万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2212~2215)―奈良市宇陀郡曽爾村 隼別神社―万葉集 巻一 一八、巻二 一六五、巻三 二六六

―その2212―

●歌は、「三輪山をしかもかくすか雲だにも心あらなむかくさふべきしや」である。

奈良市宇陀郡曽爾村 隼別神社万葉歌碑(額田王) 20230516撮影

●歌碑は、奈良市宇陀郡曽爾村 隼別神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南敏 可苦佐布倍思哉

         (額田王 巻一 一八)

 

≪書き下し≫三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠そふべしや

 

(訳)ああ、三輪の山、この山を何でそんなにも隠すのか。せめて雲だけでも思いやりがあってほしい。隠したりしてよいものか。よいはずがない。(同上)

(注)しかも【然も】分類連語:①そのようにも。②〔下に「…か」を伴って〕そんなにも(…かなあ)。 ※「も」は係助詞。(学研)ここでは②の意

(注)なも 終助詞:《接続》活用語の未然形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。…てもらいたい。 ※上代語。(学研)

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その45改)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その2213―

●歌は、「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む」である。

奈良市宇陀郡曽爾村 隼別神社万葉歌碑(大伯皇女) 20230516撮影

●歌碑は、奈良市宇陀郡曽爾村 隼別神社にある。

 

●歌をみていこう。

題詞は、「移葬大津皇子屍於葛城二上山之時大来皇女哀傷御作歌二首」<大津皇子の屍(しかばね)を葛城(かづらぎ)の二上山(ふたかみやま)に移し葬(はぶ)る時に、大伯皇女の哀傷(かな)しびて作らす歌二首>である。

 

◆宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 弟世登吾将見

         (大伯皇女 巻二 一六五)

 

≪書き下し≫うつそみの人にある我(あ)れや明日(あす)よりは二上山(ふたかみやま)を弟背(いろせ)と我(あ)れ見む

 

(訳)現世の人であるこの私、私は、明日からは二上山を我が弟としてずっと見続けよう。(同上)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その173)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その2214―

●歌は、「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」である。

奈良市宇陀郡曽爾村 隼別神社万葉歌碑(柿本人麻呂) 20230516撮影

●歌碑は、奈良市宇陀郡曽爾村 隼別神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念

     (柿本人麻呂    巻三 二六六)

 

≪書き下し≫近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

 

(訳)近江の海、この海の夕波千鳥よ、お前がそんなに鳴くと、心も撓(たわ)み萎(な)えて、いにしえのことが偲ばれてならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふなみちどり【夕波千鳥】名詞:夕方に打ち寄せる波の上を群れ飛ぶちどり。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しのに 副詞:①しっとりとなびいて。しおれて。②しんみりと。しみじみと。③しげく。しきりに。(学研)ここでは②の意

(注)いにしへ:ここでは、天智天皇の近江京の昔のこと

 

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1288)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

隼別神社には、隼別皇子(隼総別皇子、隼総別王とも記す)と雌鳥皇女(女鳥王とも記す)の歌碑を中心に万葉歌碑三基を含め数多くの歌碑が立てられている。


隼別皇子、雌鳥皇女に関しては、宇陀市HP「うだ記紀・万葉」に次のように分かりやすく書かれているのでそのまま引用させていただきます。

 「速総別王(はやふさわけのおう)と女鳥王(めとりのおう)

仁徳天皇には、四人の妻がいました。事件は五人目の妻になるようにと、女鳥王(天皇の異母妹)に求婚したことが発端でした。女鳥王は、大后の石之日売命(いわのひめのみこと)のせいで、妻となった姉・八田若郎女(やたのわかいらつめ)が不遇を強いられていることを知っていたので、きっぱり断るつもりでした。ところが、求婚のため仁徳天皇の使者としてやってきた速総別王(天皇の異母弟)に、逆にプロポーズをしてしまったのです。

このあと、仁徳天皇が直接、女鳥王の家まで来ますが、それに対し、女鳥王は『今織っているのは速総別王の衣です』と強気に断りました。それどころか、速総別王と仁徳天皇(大雀命(おおささぎのみこと))とを鳥にたとえて、『ハヤブサだったら、スズメなど捕まえなさいませ』などと、謀反をけしかけるような歌を詠みました。

これに怒った仁徳天皇は、軍隊を出動させます。二人がまず逃げたのは、倉椅山(くらはしやま、現在の桜井市音羽山)でした。速総別王は、女鳥王の手を取って危ない岩場を登るなど、女鳥王を守りながら逃げました。

二人は、音羽山(おとわやま)を越えて宇陀に入り、曽爾へと進みました。宇陀から伊勢へと抜けようとしたのですが、『宇陀之蘇邇(そに)』で追いつかれて、ついには殺されてしまいました。しかも、女鳥王に仕えていた山部大楯(やまべのおおたて)という人物の手によって殺されてしまいました。室生田口には、速総別王が女鳥王を岩陰に隠して仁徳天皇の追手から逃れたという伝説があります。女鳥王が隠れたという岩は、姫隠し岩と呼ばれています。

また曽爾村今井には、横穴式石室墳で構成される楯岡山古墳群があります。1号墳が速総別王の墓、3号墳が女鳥王の墓とする伝承があります。古墳の年代と二人の生年とは少々、異なりますが、いつの頃か不遇な二人を偲んでこのような伝承が生まれるようになったのでしょう。」


 曽爾村の屏風岩の麓の若宮神社では隼別皇子が祀られている。この若宮神社から少し上ったところに隼別神社がある。

参道には道祖神の代わりに男女が睦まじく寄り添う石のレリーフが飾られている。手水も睦まじい寄り添う二匹の龍が形作られている。

この神社は、平成2年に奈良市高畑町のご夫婦が(いずれも故人)が、曽爾を訪れた時にこの地が隼別皇子を祀った跡と確信して神社を建てられたそうである。

 

隼別皇子、雌鳥皇女の歌もみてみよう。


隼別皇子の歌

◆梯立(はしたて)のさがしき山も我妹子(わぎもこ)と二人越ゆれば安蓆(やすむしろ)かも

 

(略訳)梯子を立てたような険しい山であっても、いとしいあなたと二人で越えていくならば、座りごごちの良い蓆むしろに座ってるようなものだ。

(注)やすむしろ【安席/安筵】:座り心地のよい敷物。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

雌鳥皇女の歌

◆久方(ひさかた)の天金機(あめのかなばた)雌鳥(めとり)が織る金機(かなばた)隼別(はやぶさわけ)の御襲(みおすひ)が料(ね)

 

(略訳)すばらしい金機(かなばた)、雌鳥が織るその金機よ。隼別が着るすばらしい衣を織るよ。

(注)かなばた【金機】〘名〙:金属で飾りつけてある機(はた)。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)おすひ【襲】:古代の衣服の一。頭からかぶって衣服の上を覆い、下は裾まで長く垂れた衣 (きぬ) という。(goo辞書)

(注の注)料を「ね」と読むのは検索しきれなかったが、「goo辞書」に「れうる【料る】【動】:料理する。物事をうまく処理する。」とあったので、機(はた)に因んで「織る」と解釈してよいだろう。

 



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「goo辞書」

★「うだ記紀・万葉」 (宇陀市HP)