万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1210)―加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(8)―万葉集 巻十六 三八四二

●歌は、「童ども草はな刈りそ八穂蓼を穂積の朝臣が腋草を刈れ」である。

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加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(8)万葉陶板歌碑(平群朝臣



●万葉陶板歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(8)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆小兒等 草者勿苅 八穂蓼乎 穂積乃阿曽我 腋草乎可礼

          (平群朝臣 巻十六 三八四二)

 

≪書き下し≫童(わらは)ども草はな刈りそ八穂蓼(やほたで)を穂積(ほづみ)の朝臣(あそ)が腋草(わきくさ)を刈れ

 

(訳)おい、みんな、草なんか刈らんでもよろし。刈るなら、八穂蓼(やほたで)の穂を積むという穂積おやじのあの腋(わき)草を刈れ。 (「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)やほたでを【八穂蓼を】の解説:[枕]多くの穂のついたタデを刈って積む意から「穂積 (ほづみ) 」にかかる。(goo辞書)

(注)わきくさ【腋草】〘名〙 腋毛。腋毛を草に見立てた語。一説に、「草」に「臭(くさ)」の意をかけて「腋臭(わきが)」のことともいう。※ [補注]腋の毛を「腋草」というのは、三八四二歌での固有の修辞で、一般的に定着した語ではない。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 題詞は「或云  平群朝臣嗤歌一首」<或いは云はく   平群朝臣(へぐりのあそみ)が嗤ふ歌一首>である。

 

 これに穂積朝臣が次のように和(こた)えている。

 

題詞は、「穂積朝臣和歌一首」<穂積朝臣(ほづみのあおみ)が和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆何所曽 真朱穿岳 薦疊 平群乃阿曽我 鼻上乎穿礼

         (穂積朝臣 巻十六 三八四三)

 

≪書き下し≫いづくにぞま朱(そほ)掘る岡薦畳(こもたたみ)平群(へぐり)の朝臣(あそ)が鼻の上を掘れ

 

(訳)どこにあるのだ、ま朱(そお)を掘る岡は。ほら、薦畳の重(へ)という平群おやじの鼻の上、あれを掘れ。(同上)

(注)まそほ【真赭・真朱】名詞:①(顔料や水銀などの原料の)赤い土。②赤い色。特に、すすきの穂の赤みを帯びた色にいう。「ますほ」とも。 ※「ま」は接頭語。①は上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)薦畳>たたみこも【畳薦】分類枕詞:敷物の薦(こも)を幾重にも重ねることから、「重(へ)」と同じ音を含む地名「平群(へぐり)」や、「隔(へだ)つ」にかかる。「たたみこも平群の山」(学研)

 

 まそほ(真朱)は、顔料や水銀などの原料の赤い土をいうが、赤土(はに)を詠った歌がある。これもみてみよう。

 

◆山跡之 宇陀乃真赤土 左丹著者 曽許裳香人之 吾乎言将成

          (作者未詳 巻七 一三七六)

 

≪書き下し≫大和(やまと)の宇陀(うだ)の真赤土(まはに)のさ丹(に)付(つ)かばそこもか人の我(わ)を言(こと)なさむ

 

(訳)大和(やまと)の宇陀(うだ)の真埴の赤い土がついたならば、たったそれだけのことで、世間の人は私のことをとやかく言立てるのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)はに【埴】名詞:赤黄色の粘土。瓦(かわら)や陶器の原料にしたり、衣にすりつけて模様を表したりする。(学研)

(注)に【丹】名詞:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。(学研)

(注の注)「さ丹付く」は赤面するたとえ。

(注)ことなす【言成す】他動詞:言葉に出す。あれこれ取りざたする。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その381)」で紹介している。

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 一三七六歌に関して、上野 誠氏は、その著「万葉集の心を読む」(角川文庫)の中で、「あの子が好きだということが、ちょっとでも顔に出たら、みんな噂するだろうな、という内容の歌です。この歌で確認できることがあります。好きな人のことを隠すことができずに赤面してしまうことを、宇陀の真朱で喩えることもあったということです。こういう喩えに真朱が使われるということは、真朱に対する知識が、当時の人びとにある程度ゆきわたっていたことを示しています。実は、この点が重要なのです。」と書かれている。

 さらに三八四三歌などの「嗤ふ歌」における「笑いというものは、送り手と受け手の間にある程度の共通の知識がないと成り立たない」と指摘されている。

 

 

