万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その890)―太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(1)―万葉集 巻五 八二三

●歌は、「梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ」である。

 

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太宰府歴史スポーツ公園(1)

●歌碑は、太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都ゝ  大監伴氏百代

              (伴氏百代 巻五 八二三)

 

≪書き下し≫梅の花散らくはいづくしかすがにこの城(き)の山に雪は降りつつ

 

(訳)梅の花が雪のように散るというのはどこなのでしょう。そうは申しますものの、この城の山にはまだ雪が降っています。その散る花はあの雪なのですね。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しかすがに【然すがに】副詞:そうはいうものの。そうではあるが、しかしながら。※上代語。 ⇒参考 副詞「しか」、動詞「す」の終止形、接続助詞「がに」が連なって一語化したもの。中古以降はもっぱら歌語となり、三河の国(愛知県東部)の歌枕(うたまくら)「志賀須賀(しかすが)の渡り」と掛けて用いることも多い。一般には「しか」が「さ」に代わった「さすがに」が多く用いられるようになる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

(注)-く 接尾語 〔四段・ラ変動詞の未然形、形容詞の古い未然形「け」「しけ」、助動詞「けり」「り」「む」「ず」の未然形「けら」「ら」「ま」「な」、「き」の連体形「し」に付いて〕①…こと。…すること。▽上に接する活用語を名詞化する。②…ことに。…ことには。▽「思ふ」「言ふ」「語る」などの語に付いて、その後に引用文があることを示す。③…ことよ。…ことだなあ。▽文末に用い、体言止めと同じように詠嘆の意を表す。

⇒ 参考(1)一説に、接尾語「らく」とともに、「こと」の意の名詞「あく」が活用語の連体形に付いて変化したものの語尾という。(2)多く上代に用いられ、中古では「いはく」「思はく」など特定の語に残存するようになる。(3)この「く」を準体助詞とする説もある。(学研)

(注)城(き)の山:大野山と同じ。

大野山については、日本山岳会HPの「四王寺山(しおうじやま)」で次のように書かれている。「大宰府市のすぐ北になだらかに広がる四王寺山は、最高点のある大城山(410m)を中心に岩屋山・水瓶山・大原山と呼ばれる4つの山から構成され、総称として四王寺山と呼ばれる。白村江の戦いの翌年である664年、大城山の山頂に古代山城である大野城が設置され、中世には岩屋山の山腹に岩屋城が築かれ、戦国時代末期の岩屋城の戦いの舞台にもなった歴史ある里山。」

 

 「梅花の歌三十二首」の一首である。

 

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歌の解説碑

 

 大宰府市発行のパンフレット「太宰府万葉歌碑めぐり」を見ながら、博多のホテルで二日目の計画をたてていく。グーグルマップのストリートヴューも駆使する。

 二日目のトップバッターは、大宰府歴史スポーツ公園である。園内に10基ある。北に篠振池、南に大池があり、小高い丘もある。岡と公園と大池の周囲に遊歩道がぐるりと巡っている。その遊歩道に4基、小高い丘に6基といったシチュエーションである。遊歩道を廻って小高い丘を攻めることにする。

 

 到着。ウォーキングしている人やゲートボールに興じている人が大勢いる。スポーツ公園と呼ばれるだけのことはある。 

 遊歩道では、人の流れに乗る。駐車場から少し歩いたところの左手に歌碑があった。

 眼の前にあるのは、大宰府の一番目の歌碑である。なぜか、写真を撮ることも一瞬忘れて佇んでしまったのである。

 

 

 原文に「烏梅」と書かれているが、これについては吉海 直人氏(同志社女子大学日本語日本文学科教授)の「日本人と梅」(同大学HP)に次のように詳しく書かれているので引用させていただく。

 「梅は外来種です。その証拠に『古事記』・『日本書紀』に梅は描かれていません。漢詩集『懐風藻』にはじめて出ていることから、中国から伝来したことが察せられます。8世紀に中国との交易の中で、薬用の「烏梅(うばい)」(梅干の一種)が輸入されたのです。その際、梅の種や苗も輸入され、日本で栽培されたのでしょう。ですから『万葉集』では、最初に大宰府の梅が詠まれています。

ところでみなさん、『うめ』は訓読みで『ばい』は音読みと思っていませんか。実は両方とも梅の中国語読みから変化したものです。『うめ』は古語では『むめ』ですから、『ばい』とも近いのです。そのため『うめ』も音読みとする説もあります。要するに日本語に『梅』に当るものが存在しなかったのです(『菊』も同様です)。

いずれにしても舶来ということで、当時はとても高価かつ有用な植物でした。必然的に都の中に植えて管理されたようです。山桜が野生であるのに対して、梅は人間の手によって栽培されたのです。そのため『万葉集』において、梅は桜の3倍(119首)も歌に詠まれています。(後略)」

 当初は、数種類の白花だけが輸入されていたので、雪に喩えられる歌が多いのである。

 

上記の吉海 直人氏(同志社女子大学日本語日本文学科教授)の「日本人と梅」(同大学HP)に、「『菊』も同様です」と書かれているので、「『植物で見る万葉の世界』 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)」をみてみると、「万葉集中の植物名」の中には無いのである。他も調べてみたが、万葉集では詠まれていないのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「日本人と梅」 吉海 直人 著 (同志社女子大学HP)

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市

★「四王寺山(しおうじやま)」 (日本山岳会HP)