●今朝のサンドイッチはサンチュと焼豚。三角形を4切れ、長方形を4切れとし交互に小鹿田焼(おんたやき)の丸皿に盛り付けた。「飛びカンナ」といわれる金属製のへらを使って模様をつける技法で有名である。ろくろで回転させた例えば皿に刃先をあてると粘土を削ったその反発で飛びほぼ一定の間隔で削り模様が連続してできる技法である。
デザートはキウイを切り抜いたものを4枚並べ中心に2種のぶどうを合わせ切りしたものを置いた。周囲にはバナナやブドウを配し干しブドウでアクセントをつけた。
昨日行った奈良山瓦窯跡のうちの歌姫瓦窯跡と音如ヶ谷瓦窯跡について記す。
上人ヶ平遺跡公園を後にし、24号線に出る。窯跡は埋め戻されているのでどこにあるかはわからないが、県境を挟んだ空き地(京都府木津川市)にあるようだ。窯跡の説明看板は隣の佐保台西町街区公園(奈良県奈良市歌姫町)にある。およそ整備された公園ではない。
奈良時代後半(八世紀後半)の瓦窯で、調査により六基の平窯が確認されたとある。
歌姫街道(大和国と山背国の国境を越える古道:京都府道751号線木津平城線、奈良県道751号線木津平城線)を少し入った小高い丘に音浄ヶ谷公園がある。何回ナビが、「奈良県に入りました」「京都府に入りました」と言ったことだろう。
公園の碑のとんがりあたりの後、自動車道の先あたりが上人ヶ平遺跡公園である。ここから左側に緩やかに下ると音如ヶ谷瓦窯跡がある。窯跡と工房跡の案内もある。
大規模なレプリカではあるが2基の窯を展示している。
写真ではわかりづらいが、建屋の前の8本の石柱は作業所か何かの柱跡を示している。真ん中あたりに水飲みの立水栓があるがその左横の石を並べた楕円状のものが窯跡を示している。
この地で瓦が焼かれ平城京へと送られていたのである。
この写真の向かって左側のこんもりした傾斜の奥に「歌姫西瓦窯跡」がある。
音浄ヶ谷公園にはこのよう音如ヶ谷と歌姫西の二つの瓦窯跡がある。
開発されたマンション群の中に取り残されたような未整備の公園の一角にある。窯跡のすぐ横には今年の台風になぎ倒された木々が枯れた状態のまま放置されている。
ここも窯のレプリカが設置されているが、残念ながら荒れ放題といった感じである。
これから整備されていくのであろうが今の状態では訪れる人はほとんどないであろう。
この写真の後方のフェンスが県境であり、移っている家屋は京都府精華町である。
「高の原の古道」という石碑がぽつんと立っている。これまで2度ほど来たことがあるが、雑草に邪魔されて気が付かなかった。これは、将来の整備開発の決意表明かもしれない。
18日は、梅谷、市坂、歌姫、音如ヶ谷、西歌姫、押熊の6か所の瓦窯跡を巡ったのである。