万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2331)―

●歌は、「すめろきの遠御代御代はい重き折り酒飲みきといふぞこのほほがしは」である。

富山市松川べり 越中万葉歌石板⑪(大伴家持) 20230705撮影

●歌碑は、富山市松川べり 越中万葉歌石板⑪である。

 

●歌をみていこう。

 

 四二〇四、四二〇五歌の題詞は、「見攀折保寳葉歌二首」<攀(よ)ぢ折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首>とあり、歌碑の僧恵行の歌と大伴家持の歌が収録されている。

(注)ほほがしは【朴柏・厚朴】名詞:「ほほ①」に同じ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)ほほ 【朴・厚朴】名詞:①木の名。ほおのき。初夏に黄白色のよい香りの花をつける落葉高木。ほおがしわ。②ほおのきの樹皮から作ったかぜ薬。(学研)ここでは①の意



 四二〇四歌からみてみよう。

 

◆吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖

       (講師僧恵行 巻十九 四二〇四)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)

 

(訳)あなたさまが、捧げて持っておいでのほおがしわ、このほおがしわは、まことにもってそっくりですね、青い蓋(きぬがさ)に。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)我が背子:ここは家持をさす。(伊藤脚注)

(注)あたかも似るか:漢文訓読的表現。万葉集ではこの一例のみ。(伊藤脚注)

(注)きぬがさ【衣笠・蓋】名詞:①絹で張った長い柄(え)の傘。貴人が外出の際、従者が背後からさしかざした。②仏像などの頭上につるす絹張りの傘。天蓋(てんがい)。(学研)

 

 

 

◆皇神祖之 遠御代三世波 射布折 酒飲等伊布曽 此保寳我之波

       (大伴家持 巻十九 四二〇五)

 

≪書き下し≫すめろきの遠御代御代(とほみよみよ)はい重(し)き折り酒(き)飲(の)みきといふぞこのほおがしは

 

(訳)古(いにしえ)の天皇(すめらみこと)の御代御代(みよみよ)では、重ねて折って、酒を飲んだということですよ。このほおがしわは。(同上)

(注)すめろき【天皇】名詞:天皇(てんのう)。「すめろぎ」「すめらぎ」「すべらき」とも。(学研)

(注)みよ【御代・御世】名詞:(神や天皇の)御治世。▽天皇の治世の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(学研)

(注)い重(し)き折り:葉を重ねて器の形に折り曲げる意か。応神記に、柏の葉を酒器に用いた例がある。イは接頭語。(伊藤脚注)

 

 

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 四二〇三、四二〇四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その486)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 伊藤博氏の脚注には、「四一九九以下四二〇六まで、同じ折の歌。首尾を家持の歌で押さえている。」と書かれている。

 

 四一九九歌からみてみよう。

 

四一九九~四二〇二歌の題詞は、「十二日遊覧布勢水海船泊於多祜灣望見藤花各述懐作歌四首」<十二日に、布勢水海(ふせのみづうみ)に遊覧するに、多祜(たこ)の湾(うら)に舟泊(ふなどま)りす。藤の花を望み見て、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌四首>である。

 

◆藤奈美乃 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流

      (大伴家持 巻十九 四一九九)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の影なす海の底清(きよ)み沈(しづ)く石をも玉とぞ我が見る 

 

(訳)藤の花房が影を映している海、その水底までが清く澄んでいるので、沈んでいる石も、真珠だと私はみてしまう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ふぢなみ【藤波・藤浪】名詞:藤の花房の風に揺れるさまを波に見立てていう語。転じて、藤および藤の花。

(注)布勢の海:富山県氷見市にあった湖

(注)多祜(たこ)の湾(うら):布勢の海の東南部

 

 

◆多祜乃浦能 底左倍尓保布 藤奈美乎 加射之氐将去 不見人之為

      (内蔵忌寸縄麻呂 巻十九 四二〇〇)

 

≪書き下し≫多祜の浦の底さえへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため

 

(訳)多祜の浦の水底さえ照り輝くばかりの藤の花房、この花房を髪に挿して行こう。まだ見たことのない人のために。(同上)

