万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2558)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた返り見む (一四一歌)」ならびに「家なれば笱に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(一四二歌)である。

有間皇子結松記念碑解説板万葉歌碑(プレート) 20210913撮影

●歌碑(プレート)は、有間皇子結松記念碑解説板にある。

 

●歌をみていこう。

◆磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武

       (有間皇子 巻二 一四一)

 

≪書き下し≫岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む

 

(訳)ああ、私は今、岩代の浜松の枝と枝を引き結んでいく、もし万一この願いがかなって無事でいられたなら、またここに立ち帰ってこの松を見ることがあろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)岩代:和歌山県日高郡みなべ町岩代(伊藤脚注)

(注)引き結びま幸くあらば:枝と枝とを引き結んでいく、ああもし無事だったら。「引き結び」は現在の情景を述べた中止法。(伊藤脚注)

(注の注)まさきく【真幸く】副詞:無事で。つつがなく。 ※「ま」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆家有者 笱尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉盛

         (有間皇子 巻二 一四二)

 

≪書き下し≫家なれば笱(け)に盛(も)る飯(いひ)を草枕旅(たび)にしあれば椎(しひ)の葉に盛る

 

(訳)家にいる時にはいつも立派な器物(うつわもの)に盛ってお供えをする飯(いい)なのに、その飯を、今旅の身である私は椎(しい)の葉に盛って神祭りをする。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)盛る:盛って神に手向ける。(伊藤脚注)

(注)旅:「家」と「旅」との対比は行路を嘆く歌の型。(伊藤脚注)

 

 両歌に関してはこれまでしばしば紹介してきている。両歌記載の歌碑(プレート)は、「有間皇子結松記念碑解説板」にある。

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 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)なは、「大化の改新」について詳細に語られている。

 と同時に、立役者中大兄皇子についての不幸について「愛する妃を失っただけではなかった。大化のクーデターにみずから長槍をふるったこの勇者は孝徳の十年間、ついで斉明女帝の七年間を皇太子としてすごし、さらに六年間は即位式をあげないままに政務をとる。この称制時代を経て晩年の四年間を天皇として君臨する。その二十七年間、自信にみちた果断の行動をとおして華やかな脚光に包まれているけれども、実は、彼ほど苦悩につつまれていた人間は、ほかにいないのではないか。すでに二十歳で蘇我氏を倒滅すべき宿命を課せられて以来、そのために石川麻呂の娘遠智娘(おちのいらつめ)をめとり・・・失う悲しみにおそわれた。また古人大兄という異母兄をも殺さねばならなかった。その後も石川麻呂・有間皇子を殺し」たのである。さらに「越智娘との間に生まれた持統は、わが子ののため大津皇子(おおつのみこ)を殺すという、時代の血の中にも不幸は続いている。そればかりではない・・・朝鮮への出兵、その旅先での母帝斉明の死、戦後の近江遷都によって人びとの不安をよびおこした。わが子大友皇子(弘文(こうぶん)天皇)への愛は弟大海人皇子との不和に拍車をかけ、ついに壬申の乱に発展する。」(同著)と書かれている。さらに「斉明二年(六五六)五月に、中大兄は次の不幸に見舞われた。・・・越智娘との間の皇子、建王(たけるのみこ)の死がそれである」と。(同著)

 「祖母斉明はこの孫が一しお不憫(ふびん)だったのか、死をいたんで六首の歌を作っている。たとえばその一首は、<今城(いまき)なす小丘(をむれ)が上に雲だにも著(しる)くし立たば何か歎(なげ)かむ(斉明紀)>『今城の丘にせめて雲だけでも経てば少しは慰められるだろう』というのである。」(同著)そして有間皇子の悲劇について語られているのである。

 

 

 上記の斉明紀の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その766)」において、奈良県吉野郡大淀町今木 蔵王権現堂(泉徳寺)仁王門横の万葉集巻十 一九四四の歌碑とともに紹介している。

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 大化の改新のもう一人の藤原鎌足の歌(巻二 九五歌)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その112改)」で、多武峰談山神社神廟拝所前歌碑とともに紹介している。

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古都飛鳥保存財団HPに飛鳥板蓋宮について「飛鳥板蓋宮は皇極天皇治世の宮。中大兄皇子中臣鎌足大化改新を断行し、蘇我入鹿を暗殺した乙巳の変の舞台である。7世紀当時、檜皮葺や草葺の建物が通常の時代に板で屋根を葺いた斬新的な建物であったと思われる。」と書かれている。

 飛鳥板蓋宮については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その178)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「古都飛鳥保存財団HP」