万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2528)―

●歌は、「岩つなのまたをちかえりあをによし奈良の都をまたも見むかも」である。

茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森(作者未詳) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 題詞は、「傷惜寧樂京荒墟作歌三首  作者不審」<寧楽(なら)の京の荒墟(くわうきよ)を傷惜(いた)みて作る歌三首 作者審らかにあらず>である。

(注)寧楽の京の荒墟:天平十二年(740年)から同十七年奈良遷都まで古京と化す。(伊藤脚注)

 

◆石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨

      (作者未詳 巻六 一〇四六)

 

≪書き下し≫岩つなのまたをちかへりあをによし奈良の都をまたも見むかも

 

(訳)這(は)い廻(めぐ)る岩つながもとへ戻るようにまた若返って、栄えに栄えた都、あの奈良の都を、再びこの目で見ることができるであろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)岩つなの:「またをちかへり」の枕詞。「岩つな」は蔓性の植物。(伊藤脚注)

(注の注)岩綱【イワツナ】:定家葛の古名、岩に這う蔦や葛の総称(weblio辞書 植物名辞典)

(注の注の注)「石綱(イワツナ)」は「石葛(イワツタ)」と同根の語で岩に這うツタのことだが、延びてもまた元に這い戻ることから「かへり」にかかる枕詞となる、(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著)

(注)をちかへる【復ち返る】自動詞:①若返る。②元に戻る。繰り返す。(学研)

 

 奈良の都が突然廃都となり、伊勢行幸の後に恭仁京遷都となるが、作者未詳とはいえ、この三首に見られる、無常観、虚無感ははかりしえない。

 

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1097)」で「彷徨の五年」に絡んだ歌とともに紹介している。

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「彷徨五年」については、「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」に次のように書かれている。

「彷徨五年(ほうこうごねん)は、奈良時代天平12年(740年)から天平17年(745年)5月にかけて、聖武天皇が当時の都であった平城京を突然捨て、新規に建設した恭仁宮と紫香楽宮、副都として整備されていた難波宮の3か所を転々としながら政治を行った時代。天平12年10月29日に天皇が伊勢方面へ旅立った東国行幸に始まり、天平17年5月11日に天皇平城京に戻るまでを指す。」

 

 恭仁京については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねてシリーズ」の前のシリーズ「ザ・モーニングセット&フルーツデザート190226(万葉集時代区分・第4期<その1>)」で紹介している。

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 紫香楽の宮については、「ザ・モーニングセット&フルーツデザート190301(紫香楽宮阯を訪ねる)」で紹介している。

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「彷徨の五年」は「逃避行」と言われているが、松浦茂樹氏(建設産業史研究会代表(工学博士))の稿「聖武天皇と国土経営」(水利科学 No.358 2017)では、水運という国土経営の観点から新たな仮説を論じておられる。これについては拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1225)」で紹介している。

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 「彷徨の五年」というのも万葉集に取り組んで初めて知ったことである。機会があれば、彷徨五年の足取りを追ってみたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「聖武天皇と国土経営」 松浦茂樹氏(建設産業史研究会代表(工学博士))稿 (水利科学 No.358 2017)

★「植物で見る万葉の世界」 (國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「weblio辞書 植物名辞典」