 

 

 

◆伊佐左可尓 念而来之乎 多祜乃浦尓 開流藤見而 一夜可經

     (久米広綱 巻十九 四二〇一)

 

≪書き下し≫いささかに思ひて来(こ)しを多祜の浦に咲ける藤見て一夜(ひとよ)経(へ)ぬべし

 

(訳)ほんのかりそめのつもりでやって来たのに、多祜の浦に咲き映えている藤、この藤を見るままに、一晩過ごしてしまいそうだ。(同上)

 

 

 

◆藤奈美乎 借廬尓造 灣廻為流 人等波不知尓 海部等可見良牟

       (久米継麻呂 巻十九 四二〇二)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)を仮廬(かりいほ)に作り浦廻(うらみ)する人とは知らに海人(あま)とか見らむ 

 

(訳)藤の花房、この花房を仮廬(かりいお)に(ふ)いて、浦めぐりしている人とは知らずに、土地の海人(あま)だと見られているのではなかろうか。(同上)

 

 

 四一九九から四二〇一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1371)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 続いて四二〇三歌をみてみよう。

 

題詞は、「恨霍公鳥不喧歌一首」<霍公鳥(ほととぎす)の喧(な)かぬことを恨(うら)むる歌一首>である。

 

◆家尓去而 奈尓乎将語 安之比奇能 山霍公鳥 一音毛奈家

       (久米広縄 巻十九 四二〇三)

 

≪書き下し≫家に行きて何を語らむあしひきの山ほととぎす一声(ひとこゑ)も鳴け

 

(訳)家に帰って、何を土産話にしようか。あしひきの山時鳥よ、今すぐ、一声なりと鳴け。(同上)

(注)家:国府の邸。前歌の「仮廬」に対して持ち出されたもの。以下、四一九九~四二〇二の「藤」に対し、取り合せの「ほととぎす」を持ち出している。四二〇五までの三首は第二次の宴歌で、一組であろう。(伊藤脚注)

(注)あしひきの:「山ほととぎす」の枕詞。(伊藤脚注)

 

左注は、「判官久米朝臣廣縄」<判官久米朝臣広縄>である。

 

 

 「松川べり散策 越中万葉 歌碑&歌石板めぐり」の四二〇五歌の解説には、「天平勝宝2年(750)4月12日(太陽暦5月25日)、家持が国庁の官人を連れて布勢の水海に遊覧した時に作られた歌の一つ。布勢の水海は、かつて氷見市南部に広がっていた潟(かた)。『皇祖』は歴代の天皇をさす。ホオガシワはホウノキで、葉は大型で食物を盛ったり包んだりすることに使われた。『い敷き折り』は、酒を入れるために葉を漏斗(ろうと)形にし、コップに代用したことをいう。」と書かれている。

 

 

 

 

■■袖ヶ浦公園、つくば方面万葉歌碑めぐり■■

 

 9月26日(火)は、新幹線、JR内房線を使って「袖ヶ浦公園・万葉の里(万葉植物園)」の歌碑ならびに歌碑プレートを巡ってきました。

 同27日(水)は、土浦駅からレンタカーを借りて、「つくばテクノパーク」、「筑波山神社」、「ライオンズ広場・万葉の森」、「朝日峠展望公園・万葉の森」を堪能してきました。

 本格的な箱根越えの万葉歌碑巡りは初めてであり、レンタカーを借りるのも初めてであった。

 

袖ヶ浦公園・万葉の里(万葉植物園)■

 新幹線に乗るのも超超久しぶり。京都発6:16。

 東京駅で内房線に乗り換える際は、通勤時間帯だったので人込みをかき分ける緊張感も久しぶり。これだけの人がいるが故の孤独感もひさびさに感じた。

東京駅構内の様子が一変している。コロナのせいもあるが浦島太郎である。

 昔、勤めていた会社の関係でよく姉ヶ崎や袖ヶ浦には来ていたので、車窓から懐かしい思いでコンビナート群を眺めながらのミニトリップを楽しむ。

 駅からバスがあるが昼間は2時間に1本しかない。

 往きはタクシーで公園に。これも初めて。帰りはバス。これも初めて。

 

