万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2401、2402)―

―その2401―

■さいかち■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「▼莢に延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(高宮王) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「高宮王詠數首物歌二首」<高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を詠む歌二首>である。

 

◆     ▼莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為

      (高宮王 巻十六 三八五五)

   ▼は「草かんむりに『皂』である。「▼+莢」で「ざうけふ」と読む。

 

≪書き下し≫ざう莢(けふ)に延(は)ひおほとれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕(みやつか)へせむ

 

(訳)さいかちの木にいたずらに延いまつわるへくそかずら、そのかずらさながらの、こんなつまらぬ身ながらも、絶えることなくいついつまでも宮仕えしたいもの。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)ざう莢(けふ)>さいかち【皂莢】:マメ科の落葉高木。山野や河原に自生。幹や枝に小枝の変形したとげがある。葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。夏に淡黄緑色の小花を穂状につけ、ややねじれた豆果を結ぶ。栽培され、豆果を石鹸(せっけん)の代用に、若葉を食用に、とげ・さやは漢方薬にする。名は古名の西海子(さいかいし)からという。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)おほとる 自動詞:乱れ広がる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)屎葛(クソカズラ):屁屎葛の古名。>ヘクソカズラ:(屁糞葛、学名: Paederia scandens)は、アカネ科ヘクソカズラ属の蔓(つる)性多年草で、やぶや道端など至る所に生える雑草。夏に中心部が赤紅色の白い小花を咲かせる。葉や茎など全草を傷つけると、悪臭を放つことから屁屎葛(ヘクソカズラ)の名がある。別名で、ヤイトバナ、サオトメバナともよばれる。(weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

(注)上三句は序。「絶ゆることなく」を起こす。自らを「へくそかずら」に喩えている。(伊藤脚注)

 

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感想(1件)

 この歌は、先の「へくそかずら」を紹介した歌(拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねてその2372」)と同じである。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その2501―

■さかき■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「ひさかたの天の原より生れ来たる・・・賢木の枝に白香付け木綿取り付けて・・・」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(大伴坂上郎女) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大伴坂上郎女祭神歌一首并短歌」<大伴坂上郎女、神を祭る歌一首并せて短歌>である。

 

◆久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝析伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 君尓不相可聞

     (大伴坂上郎女 巻三 三七九)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 生(あ)れ来(き)たる 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝(えだ)に 白香(しらか)付け 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿(しし)じもの 膝(膝)折り伏して たわや女(め)の 襲(おすひ)取り懸(か)け かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも

 

(訳)高天原の神のみ代から現われて生を継いで来た先祖の神よ。奥山の賢木の枝に、白香(しらか)を付け木綿(ゆう)を取り付けて、斎瓮(いわいべ)をいみ清めて堀り据え、竹玉を緒(お)にいっぱい貫き垂らし、鹿のように膝を折り曲げて神の前にひれ伏し、たおやめである私が襲(おすい)を肩に掛け、こんなにまでして私は懸命にお祈りをしましょう。それなのに、我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらか【白香】名詞:麻や楮(こうぞ)などの繊維を細かく裂き、さらして白髪のようにして束ねたもの。神事に使った。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい。(学研)

(注)たかだま【竹玉・竹珠】名詞:細い竹を短く輪切りにして、ひもを通したもの。神事に用いる。(学研)

(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)おすひ【襲】名詞:上代上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの。主に神事の折の、女性の祭服。(学研)

(注)だにも 分類連語:①…だけでも。②…さえも。 ※なりたち副助詞「だに」+係助詞「も」(学研)

(注)君に逢はじかも:あの方に逢えないのか。祖神の中に、亡夫宿奈麻呂を封じ込めた表現。(伊藤脚注)

 

