁が着用した。(weblio辞書 三省堂大辞林 第三版)下級の人の服色。
◆桃花 紅色尓 ゝ保比多流 面輪乃宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理・・・
(大伴家持 巻十九 四一九二)
≪書き下し≫桃の花 紅色(くれなゐいろ)に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 青柳(あをやぎ)の 細き眉根(まよね)を 笑(ゑ)み曲(ま)がり・・・
(訳)桃の花、その紅色(くれないいろ)に輝いている面(おもて)の中で、ひときわ目立つ青柳の葉のような細い眉、その眉がゆがむほどに笑みがこぼれて・・・(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)三
(注)おもわ【面輪】名詞:顔。顔面。(学研)
(注)あをやぎの【青柳の】分類枕詞:①その葉の形がまゆ毛に似ているところから、「細き眉根(まよね)」にかかる。②その枝を「糸」に見立てて、糸と同音の副詞「いと」「いとど」に、また、枝を「鬘(かづら)」にするので地名「葛城山(かづらきやま)」にかかる。(学研)
(注)ゑみまぐ【笑み曲ぐ】自動詞:うれしくて笑いがこぼれる。(口や眉(まゆ)が)曲がるほど相好(そうごう)を崩す。(学研)
「桃」の詠まれている歌を整理すると次のようになる。
一三五六歌:「桃樹」 譬喩歌 「寄木」
一三五八歌:「毛桃」 譬喩歌 「寄木」
一八八九歌:「毛桃」 譬喩歌
二八三四歌:「毛桃」 譬喩 左注は「右一首寄菓喩思」
<右の一首は、菓(このみ)に寄せて思ひを喩(たと)ふ>
二九七〇歌:「桃花」 寄物陳思
四一三九歌:「桃花」 (大伴家持)
四一九二歌:「桃花」 (大伴家持)
「桃花」そのものを歌い上げたのは家持の二首であるが、「毛桃」は美しい乙女の譬えであり、他も女性をイメージした歌である。桃の種子は、生薬の「桃仁(トウニン) )と呼ばれ、血のめぐりをよくして、腸をうるおし、女性の「血の道症」に多く用いられるという。また、女の子の祭りを「ももの節句」というように桃は女性と関わりが深いのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉の小径歌碑 もも」