万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1341)―島根県大田市三瓶町 浮布池―万葉集 巻七 一二四九

●歌は、「君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも」である。

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島根県大田市三瓶町 浮布池万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)



●歌碑は、島根県大田市三瓶町 浮布池にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉

       (柿本人麻呂歌集 巻七 一二四九)

 

≪書き下し≫君がため浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)摘むと我(わ)が染(そ)めし袖濡れにけるか

 

(訳)あの方に差し上げるために、浮沼の池の菱の実を摘もうとして、私が染めて作った着物の袖がすっかり濡れてしまいました。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)浮沼(うきぬ)の池;所在未詳(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1125)」で紹介している。

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  島根県観光連盟HP[しまね観光なび]には、「浮布池」ついて次のように書かれている。

「三瓶山の西山麓にあり、三瓶山の噴火によって河川がせきとめられてできた『せきとめ湖』です。面積13万5,100平方メートル、最深部3.5mです。静間川の源にあたります。伝説では、長者の娘邇幣姫(にべひめ)が若者に変身した大蛇に恋をし、若者(大蛇)を追って、池に入水しました。その後池面に姫の衣が白線を描いて輝き、白い布が浮かぶようになったとされています。

柿本人麻呂の『君がため浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)摘(つ)むとわが染めし袖ぬれにけるかも』は、この池で詠んだものといわれています。(後略)」

 

 

 湯抱温泉の「柿本人麻呂終焉之地」の碑を見た後、次の目的地「浮布池」に向かう。斎藤茂吉 鴨山記念館に立ち寄る。記念館の前に茂吉の歌碑がある。歌は、「夢のごとき『鴨山』戀ひて我は来ぬ誰も見しらぬその『鴨山』を」である。

 茂吉は、鴨山探求に際し幾度となくこの地を訪れたそうである。

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斎藤茂吉鴨山記念館斎藤茂吉案内標識

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鴨山記念館

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記念館と玄関先の茂吉の歌碑



 三瓶山の山麓をドライブ。雄大な景色の中をドライブ。牧場あり、オートキャンプ場ありである。

 池に到着。少し高台になった展望所近くに車を停める。

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浮布池展望所

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浮布池説明案内板

 あいにくの天気で池の水面に影をおとす三瓶山の美しい姿を見ることができなかった。

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残念ながら池面に映る三瓶山は見えず



 

 廣野 卓氏は、その著「食の万葉集」(中公新書)の中で、「浮沼の池の面をヒシが覆っている。岸から手でとれる範囲のヒシを袖をぬらしながらつんだ依羅娘子(人麻呂の妻の一人)は、ゆでて人麻呂に食べさせたのだろう。都から遠くはなれた任地で病になった人麻呂に、都を忘れさせるひとときであったのかもしれない。・・・ヒシは・・・最盛期には池の面が見えなくなるほど繁茂することがある。その実は菱型をして先端には鋭い刺があり、そのためヒシと名付けられたといわれる。・・・実は蒸して食べるが、栗のようにホカホカした淡い甘さが口中にひろがる。ヒシの実には、当時の食生活では不足がちなビタミンB1が白米の四倍も含まれ、カルシウムは七倍もあるので貴重な栄養食品である。」と書かれている。

 

 

 一二四九歌は、左注に「右の四首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ」と書かれた一二四七か一二五〇歌の一首である。一二五〇歌は「妹がため」で詠いだしているので、一二四九歌と連れ合いで収録されたのであろう。

 

「君がため」と詠いだす歌は四首あるが、それらについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1228)」で紹介している。

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 「妹がため」と詠いだす歌は七首ある。これらもみてみよう。

 

◆為妹 貝乎拾等 陳奴乃海尓 所沾之袖者 雖涼常不干

       (作者未詳 巻七 一一四五)

 

≪書き下し≫妹(いも)がため貝を拾(ひり)ふと茅渟(ちぬ)の海(うみ)に濡(ぬ)れにし袖(そで)は干(ほ)せど乾(かわ)かず

 