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感想(1件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1079)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 拙稿(その1079)に、「國文學 万葉集の詩と歴史」(4月号 第23巻5号)に、森 朝男氏の「祭式と歌―坂上郎女『祭神歌』をめぐって―」という稿の中で「・・・こうした歌を、祭祀の場で詠唱した歌だと考えることは、特にこの歌の場合などには、全く妥当しないであろう。相手が氏神だと言え。『君に逢はじかも』という個人的な祈願の表現は、集団的な祭祀の場にふさわしいとは言えない。」と個人的な祈願の歌であるとする説を紹介している。

 

 同様に、「万葉神事語辞典」(國學院大學デジタルミュージアム)の「神を祭る歌」に、三七九歌、」三八〇歌をもって、坂上郎女が一族の家刀自的存在となって氏神の祭祀を行ったとする考えが強いが、これについて「氏神の祭祀の主催者(=氏上)」であったとするべきではなかろう」とする説が次のように述べられている。

「733(天平5)年11月の大伴氏の氏神を祭る時に大伴坂上郎女が『聊に』作ったと左注に記された歌が『神を祭る歌』(3-379~380)である。氏神の祭祀は、氏上がおこなう決まりであったことから、731(天平3)年に大伴旅人が死んだ後は坂上郎女が一族の家刀自的存在となって氏神の祭祀をおこなったのではないかと考える説がある。しかし、坂上郎女はあくまでも家刀自的存在であったと推定できるにすぎず、旅人亡き後の大伴氏の氏上であったとは考えられないこともあり、坂上郎女が氏神の祭祀の主催者であったとするべきではなかろう。坂上郎女が氏神の祭祀をおこなっていたのではないかとする根拠にもなっている長歌(3-379)冒頭の『ひさかたの 天の原より 生れ来る 神の命』という大仰なうたい起こしにもかかわらず、結果的に歌そのものの主眼は、長歌末尾と反歌(380)でくり返しうたわれている『かくだにも 我は祈ひなむ 君に逢はじかも』という個人的な願い事である。この『君』を大伴氏の氏神と考えて全体を『神を祭る歌』として一貫したものとして捉える説もあるが、坂上郎女のほかの歌に見える『神』をめぐる表現(4-619、17-3930)や万葉集中の女性が『神』をうたう表現から考えると、彼女たちは『恋の成就』や『旅の無事を祈る』といった明確な目的をもって神に祈っている場合が多いことに注目しなければならないであろう。さらに、この歌の左注に『聊かに』作ったと記されていることも視野に入れるならば、氏神を祭る機会を好機として坂上郎女が個人的な願いを詠んだ相聞歌として『神を祭る歌』を捉えるべきではなかろうか。」

 反歌(三八〇歌)と左注もみてみよう。

 

◆木綿疊 手取持而 如此谷母 吾波乞甞 君尓不相鴨 

         (大伴坂上郎女 巻三 三八〇)

 

≪書き下し≫木綿畳(ゆふたたみ)手に取り持ちてかくだにも我(わ)れは祈(こ)ひなむ君に逢はじかも

 

(訳)木綿畳を手に掲げ持って神の前に捧(ささ)げ、私はこんなにまでしてお祈りしましょう。なのに、それでも我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(同上)

(注)ゆふたたみ【木綿畳】名詞:「木綿(ゆふ)」を折り畳むこと。また、その畳んだもの。神事に用いる。「ゆふだたみ」とも。(学研)

 

左注は、「右歌者 以天平五年冬十一月供祭大伴氏神之時 聊作此歌 故日祭神歌」<右の歌は、天平の五年の冬の十一月をもちて、大伴の氏(うじ)の神(かみ)を供祭(まつ)る時に、いささかにこの歌を作る。故(ゆゑ)に神を祭る歌といふ。>である。

(注)天平五年:733年

(注)いささかなり【聊かなり・些かなり】形容動詞:ほんのわずかだ。ほんの少しだ。(学研)

 

 左注にあるように、祭神歌であるが、三七九歌の長歌も三八〇歌も結句「君に逢はじかも」が極めて私的な思いが色濃く出ており、相聞的な歌といっても差し支えないと思えるのである。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「國文學 万葉集の詩と歴史」(4月号 第23巻5号)

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」