万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その759)―日高郡由良町 白崎万葉公園―万葉集 巻九 一六六八

●歌は、「白崎は幸くあり待て大船に真楫しじ貫きまた帰り見む」である。

 

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日高郡由良町 白崎万葉公園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、日高郡由良町 白崎万葉公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆白埼者 幸在待 大船尓 真梶繁貫 又将顧

               (作者未詳 巻九 一六六八)

 

≪書き下し≫白崎(しらさき)は幸(さき)くあり待て大船(おほぶね)に真梶(まかじ)しじ貫(ぬ)きまたかへり見む

 

(訳)白崎よ、お前は、どうか今の姿のままで待ち続けていておくれ。この大船の舷(ふなばた)に櫂(かい)をいっぱい貫(ぬ)き並べて、また立ち帰って来てお前を見よう(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)白崎:和歌山県日高郡由良町

(注)まかぢ【真楫】名詞:楫の美称。船の両舷(りようげん)に備わった楫の意とする説もある。「まかい」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しじぬく【繁貫く】他動詞:(船のかいなどを)たくさん取り付ける。(学研)

 

 

 この歌を含む一六六七から一六七九歌の歌群の題詞は、「大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇紀伊國時歌十三首」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の冬の十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)・大行天皇(さきのすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌十三首>である。

(注)ここでは太上天皇持統天皇大行天皇文武天皇をさす。

 

 十三首すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その742)」で紹介している。

 ➡ こちら742

 

「わかやま観光情報」(公益社団法人 和歌山県観光連盟)によると、白崎万葉公園について、次のように紹介されている。

「持統・文武天皇牟婁の湯(白浜温泉)への行幸の折に詠まれた歌を万葉歌碑にして設置しています。万葉の昔から変わらない白崎海岸の美しい景観が詠まれています。」

 

 阪和自動車道広川ICを出て国道42号線を走る。山中の道である。しばらくして県道24号線を進み海岸線を走ると右手にポケットパーク的な白崎万葉公園が見えて来る。現代の和歌を記した歌碑と万葉歌碑2基が建てられている。トイレも完備されている。

 

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白崎万葉公園 歌碑と海

 海岸線をしばらく進むと白崎海洋公園に行き着く。道の駅もある。日本のエーゲ海とも称されるだけあって、石灰岩の白と海の青のコントラストが美しい。

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白崎海洋公園


 

この歌群の一六七一歌に「白神の磯の浦み」という表現があるが、白崎海岸の石灰岩質の白い海岸を神宿るとしてこのように表現したのでないかと思われる。ロマンあふれる光景である。

 

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海洋公園波打ち際

 駐車場に車を止め、海岸縁を歩く。浜辺に出られるので波打ち際まで行って見る。足元の石ころを見てみると無数の穴が開いている。後で調べて分かったのだが、イシマテ貝の住処跡のようである。石灰質や砂岩など硬度の低い岩石に穴をあけるのだそうである。

(注)石馬刀貝(読み)イシマテガイ:イガイ科の二枚貝。海岸の岩やサンゴ塊に穴をあけてすむ。貝殻は円筒形で茶褐色をし、殻長約5センチ。肉は黄白色で、美味。いしわり。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 

◆◆◆由良・有田・海南万葉歌碑めぐり◆◆◆

 

 令和2年9月15日、由良・有田・海南万葉歌碑めぐりを行った。

前回、旧海南市役所の歌碑の移転先がわからず、あきらめたが、今回の計画策定にあたり、再度、先達たちのブログを読み直し、さらにいろいろ検索もかけてみた。 

市役所で移転先を尋ねたが、わからなかったということは、市役所管理ではないのはあきらか。ブログやらHPで有田市内の歌碑を検索していくと、ロータリークラブが記念行事などで建立している記事が飛び込んできた。ロータリークラブがポイントと絞り込み、前日電話をしてみた。残念ながら係りの人が不在であった。ロータリークラブの勤務時間等を勘案し、予定を変更した。当初は海南市から由良町への予定であったが、由良町から海南市へ戻る計画に逆転させた。

変更後の予定は、①白崎万葉公園、②得生寺、③立神社、④下津町大崎、⑤シモツピアーランド入口、⑥粟嶋神社、⑦海南市(旧市役所の歌碑)、⑧紀三井寺、である。

 

実際は、一部計画通りにはいかなかった。

神社は同じ名前が多いので、ナビ入力に際しては、確認が必要であるが、今回は2度も失敗してしまった。立神社と粟嶋神社である。

カーナビで、立神社は、有田市野(野という地名である)の住所の方を選択してしまったようだ。こちらは「たてじんじゃ」と読む。境内を探索するも歌碑が見当たらず、社務所に行くも不在で、電話で問い合わせる。「こちらには歌碑はありません」との返事であった。仕方なく、駐車場に戻ろうと歩いていると前の方から老婦人が歩いてこられ、「先ほどお電話をいただいた方ですか。」と。いろいろお話を伺い、海南市下津町の立神社(こちらは、「たてがみしゃ」である。地元では、「たてがみさん」と呼んでいるとのこと)と確信する。ルート的にはオンラインであるので、ほとんどロスなく予定通り歌碑を見ることができた。

粟嶋神社は、漢字転換した時に「淡島神社和歌山市加太)」となっていたのを確認せずインプットしてしまったようである。走っていると紀三井寺近くまで来ており、おかしいと思い、計画を変更、紀三井寺へ。231段の階段を上り本堂前の歌碑を見た後、息を整える間もなく、ロータリークラブに電話を入れる。係りの人は外出で16時ごろ事務所に戻られるとのこと。海南駅で時間調整することにした。

リベンジの旧海南市役所の歌碑は、漸く16時過ぎにロータリークラブの電話が通じ教えてもらうことができた。

 

カーナビ入力はひらかな一字一字指先入力であり、時間がかかる。マイナーな案件はヒットしないことが多く、やり直したり、住所入力に切り替えたりといらいらすることが多い。

ヒットしただけで気分的に舞い上がり確認がおろそかになりロスが発生する。万葉びとに笑われそうな基本的なミスである。またやってしまったと反省ばかり。

粟島神社はまた次の機会に組み入れよう。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「わかやま観光情報」(公益社団法人 和歌山県観光連盟)