●歌は、「我が門の榎の実もり食む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ」である。
●歌碑は、奈良市神功 万葉の小径にある。
●歌をみていこう。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その216」に紹介している。
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◆吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 ゝゝ者雖来 君曽不来座
(作者未詳 巻十六 三八七二)
≪書き下し≫我(わ)が門(かど)の榎(え)の実(み)もり食(は)む百千鳥(ももちとり)千鳥(ちとり)は来(く)れど君ぞ来(き)まさぬ
(訳)我が家の門口の榎(えのき)の実を、もぐように食べつくす群鳥(むらどり)、群鳥はいっぱいやって来るけれど、肝心な君はいっこうにおいでにならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)もり食む:もいでついばむ意か。
(注)ももちどり 【百千鳥】名詞①数多くの鳥。いろいろな鳥。②ちどりの別名。▽①を「たくさんの(=百)千鳥(ちどり)」と解していう。③「稲負鳥(いなおほせどり)」「呼子鳥(よぶこどり)」とともに「古今伝授」の「三鳥」の一つ。うぐいすのことという。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
万葉集で「榎」を詠ったのは、この歌のみである。エノキは、古代から現在に至るまで、日本人の生活にきわめて近い樹木として親しまれてきたことは、人名や地名にも多く見られることからもうかがい知れるのである。
奈良市神功の「万葉の小径」は、奈良県と京都府の県境に沿った、カラト古墳から押熊瓦窯跡近くまで約300mの遊歩道である。そこに計36種類の万葉植物が植えられ、その植物にちなんだ万葉歌碑が建てられている。
小径の4か所に、「万葉人の時代」「万葉人と植物との関わり」「万葉人の衣・食・住」「個々の植物と万葉人の思想や生活との関わり」といったテーマを解説した陶板も設置されている。
ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その465)」から「同(その499)」で歌碑の紹介をしている。ブログが35回になっているのは、カラト古墳側のこの「榎」の歌碑の陶板が、心無い人に破壊され見るも無残な姿になっていたのである。それがようやく新しく設置しなおされたのである。まだカバーがかかってはいるが、大切にしたいものである。
カラト古墳側の入口すぐのところにあり、前にはあずまやが設置されている。
ブログの写真でも、何枚かはひび割れたプレートの写真を掲載している。残念なことである。一日も早く全面修復を期待したいものである。
カラト古墳側から押熊瓦窯跡方面に歌をたどってみると次のようになる。
向つ峰の若桂の木下枝取り花待つい間に嘆きつるかも 作者未詳 7-1359
我が門の榎の実もり食む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ 作者未詳 16-3872
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに 笠金村 2-231
あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ 橘諸兄 20-4448
児毛知山若かへるでのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあどか思ふ 作者未詳 14-3494
道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は 作者未詳 11-2480
水伝ふ礒の浦廻の岩つつじ茂く咲く道をまたも見むかも 日並皇子尊舎人 2-185
山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ 藤原宇合 9-1730
筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも 作者未詳 14-3350
大汝少彦名の神代より言ひ継げらく(中略)世の人の立つる言立ちさの花咲ける盛りにはしきよし・・・ 大伴家持 18-4106
春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山 持統天皇 1-28
池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を扱入れな 大伴家持 20-4512
山吹の立よそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなくに 高市皇子 2-158
瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより・・・山上憶良 5-802
家なれば笱に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る 有間皇子 2-142
ひさかたの天の原より生れ来たる神の命奥山の賢木の枝に白香付け・・・ 大伴坂上郎女 3-379
橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木 聖武天皇 6-1009
印南野の赤ら柏は時はあれど君を我が思ふ時はさねなし 安宿王 20-4301
南淵の細川山に立つ檀弓束巻くまで人に知らえじ 作者未詳 7-1330
早来ても見てましものを山背の多賀の槻群散りにけるかも 高市黒人 3-277
ほととぎす来鳴き響もす卯の花の伴にや来しと問はましものを 石上堅魚 8-1472
梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや 張氏福子 5-829
我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋 僧 恵行 19-4204
昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ 紀女郎 8-1461
いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く 弓削皇子 2-111
妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに 山上憶良 5-798
巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を 坂門人足 1-54
磯の上のつままを見れば根を延へて年深くあらし神さびにけり 大伴家持 19-4159
あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば 柿本人麻呂歌集 10-2315
夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らばうつろひなむか 大伴家持 8-1485
春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹 柿本人麻呂歌集 10-1895
春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子 大伴家持 19-4139
我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも 大伴旅人 5-822
我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも 大伴家持 19-4140
露霜の寒き夕の秋風にもみちにけらし妻梨の木は 作者未詳 10-2189
玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため 長意吉麿 16-3830
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」