万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(月読橋番外編)―羽曳野市駒ヶ谷 月読橋―新古今集の巻5、秋歌下

●歌は、「あすか川 もみじ葉ながる 葛城の 山の秋風 吹きぞしぬらし」である。

 

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羽曳野市駒ヶ谷 月読橋上流50m新古今集歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、羽曳野市駒ヶ谷 月読橋上流50mにある。

 

(私訳)飛鳥川にもみじの葉がひっきりなしに流れてくる、きっと葛城の山々に秋風が、しきりに吹いているからこそだろう。

(注)ぬらし 分類連語:(確かに)…てしまったらしい。…しまっているようだ。

※なりたち 完了の助動詞「ぬ」の終止形+推定の助動詞「らし」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ぞ:上代、活用語の已然形に直接付き、中古以降は、その下に接続助詞「ば」を伴ったものに付いて、理由・原因を強調して示す意を表す。…からこそ。…からか。

るい か (goo辞書)

 

 歌碑の隣には、「飛鳥川の歌碑」として、歌の解説等が次のように書かれている。

「この歌は、新古今集の巻5、秋歌下に、題しらず柿本人麿として掲載されている。この歌の元歌は、万葉集の巻10、秋雑歌の中の「明日香川もみじ葉流る葛城の山の木の葉は今し散るらむ」というのがある。碑の裏には「文化2年歳次乙丑夏五月」と記されている。駒が谷の金剛輪寺の住職をしていた学僧の覚峰が文化2年(1805年)に建立したとある。覚峰は大坂の人で、国学の造詣がふかく、河内を中心とする古代史を研究し、河内の古跡調査でも知られた」

 

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飛鳥川の歌碑と歌の解説説明案内板

「(月読橋は、駒ヶ谷の家並みに入った竹内街道飛鳥川を渡るところに架かる橋。その50mほど上流に石碑があり、新古今集の中の”あすか河 もみじ葉ながる葛城の 山の秋風 吹きぞしぬらし”という柿本人磨の歌が刻まれています。) (華やいで大阪・南河内観光キャンペーン協議会HP)

 

 万葉集の元歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その455、456)」でも紹介している。

 

◆明日香河 黄葉流 葛木 山之木葉者 今之落疑

               (作者未詳 巻十 二二一〇)

 

≪書き下し≫明日香川(あすかがわ)黄葉(もみぢば)流る葛城(かづらき)の山の木(こ)の葉は今し散るらし

 

(訳)明日香川にもみじが流れている。この分では、葛城(かつらぎ)の山の木の葉は、今頃しきりに散っていることであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

花筏」と言う言葉があるが、この場合は、川の幅はある程度広いことが前提となる。月読橋の下を流れる川の川幅から察するに、黄葉が川を埋め尽くすばかりに流れている光景なのであろう。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「goo辞書」

★「華やいで大阪・南河内観光キャンペーン協議会HP」