万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2350)―

■かたくり■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「もののふの八十娘子らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆物部乃 八十▼嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花

    (大伴家持 巻十九 四一四三)

     ※▼は「女偏に感」⇒「▼嬬」で「をとめ」

 

≪書き下し≫もののふの八十(やそ)娘子(をとめ)らが汲(く)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上の堅香子(かたかご)の花

 

(訳)たくさんの娘子(おとめ)たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子(かたかご)の花よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まがふ【紛ふ】自動詞:①入りまじる。入り乱れる。入りまじって区別できない。②まちがえる。よく似ている。区別がつかない。(学研)ここでは①の意

(注)かたかご【堅香子】名詞:植物の名。かたくりの古名。(学研)

 

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感想(1件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その823)」で、高岡市伏木古国府 勝興寺西南・寺井の跡の歌碑とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 JR高岡駅前の家持ブロンズ像台座にもこの歌碑プレートがある。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その858)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 この歌の三句目「挹」は「汲(く)み乱(まが)ふ」と読んで「さざめき入り乱れて水を汲む」と訳されている。

 「まがふ」と詠まれた歌をみてみよう。

 

■巻三 二六二■

◆矢釣山 木立不見 落 雪驪 朝樂毛

       (柿本人麻呂 巻三 二六二)

 

≪書き下し≫矢釣山(やつりやま)木立(こだち)も見えず降りまがひ雪の騒(さわ)ける朝(あした)楽(たの)しも

 

(訳)矢釣山、この山の木立も見えないほどに降り乱れて、雪のさわさわと積もるこの朝の何とも楽しいことよ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)明日香村八釣の山。近くに新田部皇子の宮があったのであろう。(伊藤脚注)

 

 

■巻八 八四四■

◆伊母我陛邇 由岐可母不流登 弥流麻提尓 許ゝ陀母麻我不 烏梅能波奈可毛  [小野氏國堅]

       (小野氏國堅 巻八 八四四)

 

≪書き下し≫妹(いも)が家(へ)に雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも  [小野氏(をのうじの)國堅(くにかた)]

 

(訳)いとしい子の家に行(ゆ)きというではないが、雪が降るのかと見紛(みまが)うばかりに、梅の花がしきりに散り乱れている。美しくも好もしい花よ。(同上)

(注)ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。(学研)

 

 

■巻八 一六四〇■

題詞は、「大宰帥大伴卿梅歌一首」<大宰帥大伴卿が梅の歌一首>である。

 

◆吾岳尓 盛開有 梅花 遺有雪乎 鶴鴨

       (大伴旅人 巻八 一六四〇)

 

≪書き下し≫我が岡に盛(さか)りに咲ける梅の花残れる雪をまがへつるかも

 

(訳)我が家の岡にまっ盛りに咲いている梅の花、その花と、そばに消え残っている白雪とを見まちがえてしまったよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 (角川ソフィア文庫より)

(注)まがへつる:梅の花と見まちがえた。「まがふ」は混じり合って見分けがつかない意。(伊藤脚注)

 

 

■巻十 一八六七■

◆阿保山之 佐宿木花者 今日毛鴨 散 見人無二

       (作者未詳 巻十 一八六七)

 

≪書き下し≫阿保山(あほやま)の桜の花は今日(けふ)もかも散り乱(まが)ふらむ見る人なしに

 

(訳)阿保山の桜の花は、今日もまた、いたずらに散り乱れていることであろうか。見る人もいないままに。(同上)

(注)阿保山:所在未詳。不退寺周辺の丘陵か。(伊藤脚注)

 

 

 家持は「まがふ」を複数の娘子を対象に使っており、他の歌の「まがふ」が自然対象物である点が大きく異なっている。娘子たちの賑やかな、開放的な気持ちをより効果的に表しているように思えるのである。

 

 犬養 孝氏は、その著「万葉の人びと」(新潮文庫)の中で、「『八十をとめ』、つまり大勢の乙女たちがくみ乱れている、このうきうきした気分をつかむためには、越中という土地柄をしらなければならないと思う。つまり、越中のような所の春は、冬が陰鬱で長いだけに、どんなに春を待つことでしょう。・・・待ちこがれていた春になった。・・・だから『八十をとめ』たちが、ペチャクチャと喋りながら春の喜びの心持をいっぱい表して、寺の泉のほとりを出たり入ったりしている。そうしたうきうきした気分がよく出ていますね。」と、さらに「可憐清純な中の艶美」が打ち出された歌と書かれている。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」