万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その970,971)―一宮市萩原町 高松分園(42、43)―万葉集 巻 十 二一〇一、巻十 二一四二

―その970―

●歌は、「我が衣摺れるにはあらず高松の野辺行きしかば萩の摺れるぞ」である。

 

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一宮市萩原町 高松分園(42)万葉歌碑<作者未詳>

●歌碑は、一宮市萩原町 高松分園(42)にある。

高松分園の西側の出入り口の側に「萬葉公園設立五十周年記念樹」の石碑の右側面にこの歌が刻されている。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾衣 揩有者不在 高松之 野邊行之者 芽子之揩類曽

              (作者未詳 巻十 二一〇一)

 

≪書き下し≫我(あ)が衣(ころも)摺(す)れるにはあらず高松(たかまつ)の野辺(のへ)行きしかば萩の摺れるぞ

 

(訳)私の衣は、摺染(すりぞ)めしたのではありません。高松の野辺を行ったところ、あたり一面に咲く萩が摺ってくれたのです。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)摺染(読み)すりぞめ:〘名〙: 染色法の一つ。草木の花、または葉をそのまま布面に摺りつけて、自然のままの文様を染めること。また花や葉の汁で模様を摺りつけて染める方法もある。この方法で染めたものを摺衣(すりごろも)という。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版 )

 

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その952)」で紹介している。

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―その971―

●歌は、「さを鹿の妻ととのふと鳴く声の至らむ極み靡け萩原」である。

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一宮市萩原町 高松分園(43)万葉歌碑<作者未詳>


 

●歌碑は、一宮市萩原町 高松分園(43)にある。

「萬葉公園設立五十周年記念樹」の石碑の左側面にこの歌が刻されている。

 

●歌をみていこう。

 

◆左男壮鹿之 妻整登 鳴音之 将至極 靡芽子原

               (作者未詳 巻十 二一四二)

 

≪書き下し≫さを鹿(しか)の妻ととのふと鳴く声の至らむ極(きは)み靡(なび)け萩原(はぎはら)

 

(訳)雄鹿が妻を呼び寄せようと、鳴き立てる声の届く果てまで、一面に靡け、萩原よ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さをしか【小牡鹿】名詞:雄の鹿(しか)。 ※「さ」は接頭語(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)妻ととのふ:妻を呼び寄せようと。

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

 

 さを鹿、妻、萩というと、頭に浮かぶのは大伴旅人の歌である。

 この歌をみてみよう。

 

◆吾岳尓 棹壮鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹壮鹿

               (大伴旅人 巻八 一五四一)

 

≪書き下し≫我が岡にさを鹿(しか)来鳴く初萩(はつはぎ)の花妻(はなつま)どひに来鳴くさを鹿

 

(訳)この庭の岡に、雄鹿が来て鳴いている。萩の初花を妻どうために来て鳴いているのだな、雄鹿は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)さをしか【小牡鹿】名詞:雄の鹿(しか)。 ※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はなづま【花妻】名詞:①花のように美しい妻。一説に、結婚前の男女が一定期間会えないことから、触れられない妻。②花のこと。親しみをこめて擬人化している。③萩(はぎ)の花。鹿(しか)が萩にすり寄ることから、鹿の妻に見立てていう語(学研)ここでは、③の意

 

 一五四一歌について、中西 進氏は、「大伴旅人―人と作品」(中西 進 編 祥伝社新書)のなかで、「大宰府時代以降の旅人をおおっているものに、亡妻思慕(ぼうさいしぼ)がある。(中略)しきりに嬬を求める男鹿は、潜流する亡妻思慕が時として意識の表面に浮上したものにちがいない。」と書かれている

鹿は旅人自身であり、姿を見せない雌鹿は、まさに旅人の今は亡き、美しき花妻である。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その924)」で紹介している。

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 鹿を詠んだ歌は、萩とともに秋が多いのであるが、求愛するころの雄鹿の角は立派である。鹿らしい鹿であるので好まれて詠まれたのであろう。しかし夏の鹿を詠んだ歌もあるのでみてみよう。旧暦の夏は今の春から初夏にかけてで、鹿の角が生え変わったばかりの短い時期である。

 

 

◆夏野去 小壯鹿之角乃 束間毛 妹之心乎 忘而念哉

                (柿本人麻呂 巻四 五〇二)

 

≪書き下し≫夏野行く小鹿(をしか)の角の束(つか)の間(ま)も妹(いも)が心を忘れて思へや

 

(訳)草深い夏の野を行く鹿の、生えたての角の短さではないが、そのほんのちょっとの間もあの子のことを思い忘れることなどあろうか。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「束の間」を起こす。

(注)忘れて思へや:忘れることを思い方の一つとする表現。「や」は反語。

(注)つかのま【束の間】名詞:ほんの短い時間。一瞬間。(学研)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その50改)」で紹介している。(タイトルには、初期のブログのため朝食の写真が載っていますが、本文は改訂し写真は削除してあります。ご容赦下さい)

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 この鹿の若角は薬になるとして「薬狩り」が、陰暦四、五月ごろ、特に五月五日に、行われていた。天智天皇が蒲生野で遊猟、すなわち薬狩りを行った時に、額田王(巻一 二〇)と大海人皇子(巻一 二一)が詠った歌は名高い。

 その歌のの左注は、「紀日 天皇七年丁卯夏五月五日縦獦於蒲生野于時大皇弟諸王内臣及群臣皆悉従焉」<紀には「天皇の七年丁卯(ひのとう)の夏の五月の五日に、蒲生野(かまふの)に縦猟(みかり)す。時に大皇弟(ひつぎのみこ)・諸王(おほきみたち)、内臣(うちのまへつかさ)また群臣(まへつきみたち)、皆悉(ことごと)に従(おほみとも)なり」といふ>である。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る       額田王

紫草のにほえる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも    大海人皇子

 

 この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その258,259)で紹介している

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 編 (祥伝社新書)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版 」