万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2357)―

■すすき■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「秋づけば尾花が上に置く露の消ねべくも我れは思ほゆるかも」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(日置長枝娘子)

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆秋付者 尾花我上尓 置露乃 應消毛吾者 所念香聞

      (日置長枝娘子 巻八 一五六四)

 

≪書き下し≫秋づけば尾花(をばな)が上に置く露の消(け)ぬべくも我(あ)れは思ほゆるかも

 

(訳)秋めいてくると尾花の上に露が置く、その露のように、今にも消え果ててしまいそうなほどに、私はせつなく思われます。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)あきづく【秋づく】自動詞:秋らしくなる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句は序。「消ぬ」を起こす。(伊藤脚注)

 

新版 万葉集 二 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]

価格:1100円
(2023/10/24 17:22時点)
感想(0件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1403)」で家持との贈答歌を紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 一五六四歌に使われている「秋づく」は、「秋らしくなる」という意味で、「秋めく」のニュアンスとも近いように思われる。

 「づく」と「めく」を調べてみよう。

■づく

づく【付く】:[接尾]《動詞五(四)段型活用。動詞「つ(付)く」から》名詞またはそれに準ずる語に付いて動詞をつくり、そのような状態になる、そういうようすが強くなるという意を表す。「秋—・く」「元気—・く」「おじけ—・く」(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

■めく

 めく:[接尾]《動詞五(四)段型活用》名詞、形容詞・形容動詞の語幹、副詞などに付いて動詞を作り、そのような状態になる、それに似たようすを示す意を表す。「春―・く」「ほの―・く」「今さら―・く」「ざわ―・く」(コトバンク デジタル大辞泉

 

 「春めく」、「夏めく」、「秋めく」、「冬めく」は、検索すると辞書名とその意味がヒットするが、四季と「づく」となると、「秋づく」が辞書名とその意味がヒットする。

 

 これまで「秋づく」という意味をわかったつもりでいたが、四季によるニュアンスの違い等が浮き彫りになってくる。

 

 「秋づく」と詠われている歌をいくつかみてみよう。

■二一六〇歌■

◆庭草尓 村雨落而 蟋蟀之 鳴音聞者 秋付尓家里

       (作者未詳 巻十 二一六〇)

 

≪書き下し≫庭草(にはくさ)に村雨(むらさめ)降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋(あき)づきにけり

 

(訳)庭草に村雨が降り注いでいる折に、こおろぎの鳴いている声を聞くと。いかにも秋らしくなったものだと思う。(同上)

(注)むらさめ【村雨・叢雨】名詞:断続的に激しく降って過ぎる雨。にわか雨。驟雨(しゆうう)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)秋づきにけり:ほんとうに秋らしくなったものだ。村雨と争って鳴くこおろぎに秋らしさを感じる歌。(伊藤脚注)

 

 

 

■二二七二歌■

秋就水草花乃 阿要奴蟹 思跡不知 直尓不相在者

       (作者未詳 巻十 二二七二)

 

≪書き下し≫秋(あき)づけ水草(みくさ)の花のあえぬがに思へど知らじ直(ただ)に逢はざれば

 

(訳)秋めいてくると水草の花がこぼれ落ちるばかりに咲くように、私は溢(あふ)れるばかりに思っているのに、あなたはご存じありますまい。じかにお逢いしてはいませんから。(同上)

(注)みくさ【水草】名詞:水草(みずくさ)。水辺に生える草。(学研)

(注)上二句は序。「あえぬ」を起こす。(伊藤脚注)

(注)あゆ【落ゆ】自動詞:①(花・実などが)落ちる。②(血・汗などが)したたり流れる。(学研)

(注)ぬがに 分類連語:今にも…てしまいそうに。今にも…てしまうほどに。 ※上代語。 ⇒なりたち 完了の助動詞「ぬ」の終止形+接続助詞「がに」(学研)

 

 

 

■三二六六歌■

◆春去者 花咲乎呼里 秋付者 丹之穂尓黄色 味酒乎 神名火山之 帶丹為留 明日香之河乃 速瀬尓 生玉藻之 打靡 情者因而 朝露之 消者可消 戀久毛 知久毛相 隠都麻鴨

       (作者未詳 巻十三 三二六六)

 

≪書き下し≫春されば 花咲ををり 秋づけば 丹(に)のほにもみつ 味酒(うまさけ)を 神(かむ)なび山の 帯(おび)にせる 明日香(あすか)の川の 早き瀬に 生(お)ふる玉藻(たまも)の うち靡(なび)き 心は寄りて 朝露(あさつゆ)の 消(け)なば消(け)ぬべく 恋ひしくも しるくも逢(あ)へる 隠(こも)り妻(づま)かも

 

