●歌は、「鳴る神の音のみ聞きし巻向の桧原の山を今日見つるかも」である。
●歌碑は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(16)にある。
●歌をみていこう。
◆動神之 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨
(柿本人麻呂 巻七 一〇九二)
≪書き下し≫鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原(ひはら)の山を今日(けふ)見つるかも
(訳)噂にだけ聞いていた纏向の檜原の山、その山を、今日この目ではっきり見た。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)なるかみの【鳴る神の】分類枕詞:「雷の」の意から、「音(おと)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)なるかみ 【る神】名詞:かみなり。雷鳴。 ※参考「かみなり」は「神鳴り」、「いかづち」は「厳(いか)つ霊(ち)」から出た語で、古代人が雷を、神威の現れと考えていたことによる。(学研)
当時、巻向の檜原の山と言えば、誰一人知らないものはいないほどであったのだろう。雷鳴のような評判を聞いているとの歌いだしが物語っている。
「檜(ひ)」はヒノキのことである。万葉集では九首詠まれている。九首のうち七首が「檜原(ひはら)」で詠まれている。
「泊瀬の檜原」:巻七 一〇九五
「巻向の檜原」:巻七 一〇九二、巻十 一八一三、巻十 二三一四
「三輪の檜原」:巻七 一一一八、巻七 一一一九
「丹生の檜原」:巻十三 三二三二
巻一 五〇歌では、「・・・真木さく『檜』のつまでを・・・」と、巻十六 三八二四歌では、「・・・櫟津の『檜』橋・・・」と詠まれている。
題詞は「詠山」である。
一〇九四の歌の左注に「右三首柿本朝臣人麻呂之歌集出」とある。
他の二首も見てみよう。
◆三毛侶之 其山奈美尓 兒等手乎 巻向山者 継之宜霜
(柿本人麻呂 巻七 一〇九三)
≪書き下し≫みもろのその山なみに子らが手を巻向山(まきむくやま)は継(つ)ぎのよろしも
(訳)三輪山のその山並(やまなみ)にあって、いとしい子が手をまくという名の巻向山は、並び具合がたいへんに好ましい。(同上)
(注)みもろ【御諸・三諸・御室】:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神野語座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など、特に、「三輪山(みわやま)にいうこともある。また、神坐や神社。「みむろ」とも。(学研)
(注)子らが手を(枕詞):巻向山にかかる
(注)つぎ【継ぎ・続ぎ】名詞:①続くこと。続きぐあい。②跡継ぎ。世継ぎ。(学研)
堀内民一氏は「大和万葉―その歌の風土」の中で、「山の辺の道を歩くひとびとは、巻向の珠城宮の故地、珠城山古墳のあたりから、三輪山(みもろ山)と、巻向山の山裾が、交叉しているようすを眺めて、(中略)あまりにもなごやかな山のならび具合に、この歌のこころを味あうだろう」と述べておられる。機会を作って見てみたいものである。
◆我衣 色取染 味酒 三室山 黄葉為在
(柿本人麻呂 巻七 一〇九四)
≪書き下し≫我が衣ににほひぬべくも味酒(うまさけ)三室(みむろ)の山は黄葉(もみち)しにけり
(訳)私の着物が美しく染まってしまうほどに、三輪の山は見事に黄葉している。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)ぬべし:①(「べし」が推量の意の場合)きっと~だろう。~てしまうにちがいない。 ②(「べし」が可能の意の場合)できる~はずである。③(「べし」が意思の意の場合)~てしまうつもりである。きっと~ しよう。 ※注意「ぬ」はこの場合、確述を表す。 ※なりたち完了(確述)の助動詞「ぬ」の終止形+推量の助動詞「べし」 (学研)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」