万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット190212万葉の小径シリーズーその34(なし)

●今日もサンドイッチを作りました。備前焼の丸皿に盛り付け。 f:id:tom101010:20190212100537j:plain

デザートは、スィートスプリングを真ん中に飾り、バナナの輪切りを周囲に配置。二色のブドウの切り合わせをその上に飾りつけた。 f:id:tom101010:20190212100802j:plain

今日は、万葉小径シリーズのラス前、その34「なし」の紹介である。

●万葉の小径シリーズーその34 なし ナシ

 

露霜の 寒き夕(ゆうべ)の 秋風に もみちにけりも 妻なしの木は (作者未詳 巻一〇 二一八九)

 

露霜之 寒夕之 秋風丹 黄葉尓来之 妻梨之木者

 

露霜のおりる寒い夕べ、秋風に吹かれて(妻)梨の木は、色づいたことだなあ。

 

「梨は落葉高木で、春には白い花を咲かせ、秋に実をつけた後、葉は美しく色づく。梨は中国では、その花が「梨花一枝春帯雨」と称賛され、清少納言も花びらの端のあるかなきかの色合いを讃えているが、万葉集では花を呼んだ歌はなく、ひたすら梨の葉の色づきが中心である。雪深い越中から久しぶりに奈良の都へ帰った家持も、その年の冬十月の宴席で、梨の葉が美しく色づいた風景に感激して「やどのもみち葉」と歌って、帰京の喜びをかみしめている。

万葉の頃、一般に美しさや豊かさを伴う雪よりも霜の方が寒いという感覚があった。露霜は詞のあやであるが、露にはやはりはかなさがあるので、この歌は、寒いはかない景の中に秋風が吹く晩秋の景観を歌ったものである。先の家持の歌も冬十月の宴の歌であったから、梨のもみちは晩秋から初冬にかけて、もの皆枯れ枯れとして行く中で、辺りを美しく飾る色彩であった。

梨の葉を見て、単に「梨」とは言わないで、同じ音の「無し」を連想し、さらに今自分が無くしている大切なものを思い、「妻無し」と歌った。これは、作者が旅などに出て妻と離れている状態にあったからだ。」 (万葉の小径歌碑 なし)

 

この歌は、巻十の「詠黄葉」に収録されている。同様に「(妻)梨木」を詠んだ歌が収録されている。

 

🔹黄葉の(もみちばの) 丹穂日者繁(にほひはしげし) 然鞆(しかれども) 妻梨木乎(つまなしのきを) 手折可佐寒(たをりかざさむ) (作者未詳 巻十 二一八八)

 

(梨の木の葉)黄葉は美しく繁っている、しかし私は梨の木の枝を折って頭にかざそう。

 

※「にほひ」美しい色合いとか色つやをいう

 

歌碑の説明文にある家持の歌は次のとおりである。

 

🔹十月(かむなづき) 之具礼能常可(しぐれのつねか) 吾世古河(わがせこが) 屋戸乃黄葉(やどのもみちば) 可落所見(ちりぬべくみゆ) (大伴家持 巻十九 四二五九)

 

左注に、「右一首少納言大伴宿袮家持當時矚梨黄葉作此歌也」とある。

 

十月の時雨の常かあなたの家の梨の葉は散ってしまうように見えます。

 

毎朝、サンドイッチとフルーツフルデザートを作ったいる小生にとって、梨といえばあのみずみずしい甘い果実が頭に浮かぶが、万葉集では果実の美味しさについて歌った歌にまだお目にかかったことがない。奈良県のHPの県民だより奈良の「はじめての万葉集」によると、「梨は、現在私たちが食べている大ぶりな実ではなく、古代ではもっと小さな果実であったようです。」とある。品種改良の結果今日の姿、味があるのだろう。

 

(参考文献)

★万葉の小径歌碑 なし ナシ

★「萬葉集」 鶴 久 ・ 森山 隆 編 (桜楓社)

夕暮れの万葉の小径である。

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