(訳)春がやって来ると花が枝もたわわに咲き乱れ、秋がになると木の葉がまっ赤に色づく、その神なび山が帯にしている明日香川、この川の早瀬の中に生い茂る玉藻が、流れのままに靡くように、心はひたすら靡き寄り、朝霧がはかなく消えるように、身も消え果てるなら消え果ててしまえとばかりに、恋い焦がれた甲斐があって、今こうしてやっと逢うこと叶った我が忍び妻よ、ああ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ををる【撓る】自動詞:(たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる。 ※上代語。(学研)

(注)にのほ【丹の穂】:赤い色の目立つこと。赤くおもてにあらわれること。(広辞苑無料検索 広辞苑

(注)「春されば・・・生ふる玉藻の」が序。「うち靡き」を起こす。(伊藤脚注)

(注)あさつゆの【朝露の】分類枕詞:①朝露は消えやすいことから、「消(け)」「消(き)ゆ」、また「命」にかかる。②朝露が置く意から、「置く」に、また同音の「起く」にかかる。(学研)ここでは①の意

(注)しるく【著く】[副]《形容詞「しる(著)し」の連用形から》:はっきり見えるさま。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

新版 万葉集 三 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]

価格:1068円
(2023/10/24 17:23時点)
感想(1件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1442)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■四一六〇歌■

◆天地之 遠始欲 俗中波 常無毛能等 語續 奈我良倍伎多礼 天原 振左氣見婆 照月毛 盈▼之家里 安之比奇能 山之木末毛 春去婆 花開尓保比 秋都氣婆 露霜負而 風交 毛美知落家利 宇都勢美母 如是能未奈良之 紅能 伊呂母宇都呂比 奴婆多麻能 黒髪變 朝之咲 暮加波良比 吹風能 見要奴我其登久 逝水能 登麻良奴其等久 常毛奈久 宇都呂布見者 尓波多豆美 流渧 等騰米可祢都母

      (大伴家持 巻十九 四一六〇)

  ▼は、「呉」の「口」が「日」である。「盈▼之家里」で「満ち欠けしけり」と読む

 

≪書き下し≫天地(あめうち)の 遠き初めよ 世間(よのなか)は 常なきものと 語り継(つ)ぎ 流らへ来れ 天(あま)の原(はら) 振り放(さ)け見れば 照る月も 満ち欠(か)けしけり あしひきの 山の木末(こぬれ)も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露(つゆ)霜(しも)負(お)ひて 風交(まじ)り もみち散りけり うつせみも かくのみならし 紅(くれなゐ)の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変(かは)り 朝の咲(ゑ)み 夕(ゆふへ)変らひ 吹く風の 見えぬがごとく 行く水の 止(と)まらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留(とど)めかねつも

 

(訳)天地の始まった遠き遥かなる時代の初めから、この俗世は常無きものだと、語り継ぎ言い伝えてきたものだが・・・。そのとおり、天空遠く振り仰いで見ると、照る月も満ちたり欠けたりしてきた。山々の梢(こずえ)も、春が来ると花は咲き匂うものの、秋ともなれば、冷たい露を浴びて、風交じりに色づいた葉がはかなく散る。この世の人の身もみんなこれと同じでしかないらしい。まさに、紅(くれない)の頬もたちまち色褪(あ)せ、黒々とした髪もまっ白に変わり、朝の笑顔も夕方には消え失せ、吹く風が見えないように、流れ行く水が止まらないように、あっけなく物すべてが移り変わって行くのを見ると、にわたずみではないが、溢(あふ)れ流れる涙は、止めようにも止めるすべがない。(同上)

(注)流らへ来たれ:ずっと言い伝えてきているが。(伊藤脚注)

(注の注)ながらふ 自動詞:(一)【流らふ】流れ続ける。静かに降り続ける。 ※上代語。⇒参考:下二段動詞の「流る」に反復継続の意を表す上代の助動詞「ふ」の付いたものかという。「ふ」は、ふつう四段動詞に付いて四段に活用するが、下二段動詞に付いて下二段に活用するのは異例のことである。(学研)

(注)にはたづみ【行潦・庭潦】名詞:雨が降ったりして、地上にたまり流れる水。

(注)にはたづみ【行潦・庭潦】分類枕詞:地上にたまった水が流れることから「流る」「行く」「川」にかかる。(学研)

 

 

 

■四一六一歌■

◆言等波奴 木尚春開 秋都氣婆 毛美知遅良久波 常乎奈美許曾  <一云 常无牟等曾>

       (大伴家持 巻十九 四一六一)

 

≪書き下し≫言(こと)とはぬ木すら春咲き秋づけばもみち散(ぢ)らくは常をなみこそ  <一には「常なけむとぞ」といふ>

 

(訳)物言わぬ木でさえ、春は花が咲き、秋ともなれば色づいて散るのは、物なべて常というものがないからだ。<物なべて、常でありようがないということなのだ>(同上)

 

新版 万葉集 四 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]

価格:1068円
(2023/10/24 17:24時点)
感想(1件)

 四一六〇、四一六一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その867)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「広辞苑無料検索 広辞苑