万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1404)―福井県越前市 万葉ロマンの道(23)―万葉集 巻十五 三七七三

●歌は、「君が共行かましものを同じこと後れて居れどよきこともなし」である。

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福井県越前市 万葉ロマンの道(23)万葉歌碑(狭野弟上娘子)

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(23)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆君我牟多 由可麻之毛能乎 於奈自許等 於久礼弖乎礼杼 与伎許等毛奈之

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七七三)

 

≪書き下し≫君が共(むた)行かましものを同(おな)じこと後(おく)れて居(を)れどよきこともなし

 

(訳)こんなことなら、あなたと連れ立って行くのだったのに。旅はつらいとおっしゃいますが、同じことです。あとに残っていても、何のよいこともありません。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まし 助動詞特殊型 《接続》活用語の未然形に付く。:①〔反実仮想〕(もし)…であったら、…であるだろうに。…であっただろう。…であるだろう。▽実際には起こり得ないことや、起こらなかったことを想像し、それに基づいて想像した事態を述べる。②〔悔恨や希望〕…であればよいのに。…であったならばよかったのに。▽実際とは異なる事態を述べたうえで、そのようにならなかったことの悔恨や、そうあればよいという希望の意を表す。③〔ためらい・不安の念〕…すればよいだろう(か)。…したものだろう(か)。…しようかしら。▽多く、「や」「いかに」などの疑問の語を伴う。④〔単なる推量・意志〕…だろう。…う(よう)。 ⇒語法:(1)未然形と已然形の「ましか」已然形の「ましか」の例「我にこそ開かせ給(たま)はましか」(『宇津保物語』)〈私に聞かせてくださればよいのに。〉(2)反実仮想の意味①の「反実仮想」とは、現在の事実に反する事柄を仮定し想像することで、「事実はそうでないのだが、もし…したならば、…だろうに。(だが、事実は…である)」という意味を表す。(3)反実仮想の表現形式反実仮想を表す形式で、条件の部分、あるいは結論の部分が省略される場合がある。前者が省略されていたなら、上に「できるなら」を、後者が省略されていたなら、「よいのになあ」を補って訳す。「この木なからましかばと覚えしか」(『徒然草』)〈この木がもしなかったら、よいのになあと思われたことであった。〉(4)中世以降の用法 中世になると①②③の用法は衰え、推量の助動詞「む」と同じ用法④となってゆく。(学研)ここでは②の意

(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(学研)

(注)同じこと:旅は辛いとおっしゃるが同じことです。宅守の三七六三歌に応じる。(伊藤脚注)

(注の注)三七六三歌

◆多婢等伊倍婆 許登尓曽夜須伎 須敝毛奈久 ゝ流思伎多婢毛 許等尓麻左米也母

       (中臣宅守 巻十五 三七六三)

 

≪書き下し≫旅と言へば言(こと)にぞやすきすべもなく苦しき旅も言(こと)にまさめやも

 

(訳)旅と言えば、口の上ではたやすいことだ。といって、どうしようもなく苦しいこの旅も、旅という言葉よりまさる言い方で表わし得るというのか、表しようはないのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1394)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 現在では使われていない「共(むた)」とか「後れ居て」などの言葉には、万葉の時代に誘ってくれるとともに、なぜか逆に新鮮味が感じられる。

 「後れ居て」ではじまる歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1217)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 三七七三歌には、あまりなじみのない「共(むた)」が使われている。この「むた」を使った歌をみてみよう。

 柿本人麻呂の石見相聞歌の一首である。

 

◆石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等<一云 礒無登> 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者 <一云 礒者> 無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒礒乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎<一云 波之伎余思妹之手本乎> 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志怒布良武 妹之門将見 靡此山

