万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1655~1657)―福井県越前市 万葉ロマンの道(18~20)―万葉集 巻十五 三七四〇~三七四二

―その1655―

●歌は、「天地の神なきものにあらばこそ我が思ふ妹に逢はず死にせめ」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(18)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(18)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安米都知能 可未奈伎毛能尓 安良婆許曽 安我毛布伊毛尓 安波受思仁世米

       (中臣宅守 巻十五 三七四〇)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)の神(かみ)なきものにあらばこそ我(あ)が思(も)ふ妹に逢(あ)はず死にせめ

 

(訳)もし天地の神々がいまさぬものであったなら、私の思い焦がれるあなたに逢えぬまま、焦がれて死ぬことにもなろうが・・・。(同上)

(注)あめつち【天地】名詞:①天と地。②天の神と地の神。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しにす【死にす】自動詞:死ぬ。(学研)

(注)め:推量の助動詞「む」の已然形。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1379)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その1656―

●歌は、「命をし全くしあらばあり衣のありて後にも逢はざらめやも」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(19)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守



●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(19)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊能知乎之 麻多久之安良婆 安里伎奴能 安里弖能知尓毛 安波射良米也母  <一云 安里弖能乃知毛>

       (中臣宅守 巻十五 三七四一)

 

≪書き下し≫命(いのち)をし全(また)くしあらばあり衣(きぬ)のありて後(のち)にも逢はざらめやも <一には「ありての後も」といふ>

 

(訳)命よ、この命さえ無事であったら、ずっと恋い焦がれながら過ごしていても、あとになって逢えないなどということがあろうか。(同上)

(注)ありきぬの【あり衣の】:「三重」、「さゑさゑ」、「宝」、「ありて」にかかる枕詞。(Wiktionary日本語版)

(注)またし【全し】形容詞:①完全だ。欠けたところがない。②無事である。安全だ。 ※後に「まったし」とも。(学研)ここでは②の意

 

 

 

―その1657―

●歌は、「遭はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで我れ恋ひ居らむ」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(20)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守



●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(20)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安波牟日乎 其日等之良受 等許也未尓 伊豆礼能日麻弖 安礼古非乎良牟

      (中臣宅守 巻十五 三七四二)

 

≪書き下し≫逢はむ日をその日と知らず常闇(とこやみ)にいづれの日まで我(あ)れ恋ひ居らむ

 

(訳)逢える日、その日がいつだというめどもつかないままに、真っ暗闇のなかで、いつどんな日まで、この私としたことが、こうして焦がれつづけていなければならないのであろうか。(同上)

(注)とこやみ【常闇】名詞:永遠のくらやみ。(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1381)」で紹介している。

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 三七四〇歌では、「天地(あめつち)の神(かみ)なきものにあらばこそ」、三七四一歌では、「命(いのち)をし全(また)くしあらば」と詠い絶望の淵に立たされた様を、三七四一歌では、「常闇に」と常闇の中にいる気持ちでと絶望感を詠いあげている。

 特に三七四一歌は、三七七九から三七八五歌の独白的詠嘆(娘子からの返歌は無い)の「花鳥歌」の伏線になっているように思えるのである。

 

 歌碑に何故惹かれるのだろう。

福井県越前市の「万葉ロマンの道」に設置されているこの道標燈籠は幾何学的な長方形の柱状であり、前面に万葉仮名で、側面に書き下して歌が刻されているものである。

 しかしこの道標燈籠が他でもなく越前市の味真野に設置されているから歌に命が吹きこまれているのである。歌が詠われた風土的、地理的、歴史的背景に最もふさわしい所に配置されているから魅力的なものとなるのであろう。

 小生、やきものの骨董にも興味を持っている。ある時、信楽の何時もよく行く骨董屋のおやじから、唐津の骨董屋で百間窯に近い所で掘り出されたものが売り出されているとの情報をもらった。紹介してもらい、居てもたってもいられず新幹線で飛んで行ったのである。茶碗や皿の破片が無造作に箱に入れられていた。ガラクタであるが宝石箱の中の宝石に見える。

 破片をいくつか買って帰った。大事にいつくしむように抱えながら。

 当然のことながら友人からは、こんなガラクタを買って来る気が知れないと馬鹿にされたのであった。

 この破片の持つ歴史的な価値を分かってよ、と心で叫んだことを思い出した。

 見る側の、心しだいで対象となる物の価値は変わるのである。

 

 歌碑も地理的、風土的な背景があって初めてその歌に命が吹きこまれる。現地に必ず足を運ぶことが可能な限りこの歌碑巡りは続けていきたいものである。

 万葉集は呼んでくれている。歌碑は待ってくれている。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「Wiktionary日本語版」