 三八四〇、三八四一歌もみてみよう。

 

◆寺ゝ之 女餓鬼申久 大神之 男餓鬼被給而 其子将播

          (池田朝臣 巻十六 三八四〇)

 

≪書き下し≫寺々(てらでら)の女餓鬼(めがき)申(まを)さく大神(おほみわ)の男餓鬼(をがき)賜(たば)りてその子産(う)ませはむ

 

(訳)寺々の女餓鬼(めがき)どもが口々に申しとる。大神(おおみわ)の男餓鬼(おがき)をお下げ渡しいただき、そいつの子を産み散らしたとな。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)まをさく【申さく・白さく】:「まうさく」に同じ。 ※派生語。 ⇒参考「まうさく」の古い形。中古以降「まうさく」に変化した。 ⇒ なりたち動詞「まをす」の未然形+接尾語「く」(学研)

(注の注)まうさく【申さく】:申すことには。▽「言はく」の謙譲語。(学研)

(注)がき【餓鬼】① 《〈梵〉pretaの訳。薜茘多(へいれいた)と音写》生前の悪行のために餓鬼道に落ち、いつも飢えと渇きに苦しむ亡者。② 「餓鬼道」の略。③ 《食物をがつがつ食うところから》子供を卑しんでいう語。「手に負えない餓鬼だ」(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)おほかみ【大神】名詞:大御神(おおみかみ)。神様。▽「神」の尊敬語。 ※「おほ」は接頭語。(学研)

(注)たばる【賜る・給ばる】他動詞:いただく。▽「受く」「もらふ」の謙譲語。 ※謙譲の動詞「たまはる」の変化した語。上代語。(学研)

 

  この歌の題詞は、「池田朝臣嗤大神朝臣奥守歌一首 池田朝臣名忘失也」<池田朝臣(いけだのあそみ)、大神朝臣奥守(おほみわのあそみおきもり)を嗤(わら)ふ歌一首 池田朝臣が名は、忘失せり>である。 

 

 この歌の次に収録されている歌の題詞は、「大神朝臣奥守報嗤歌一首」<大神朝臣奥守が報(こた)へて嗤ふ歌一首>である。

 

◆佛造 真朱不足者 水渟 池田乃阿曽我 鼻上乎穿礼

          (大神朝臣奥守 巻十六 三八四一)

 

≪書き下し≫仏(ほとけ)造(つく)るま朱(そほ)足らずば水溜(た)まる池田(いけだ)の朝臣(あそ)が鼻の上(うへ)を掘れ

 

(訳)仏様を作るま朱(そほ)が足りなくば、水の溜まる池、そうその池田のおやじの鼻の上を掘るがよい。(同上)

(注)まそほ【真赭・真朱】名詞:①(顔料や水銀などの原料の)赤い土。②赤い色。特に、すすきの穂の赤みを帯びた色にいう。「ますほ」とも。 ※「ま」は接頭語。①は上代語。(学研)

(注)みずたまる〔みづ‐〕【水溜まる】[枕]:水がたまる池の意で、「池」にかかる。転じて人名の「池田」にもかかる。(goo辞書)

 

 この二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その13改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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tom101010.hatenablog.com

 

 この歌に関しても、上野 誠氏は、前著「万葉集の心を読む」(角川文庫)の中で、三八四〇歌は、「明らかに、大神朝臣奥守が痩せていることを笑った歌です。つまり、アイツの痩せようは尋常じゃないよ、アイツに妻(めあ)わせるんだったら、そりゃ餓鬼(がき)しかないよ、というわけでしょう。・・・もちろん、そう言われたからには反撃です。」そして三八四一歌については、「こちらの方は、池田朝臣の赤鼻を笑ったのです。『ま朱』は『マソホ』で、硫化水銀(りゅうかすいぎん)のことです。辰砂(しんしゃ)とも呼ばれた『マソホ』は、鍍金(ときん)の原料になります。水銀と金を混ぜたものをアマルガムすなわち合金として仏像に鍍金するので、『仏造る ま朱』というわけです。・・・『仏造る ま朱』の歌の場合は、鍍金に真朱が必要だという知識がなければ、笑えません。」と書かれている。

 

 こういったことからも、読者層を含め万葉集の当時の位置づけのようなものがみえてくる。歌の怪物以外のなにものでもない。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集の心を読む」 上野 誠 著(角川文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「goo辞書」

 

※20230208加古郡稲美町に訂正