     (柿本人麻呂 巻二 一三一)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)の海 角(つの)の浦(うら)みを 浦なしと 人こそ見(み)らめ潟(かた)なしと<一には「礒なしと」といふ> 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は<一に「礒は」といふ>なくとも 鯨魚(いさな)取(と)り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒礒(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)ふる 玉藻沖つ藻 朝羽(あさは)振(ふ)る 風こそ寄らめ 夕 (ゆふ)羽振る 波こそ来(き)寄れ 浪の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を<一には「はしきよし妹が手本(たもと)を> 露霜(つゆしも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)の 里は離(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)へて 偲(しの)ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む 靡(なび)けこの山

 

(訳)石見の海、その角(つの)の浦辺(うらべ)を、よい浦がないと人は見もしよう。よい干潟がないと<よい磯がないと>人は見もしよう。が、たとえよい浦はないにしても、たとえよい干潟は<よい磯は>はないにしても、この角の海辺を目指しては、和田津(にきたづ)の荒磯のあたりに青々と生い茂る美しい沖の藻、その藻に、朝(あした)に立つ風が寄ろう、夕(ゆうべ)に揺れ立つ波が寄って来る。その寄せる風浪(かざなみ)のままに寄り伏し寄り伏しする美しい藻のように私に寄り添い寝たいとしい子であるのに、その大切な子を<そのいとしいあの子の手を>、冷え冷えとした露の置くようにはかなくも置き去りにして来たので、この行く道の曲がり角ごとに、いくたびもいくたびも振り返って見るけど、あの子の里はいよいよ遠ざかってしまった。いよいよ高く山も越えて来てしまった。強い日差しで萎(しぼ)んでしまう夏草のようにしょんぼりして私を偲(しの)んでいるであろう。そのいとしい子の門(かど)を見たい。邪魔だ、靡いてしまえ、この山よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)角の浦:島根県江津市都野津町あたりか

(注)うらみ【浦廻・浦回】名詞:入り江。海岸の曲がりくねって入り組んだ所。(学研)

(注)よしゑやし【縦しゑやし】分類連語:①ままよ。ええ、どうともなれ。②たとえ。よしんば。 ※上代語。 ⇒なりたち 副詞「よしゑ」+間投助詞「やし」(学研)ここでは②の意

(注)いさなとり【鯨魚取り・勇魚取り】( 枕詞 ):クジラを捕る所の意で「海」「浜」「灘(なだ)」にかかる。 (weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)和田津(にきたづ):所在未詳

(注)ありそ【荒磯】名詞:岩石が多く、荒波の打ち寄せる海岸。 ※「あらいそ」の変化した語。(学研)

(注)はぶる【羽振る】自動詞:飛びかける。はばたく。飛び上がる。「はふる」とも。(学研)

(注)朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ:風波が鳥の翼のはばたくように玉藻に寄せるさま。(伊藤脚注)

(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(学研)

(注)かよりかくよる【か寄りかく寄る】[連語]あっちへ寄り、こっちへ寄る。(コトバンク デジタル大辞泉

(注の注)か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を:前奏を承け、「玉藻」を妻の映像に転換していく。(伊藤脚注)

(注)つゆしもの【露霜の】分類枕詞:①露や霜が消えやすいところから、「消(け)」「過ぐ」にかかる。②露や霜が置く意から、「置く」や、それと同音を含む語にかかる。③露や霜が秋の代表的な景物であるところから、「秋」にかかる。(学研)

(注)なつくさの【夏草の】分類枕詞:①夏草が日に照らされてしなえる意で「思ひしなゆ」②夏草が生えている野の意で「野」を含む地名「野島」や「野沢」にかかる。③夏草が深く茂るところから「繁(しげ)し」「深し」にかかる。④夏草を刈るの意で「刈る」と同音を含む「仮(かり)」「仮初(かりそめ)」にかかる。(学研)

(注)夏草の思ひ萎へて偲ふらむ妹が門見む靡けこの山:結びは短歌形式をなす。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1271)」で紹介している。

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◆浪之 靡玉藻乃 片念尓 吾念人之 言乃繁家口

       (作者未詳 巻十二 三〇七八)

 

≪書き下し≫波の共(むた)靡(なび)く玉藻(たまも)の片思(かたもひ)に我(あ)が思ふ人の言(こと)の繁(しげ)けく

 

