万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その83改)―奈良県生駒市東新町 生駒市役所前庭―万葉集 巻六 一〇四七

●歌は、「・・・露霜の 秋去り来れば 生駒山 飛火が丘に 萩の枝を しがらみ散らし さ雄鹿は 妻呼びとよむ 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住み良し・・・」である。

f:id:tom101010:20190520222426j:plain

奈良県生駒市生駒市役所正面入口横万葉歌碑(田邊福麻呂歌集)

f:id:tom101010:20190520222733j:plain

生駒市役所

 

●歌碑は、奈良県生駒市東新町 生駒市役所前庭にある。長歌の一部である。

 

●歌をみていこう。(下記アンダーライン部が歌碑に刻された箇所)

 

◆八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國尓之有者 阿礼将座 御子之嗣継 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春尓之成者 春日山 御笠之野邊尓 櫻花 木晩牢■鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去来者 射駒山 飛火賀▲丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狭男壮鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思煎敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮将徃迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 皇之 引乃真尓真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞

             ■は「白」に「八」である

             ▲はやまへんに鬼である

                        

             (田邊福麻呂之歌集中出也とある 巻六 一〇四七)

 

≪書き下し≫やすみしし 我が大君の 高敷(たかし)かす 大和の国は すめろきの 神の御代(みよ)より 敷きませる 国にしあれば 生(あ)れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天(あめ)の下(した) 知らしまさむと 八百万(やほよろづ) 千年(ちとせ)をかねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠の野辺(のへ)に 桜花(さくらばな) 木(こ)の暗隠(くれがく)り 貌鳥(かほどり)は 間(ま)なくしば鳴く 露霜の 秋去り来れば 生駒山 飛火(とぶひ)が岳に 萩の枝(え)を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響(とよ)む 山見れば 山も見が欲(ほ)し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)の うちはへて 思へりしくは 天地の 寄り合ひの極(きは)み 万代(よろづよ)に 栄え行かむと 思へりし 大宮すらを 頼めりし 奈良の都を 新代(あらたよ)の ことにしあれば 大君の 引きのまにまに 春花(はるはな)の うつろひ変はり 群鳥(むらとり)の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平(なら)し 通ひし道は 馬もいかず 人も行かねば 荒れにけるかも

 

(注)やすみしし 【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている                   意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たかしく【たかしく】他動詞:立派に治める(学研)

(注)すめろき【天皇】:天皇。「すめろぎ」「すめらぎ」「すべらき」とも。(weblio古語辞書)

(注)かほとり【貌鳥・容鳥】鳥の名。未詳。顔の美しい鳥とも。            「かっこう」とも諸説ある。「かほどり」とも。(weblio古語辞書)

(注)とぶひがたけ【飛火が岳】:合図のための烽火台のある峰。

(注)しがらむ【柵む】他動詞:①からみつける。からめる。②「しがらみ」を作りつける。(weblio古語辞書)

(注)やそ【八十】名詞:八十(はちじゅう)。数の多いこと。(weblio古語辞書)

(注)とも【伴】名詞:(一定の職能をもって朝廷に仕える)同一集団に属する人々。(学研)

 

(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君が治められている日の本の国は、皇祖の神の御代以来ずっとお治めになっている国であるから、この世に現れ給う代々の御子が次々にお治めになるべきものとして、千年にも万年にもわたるとこしえの都としてお定めになったこの奈良の都は、陽炎の燃える春ともなると、春日山の麓の御笠の野辺で、桜の花の木陰に隠れて、貌鳥(かほどり)はとくに絶え間なく鳴き立てる。露が冷たく置く秋ともなると、生駒山の飛火が岳で、萩の枝をからませ散らして、雄鹿は妻呼び求めて声高く鳴く。山を見れば山も見飽きることがないし、里を見れば里も住み心地がよい。もろもろの大宮人がずっと心に思っていたことには、天地の寄り合う限り、万代ののちまでも栄え続けるであろうと、そう思っていた大宮であるのに、そのように頼りにしていた奈良の都であったのに、新しい御代(みよ)になったこととて、大君のお指図のままに、春の花が移ろうように都が移り変わり、群鳥が朝立ちするように人びとがいっせいに去って行ってしまったので、今まで大宮人たちが踏み平(な)らして往き来していた道は、馬も行かず人も通わないので、今はまったく荒れ放題になってしまった。(伊藤 博著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「悲寧楽故郷作歌一首并短歌」<寧楽の故郷を悲しびて作る歌一首 并(あは)せて短歌>である。

(注)故郷:古京の意。

(注)天平十三年(741年七月十日、元正天皇が新都久邇に移る折りの詠か。

 

短歌もみてみよう。

 

◆立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異煎

                 (田辺福麻呂 巻六 一〇四八)

 

≪書き下し≫たち変り古き都となりぬれば道の芝草(しばくさ)長く生(お)ひにけり

 

(訳)打って変わって、今や古びた都となってしまったので、道の雑草、ああこの草も、丈高く生(お)い茂ってしまった。(同上)

(注)たちかわり〔‐かはり〕【立(ち)代(わ)り】[副]:代わる代わる。たびたび。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

◆名付西 奈良乃京之 荒行者 出立毎尓 嘆思益

                  (田辺福麻呂 巻六 一〇四九)

 

≪書き下し≫なつきにし奈良の都の荒れゆけば出(い)で立つごとに嘆きし増(ま)さる

 

(訳)すっかり馴染となった奈良の都が日ごとにあれすさんでゆくので、外に出で立って見るたびに、嘆きはつのるばかりだ。(同上)

(注)なつきにし:慣れ親しんだ

 

 

 巻六の巻末に「右廿一首田邊福麻呂之歌集中出也」とある。この一〇四七から巻末の一〇六七まですべて田邊福麻呂之歌集(たなべのさきまろのかしふ)にあり、宮廷儀礼歌である。

f:id:tom101010:20190520223140j:plain

歌碑

f:id:tom101010:20190520223220j:plain

書き下しの歌碑

 

 

●歌碑は生駒山シリーズ第2弾。平城京から恭仁京に遷都した後に平城京のさびれた様を歌った歌であり、その中に生駒山がうたわれている。田邊福麻呂(たなべのさきまろ)の歌集にある歌である。旧都平城京のさびれた様も、テンポ良いリズムでまさに儀礼的に詠っており逆に遷都をたたえる雰囲気を醸し出している。

 



(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio古語辞書」

★「奈良女子大万葉集データベース」

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

 

※210627朝食関連記事削除、一部改訂