―その1642―
●歌は、「塵泥の数にもあらぬ我れゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ」である。
●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(5)にある。
●歌をみていこう。
◆知里比治能 可受尓母安良奴 和礼由恵尓 於毛比和夫良牟 伊母我可奈思佐
(中臣宅守 巻十五 三七二七)
≪書き下し≫塵泥(ちりひぢ)の数にもあらぬ我(わ)れゆゑに思ひわぶらむ妹(いも)がかなしさ
(訳)塵や泥のような物の数でもないこんな私ゆえに、今頃さぞかししょげかえっているであろう。あの人が何ともいとおしくてならない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ちりひぢ【塵泥】〘名〙:① ちりとどろ。② 転じて、つまらないもの、とるに足りないもの。ちりあくた。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)かず【数】にもあらず=かず(数)ならず
(注の注)かず【数】ならず:数えたてて、とりあげるほどの価値はない。物の数ではない。とるに足りない。つまらない。数にもあらず。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)おもひわぶ【思ひ侘ぶ】自動詞:思い嘆く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1357)」で紹介している。
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伊藤博氏は、この歌の脚注で、「思ひわぶらむ妹(いも)がかなしさ」について、「今頃さぞかししょげかえっているだろう。前歌(このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥明けてをちよりすべなかるべし)の下三句の心情を承ける。」と書いておられる。
―その1643―
●歌は、「あをによし奈良の大道は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり」である。
●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(6)にある。
●歌をみていこう。
◆安乎尓与之 奈良能於保知波 由吉余家杼 許能山道波 由伎安之可里家利
(中臣宅守 巻十五 三七二八)
≪書き下し≫あをによし奈良の大道(おほち)は行きよけどこの山道(やまみち)は行き悪しかりけり
(訳)あをによし奈良、あの都大路は行きやすいけれども、遠い国へのこの山道は何とまあ行きづらいことか。(同上)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1355①)」で紹介している。次々稿「同(その1645)」の三七三〇歌は「同(その1355②)でともに紹介している。
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道標燈籠①から⑥までは、万葉の里 味真野苑駐車場沿いにある。③は、道の反対側、万葉菊花園側に建てられている。
⑦から⑫は、万葉館駐車場から味真野神社境内に沿って建てられている。
―その1644―
●歌は、「愛しと我が思ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかるらむ」である。
●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(7)にある。
●歌をみていこう。
◆宇流波之等 安我毛布伊毛乎 於毛比都追 由氣婆可母等奈 由伎安思可流良武
(中臣宅守 巻十五 三七二九)
≪書き下し≫愛(うるは)しと我(あ)が思(も)ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪(あ)しかるらむ
(訳)すばらしいと私が思いつめている人、あの子を心にかけて行くので、こうもむやみやたらと行きづらいのであろうか。この山道は。(同上)
(注)うるはし【麗し・美し・愛し】形容詞:①壮大で美しい。壮麗だ。立派だ。②きちんとしている。整っていて美しい。端正だ。③きまじめで礼儀正しい。堅苦しい。④親密だ。誠実だ。しっくりしている⑤色鮮やかだ。⑥まちがいない。正しい。本物である。(学研)
(注)とな 分類連語:…というのだね。▽相手に確認したり、問い返したりする意を表す。⇒なりたち 格助詞「と」+終助詞「な」
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1388)」で紹介している。
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―その1645―
●歌は、「畏みと告らずありしをみ越道の手向けに立ちて妹が名告りつ」である。
●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(8)にある。
●歌をみていこう。
◆加思故美等 能良受安里思乎 美故之治能 多武氣尓多知弖 伊毛我名能里都
(中臣宅守 巻十五 三七三〇)
≪書き下し≫畏(かしこみ)みと告(の)らずありしをみ越道(こしぢ)の手向(たむ)けに立ちて妹が名告(の)りつ
(訳)恐れはばかってずっと口に出さずにいたのに、越の国へと越えて行く道のこの手向けの山に立って、とうとうあの人の名を口に出してしまった。(同上)
(注)畏みと告らずありしを:謹慎の身ゆえ、女の名を口にすることを憚る。(伊藤脚注)
(注)こしぢ【越路】:北陸道の古称。越の国へ行く道。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)たむく 【手向く】他動詞:①願い事をして、神仏に供え物を供える。旅の無事を祈る場合にいうことが多い。②旅立つ人に餞別(せんべつ)を贈る。(学研)ここでは①の名詞形
(注の注)越道の手向け:畿内と近江の境の逢坂山。(伊藤脚注)
三七二七から三七三〇歌の左注は、「右四首中臣朝臣宅守上道作歌」<右の四首は、中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)、道に上(のぼ)りて作る歌>である。
奈良時代の北陸道についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1637)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉ロマンの道(歌碑)散策マップ」