(訳)波のまにまにあちらこちらに靡く玉藻のように、あれやこれやと片思いに苦しみながら私が心を寄せている人、あの人についての噂がかれこれ聞こえてくる。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)上二句は序。「片思に」を起す。玉藻が片方に靡く意。(伊藤脚注)

 

 

◆國遠見 念勿和備曽 風之 雲之行如 言者将通

       (作者未詳 巻十二 三一七八)

 

≪書き下し≫国(くに)遠(とほ)み思ひなわびそ風の共(むた)雲の行くごと言(こと)は通(かよ)はむ

 

(訳)お国が遠いからといってそんなにしょげないで下さい。風のまにまに雲が流れて行くように、お互いの消息はきっと通い合うことでしょう。(同上)

(注)わぶ【侘ぶ】自動詞:①気落ちする。悲観する。嘆く。悩む。②困る。困惑する。当惑する。③つらく思う。せつなく思う。寂しく思う。④落ちぶれる。貧乏になる。まずしくなる。⑤わびる。謝る。◇「詫ぶ」とも書く。⑥静かな境地を楽しむ。わび住まいをする。閑寂な情趣を感じとる。(学研)ここでは①の意

 

 

◆可是能牟多 与世久流奈美尓 伊射里須流 安麻乎等女良我 毛能須素奴礼奴

       (遣新羅使人等 巻十五 三六六一)

 

≪書き下し≫風の共(むた)寄せ来(く)る波に漁(いざ)りする海人娘子(あまをとめ)らが裳(も)の裾濡(ぬ)れぬ

 

(訳)風と共に寄せてくる波、この波しぶきに、漁をしている海人娘子たちの裳の裾がひたひたと濡れている。(同上)

 

 

◆角嶋之 迫門乃稚海藻者 人之 荒有之可杼 吾共者和海藻

       (作者未詳 巻十六 三八七一)

 

≪書き下し≫角島(つのしま)の瀬戸のわかめは人の共(むた)荒かりしかど我(わ)れとは和海藻(にきめ)

 

(訳)角島の瀬戸で採れたわかめは、人中ではまるで荒藻(あらめ)だったけれど、俺とは和海藻(にきめ)なんだよな。(同上)

(注)角島:筑前の北方、山口県西北の島。(伊藤脚注)

(注)わかめ:若い女の譬え。(伊藤脚注)

(注)荒かりしかど:他人と共にある時は荒藻だったが。(伊藤脚注)

(注)にきめ【和布・和海藻】名詞:柔らかな海藻。わかめの類。 ※「にき」は接頭語。中古以降は「にぎめ」(学研)

 

 この歌に出てくる「荒かりしわかめ」は「荒藻(あらめ)」とか「荒海藻(あらめ)」といわれるものである。大伴坂上郎女の次の歌の「荒海藻」は、「・・・あらめ」を「・・・荒海藻」と書いた書き手の遊び心である。万葉集の魅力の一つでもある。みてみよう。

 

◆豫 人事繁 如是有者 四恵也吾背子 奥裳何如荒海藻

              (大伴坂上郎女 巻四 六五九)

 

≪書き下し≫あらかじめ人言(ひとごと)繁(しげ)しかくしあらばしゑや我(わ)が背子(せこ)奥(おく)もいかにあらめ

 

(訳)今のうちから人の噂がいっぱいです。こんなだったら、ああいやだ、あなた、この先もどうなることでしょう、まっくらです。(同上)

(注)あらかじめ【予め】副詞:前もって。かねて。

(注)しゑや 感動詞:えい、ままよ。※物事を思い切るときに発する語。(同上)

(注)おく【奥】名詞:①物の内部に深く入った所。②奥の間。③(書物・手紙などの)最後の部分。④「陸奥(みちのく)」の略。▽「道の奥」の意。⑤遠い将来。未来。行く末。

⑥心の奥(同上) ※ここでは、⑤の意

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1201)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」