 

 万葉の里は手入れが行き届いた植物園である。歌碑と陶器製の歌碑プレートで万葉植物に因んだ歌を紹介している。

 100を超える万葉植物の歌碑とプレートを書いた資料を事前に袖ヶ浦観光協会さんからいただいていたので、ひとつひとつ確認しながらカメラに収めていった。

 ちょうど、この植物園のメイン歌碑(巻十四 三三八二)を写していた時に、剪定や刈込を行っていた方が一人近づいてこられた。

巻十四 三三八二の歌碑(上総の国の歌二首のうちの一首)と説明案内板

 

熱心に歌碑を見て回っているのが気になったのであろうか、声をかけていただく。しばらく歌碑への思い、これまでほぼ西日本は周りつくし、今回関東への第一歩などの話をしていたら、この万葉の里(万葉植物園)の資料がありますので、よろしければ、とおっしゃる。

 持ってきますのでお待ちくださいと、おっしゃると、事務所から「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ヶ浦市郷土博物館発行)を持ってこられたのである。植わっている105種類の万葉植物の写真と因んだ歌と歌意が載っている。

ただいた「万葉植物園 植物ガイド105」と内容

 

 

 ありがたいことである。

 なんでも二人(一人の方はパートで午前中だけ)で植物園の手入れをされているのである。

 お礼を申し上げたところ、細かく歌碑をみていただきありがとうございます、とまで言われたのである。歌碑が取り持つ人との出会い、これまでも幾度となく経験しているが、不思議な万葉歌碑のお導きである。

 帰りは、12時46分のバスである。これをのがすと次は14時13分である。

 船橋東武線に乗り換え柏で常磐線に。そして土浦泊である。



 

■■「つくばテクノパーク」、「筑波山神社」、「ライオンズ広場・万葉の森」、「朝日峠展望公園・万葉の森」■■

 

 レンタカーで土浦を8:00に出発。駐車違反の場合は、手続きを終えてから車を引き渡して下さい、という係の説明が妙にひっかかる。余計に緊張感が増す。

 テクノパークの歌碑は、御影石の場合は車道からも確認できるが、筑波石の場合は歌碑でない石も随所に点在しており見分けづらい。おまけに文字も風化が進み見づらくみおとしてしまう。あったと思ったら、古歌や古今和歌集などの碑であったりと悪戦苦闘である。

 駐車違反も気になる。

 それやこれやで時間を食ってしまった。

 予定を立てていた神社など、道が細いと予感させる候補地は省き、安全第一で質より量(万葉植物に因んでいるのでダブるのはいたしかたがない。)レンタカーであるのでなおさらである。

 

 

 

 筑波山神社は有名であるのでアクセスは問題がなかった。筑波山を見ながらのドライブである。

神社前のお店の駐車場に預ける。500円である。妥当なところか。

 参道を上り、途中の参道左にある歌碑を撮影。

 

そしてライオンズ広場・万葉の森も巡り、朝日峠展望公園・万葉の森を目指す。


  スピードがどうのこうの、信号も黄色で入ろうものなら口うるさいのが、今日はいない。気楽なドライブと思っていたが、くねくねした道やヘアーピンを曲がっても面白くないことがわかった。山の神に感謝である。


 道が狭いと予想されるところは、今回は見合わせた。箱根越えの万葉歌碑巡り第1弾は無事に終えることができた。

 京都に帰りつくと、これまた通勤時間帯にかかったので、近鉄も最寄りの駅からのバスも立ちっぱなしであった。これにはこたえました。

 

 歌碑の紹介は後日致しますので引き続きよろしくお付き合いくださいませ。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 植物図鑑」

★「松川べり散策 越中万葉 歌碑&歌石板めぐり(パンフレット)」 (富山県文化振興財団)

★「万葉植物園 植物ガイド105」 (袖ヶ浦市郷土博物館発行)