(訳)家で待ついとしい人のために貝を拾おうと、茅渟の海岸で濡らしてしまった衣の袖は、干してもいっこうに乾かない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ちぬのうみ【茅渟海】:和泉(いずみ)と淡路の間の海の古称。現在の大阪湾一帯。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆為妹 玉乎拾跡 木國之 湯等乃三埼二 此日鞍四通

      (藤原卿 巻七 一二二〇)

 

≪書き下し≫妹(いも)がため玉を拾(ひり)ふと紀伊の国(きのくに)の由良(ゆら)の岬(みさき)にこの日暮らしつ

 

(訳)家で待つあの子のために美しい玉を拾おうとして、紀伊の国(きのくに)の由良の岬で、今日一日を過ごしてしまった。(同上)

(注)由良の岬:日高郡由良港たり

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その732)」で紹介している。

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◆妹為 菅實採 行吾 山路惑 此日暮

      (柿本人麻呂歌集 巻七 一二五〇)

 

≪書き下し≫妹(いも)がため菅(すが)の実(み)摘(つ)みに行きし我(わ)れ山道(やまぢ)に惑(まど)ひこの日暮しつ

 

(訳)故郷で待ついとしい人のために山菅の実を摘みに出かけた私は、山道に迷いこんで、とうとうこの一日を山で過ごしてしまった。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その711)」で紹介している。

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 題詞は「崗本宮御宇天皇紀伊國時歌二首」<

 

◆為妹 吾玉拾 奥邊有 玉縁持来 奥津白浪

       (作者未詳 巻九 一六六五)

 

≪書き下し≫妹(いも)がため我(わ)れ玉拾(ひり)ふ沖辺(おきへ)なる玉寄せ持ち来(こ)沖つ白波

 

(訳)家に待つ人のために私は玉を拾うのだ。沖深く潜んでいる白玉をこの海辺に運んで来ておくれ。沖の白波よ。(同上)

 

 

◆為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依来 於伎都白浪

      (作者未詳 巻九 一六六七)

 

≪書き下し≫妹(いも)がため我(わ)れ玉求む沖辺(おきへ)なる白玉(しらたま)寄せ来(こ)沖つ白波

 

(訳)家に待つ人のために私は玉を探しているのだ。沖深くひそんでいる白玉をうち寄せて来ておくれ。沖の白波よ。(同上)

 

 

◆為妹 末枝梅乎 手折登波 下枝之露尓 沾尓家類可聞

      (作者未詳 巻十 二三三〇)

 

≪書き下し≫妹がためほつ枝(え)の梅を手折(たを)るとは下枝(しづえ)の露に濡れにけるかも

 

(訳)あの子のために、花の咲く梅の上枝(うわえだ)を手折ろうとして、下枝の露に濡れてしまったよ。(同上)

(注)ほつえ【上つ枝・秀つ枝】名詞:上の方の枝。 ※「ほ」は突き出る意、「つ」は「の」の意の上代の格助詞。上代語。[反対語] 中つ枝(え)・下枝(しづえ)。(学研)

 

 

◆為妹 壽遺在 苅薦之 思乱而 應死物乎

       (作者未詳  巻十一 二七六四)

 

≪書き下し≫妹(いも)がため命(いのち)残せり刈(か)り薦(こも)の思ひ乱れて死ぬべきものを

 

(訳)あなたを悲しませないために命をつないでいるのだよ。刈った薦の乱れるように、千々に思い乱れて今にも死にそうなのに。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かりこもの【刈り菰の・刈り薦の】分類枕詞:刈り取った真菰(まこも)が乱れやすいことから「乱る」にかかる。(学研)

 

 相手のために、袖を濡らしてまで尽くす気持ちを詠った麗しい歌が多い。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「食の万葉集」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「島根県観光連盟HP」