万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その753,754,755)―海南市黒江 名手酒造駐車場―万葉集 巻九 一六七五、巻二 一四二、巻七 一二一八

―その753―

●歌は、「藤白の御坂を越ゆと白栲の我が衣手は濡れにけるかも」である。

 

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海南市黒江 名手酒造駐車場万葉歌碑(プレート)(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、海南市黒江 名手酒造駐車場にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その746)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◆藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣乎者 所沾香裳

               (作者未詳 巻九 一六七五)

 

≪書き下し≫藤白(ふぢしろ)の御坂(みさか)を越ゆと白栲(しろたへ)の我(わ)が衣手(ころもで)は濡(ぬ)れにけるかも

 

(訳)藤白の神の御坂を越えるというので、私の着物の袖は、雫(しずく)にすっかり濡れてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)藤白の神の御坂:海南市藤白にある坂。有間皇子の悲話を背景に置く歌。

 

一六六七から一六七九歌十三首の題詞は、「大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇紀伊國時歌十三首」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の冬の十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)・大行天皇(さきのすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌十三首>である。(ここにいう太上天皇持統天皇大行天皇文武天皇である。)。

 

 

 

―その754―

●歌は、「家なれば笱に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」である。

 

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海南市黒江 名手酒造駐車場万葉歌碑(プレート)(有間皇子

●歌碑(プレート)は、海南市黒江 名手酒造駐車場にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、直近であれば、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その747)」で紹介している。 ➡ こちら747

 

◆家有者 笱尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉盛

            (有間皇子 巻二 一四二)

 

≪書き下し≫家なれば笱(け)に盛(も)る飯(いひ)を草枕旅(たび)にしあれば椎(しひ)の葉に盛る

 

(訳)家にいる時にはいつも立派な器物(うつわもの)に盛ってお供えをする飯(いい)なのに、その飯を、今旅の身である私は椎(しい)の葉に盛って神祭りをする。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞は、「有間皇子自傷結松枝歌二首」<有間皇子(ありまのみこ)、自みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首>である。

 

 有間皇子は、孝徳天皇と妃の小足媛(おたらしひめ、阿倍倉梯麻呂の娘)の皇子。大化元年(645年)孝徳天皇が即位したことにより皇位継承の可能性が高まった。しかし、政治の実権は、皇太子である中大兄皇子(のちの天智天皇)が握っており、後ろ盾となる外祖父の左大臣倉梯麻呂が死去、さらに孝徳天皇中大兄皇子と不和が顕著になり、難波宮で執政しようとするも、中大兄皇子は大和遷都を提案、拒否されるも天皇をいわば置き去りにして大和に還るのである。孝徳天皇は、白雉五年(654年)に悶死、いっそう有間皇子の立場は危ういものとなっていったのである。

 そして斉明二年(656年)有間皇子の悲劇が起こったのである。

 

 

 -その755―

●歌は、「黒牛の海紅にほふももしきの大宮人しあさりつらしも」である。

 

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海南市黒江 名手酒造駐車場万葉歌碑(プレート)(藤原卿)

●歌碑(プレート)は、海南市黒江 名手酒造駐車場にある。

 

●歌をみていこう

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その744)」で紹介している。

 ➡ こちら744

 

◆黒牛乃海 紅丹穂経 百礒城乃 大宮人四 朝入為良霜

               (藤原卿 巻七 一二一八)

 

≪書き下し≫黒牛(くろうし)の海(うみ)紅(くれなゐ)にほふももしきの大宮人(おおみやひと)しあさりすらしも

 

(訳)黒牛の海が紅に照り映えている。大宮に使える女官たちが浜辺で漁(すなど)りしているらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)黒牛の海:海南市黒江・船尾あたりの海。

(注)あさり【漁り】名詞 <※「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる>:①えさを探すこと。②魚介や海藻をとること。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 空と海の青、雲の白、女官たちの裳の紅、漁(すなど)りする藻の緑、鮮やかな色取が目に浮かぶ歌である。

 

 一二一八から一一九五歌までの歌群の左注は、「右七首者藤原卿作 未審年月」<右の七首は、藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)が作 いまだ年月審(つばひ)らかにあらず>である。

(注)伊藤 博氏の巻七 題詞「羇旅作」の脚注に、「一一六一から一二四六に本文の乱れがあり、それを正した。そのため歌番号の順に並んでいない所がある。」と書かれている。 この歌群もそれに相当している。

 

歌のみ並べてみる。

 

◆黒牛乃海 紅丹穂経 百礒城乃 大宮人四 朝入為良霜

               (藤原卿 巻七 一二一八)

◆若浦尓 白浪立而 奥風 寒暮者 山跡之所念

               (藤原卿 巻七 一二一九)

◆為妹 玉乎拾跡 木國之 湯等乃三埼二 此日鞍四通

               (藤原卿 巻七 一二二〇)

◆吾舟乃 梶者莫引 自山跡 戀来之心 未飽九二

               (藤原卿 巻七 一二二一)

◆玉津嶋 雖見不飽 何為而 褁持将去 不見人之為

               (藤原卿 巻七 一二二二)

◆木國之 狭日鹿乃浦尓 出見者 海人之燎火 浪間従所見

               (藤原卿 巻七 一一九四)

◆麻衣 著者夏樫 木國之 妹背之山二 麻蒔吾妹

               (藤原卿 巻七 一一九五)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」