万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1943)―岐阜県山県市 甘南美寺―万葉集 巻八 一四三五

●歌は、「かはづ鳴く神なび川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」である。

岐阜県山県市 甘南美寺万葉歌碑(厚見王

●歌碑は、岐阜県山県市 甘南美寺にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆河津鳴 甘南備河尓 陰所見而 今香開良武 山振乃花

      (厚見王 巻八 一四三五)

 

≪書き下し≫かはづ鳴く神なび川に影見えて今か咲くらむ山吹の花

 

(訳)河鹿の鳴く神なび川に、影を映して、今頃咲いていることであろうか。岸辺のあの山吹の花は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かはづ【蛙】名詞:①かじかがえる。かじか。山間の清流にすみ、澄んだ涼しい声で鳴く。◇「河蝦」とも書く。②かえる。[季語] 春。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)神なび川:神なびの地を流れる川。飛鳥川とも竜田川ともいう。(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに厚見王の歌の他の歌二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1015)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

養老公園山県市の甘南美寺■

 養老公園の万葉歌碑を撮り終え、次は、前回すっぽ抜かしてしまった山県市の甘南美寺である。

 

 養老公園から約1時間のドライブである。

結構山あいに入って行く。やがて伊自良湖が右手に。その先に異空間の世界のような寺院が迎えてくれる。

 参道石段を上りながらおごそかな雰囲気に身が包まれる思いである。

参道石段

 突然、静寂を破りけたたましい番犬の鳴き声。寺務所前に繋がれているが、人恋しいのか、我々が怪しいのかは分からないが、鳴きながら元気いっぱい飛び跳ねている。

本堂

境内

 犬にかまわず歌碑を探すべく参道を上りきる。本堂前で境内のあたりを散策するも見当たらない。仕方なく参道を下りて行く。またしても犬にほえたてられながらも、寺務所で歌碑のある場所を尋ねる。

200mほど下の寺名碑の下に歌碑があると教えていただく。要は寺の入口である。見落して通り過ぎていたのである。

白華山甘南美寺名碑と歌碑

参道の風景



 漸く、ミッション完了。岐阜駅近くのホテルに。

 次のミッションは、「ぎふ旅コイン」の消化である。市内の大型スーパーマーケットで楽しく買い物をして無事に岐阜県万葉歌碑巡り第2弾を終了したのである。

 

 

■甘南美寺とは■

「甘南美寺」については、山県市HP「山県市の魅力発信 やまなび」に、「戦国時代に建立されたといわれる本堂は、八ツ棟造りの堂々たる建物。本堂には、千手観音が祀(まつ)られています。ここの桜は樹齢350年以上という古木で、県の天然記念物に指定されています。」と書かれている。

(注)やつむねづくり【八棟造(り)】: 神社建築の一様式。本殿と拝殿とをつなぐ部分を石の間とし、その屋根が本殿・拝殿の屋根から作りつけられて両下まやであるもの。上から見ると屋根の棟木がエの字形をしている。のちの権現ごんげん造りの原型で、京都北野天満宮が代表例。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

 

 

■「甘南美」と「神奈備」■

 「甘南美寺」の「甘南美」はどちらかと言うと「神奈備」がほとんどであった。

「かむなび」を検索してみると、「かむなび【神奈備】名詞:神が天から降りて来てよりつく場所。山や森など。『かみなび』『かんなび』とも。」(学研)とある。

 また、「かむなびやま」で検索してみると、「かむなびやま【神奈備山】名詞:神の鎮座する山。『かみなびやま』『かんなびやま』とも。 ⇒参考:三諸(みもろ)山(今の奈良県高市郡明日香(あすか)村)と三室(みむろ)山(今の奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町)が有名で、その別名として多く用いられた。」(学研)とある。

 神に関連したり神社名に多く見られる。

 お寺の場合は、さすがに「神」は使わず、「甘南美寺」、「甘奈備寺」が多い。神社では「甘南備神社」「甘南比神社」と書くのもある。

 

 

厚見王舎人親王

厚見王(あつみおう/あつみのおおきみ、生没年不詳)は、「奈良時代の皇族・歌人。知太政官事・舎人親王の子とする系図がある。官位は従五位上少納言。」(weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)とある。

舎人親王(とねりしんのう)を見てみると、「676〜735 奈良時代の皇族。『日本書紀』編修の最高責任者。天武天皇の第3皇子。母は天智天皇の皇女親田部皇女。淳仁天皇の父。『日本書紀』の編纂にあたり,720年これを完成。同年藤原不比等の死後,知太政官事として国政に参与した。死去に際し太政大臣を贈られ,淳仁天皇即位時(759)に崇道尽敬皇帝の号を贈られた。」(コトバンク 旺文社日本史事典 三訂版)とある。

 

 

■甘南美寺の起源■

山県市観光協会事務局HP「はじめての山県市めぐり」の「その起源は伊勢国から始まった!観音様が導いた不思議な逸話。」につぎのように書かれている。

「伊自良湖畔にある、臨済宗妙心寺派の寺院『甘南美寺(かんなみじ)』。このお寺の起源に関して、日本昔ばなしにもなったこんな逸話が存在します。

時は鎌倉時代、とある行者夫婦が伊勢国で授かった観音様を安置する場所を探していました。二人が故郷である美濃国山県郡釜ヶ谷(現在の釜ヶ谷山)に登った際、山頂付近で休憩をしたとき急に観音様が動かなくなってしまい、二人はそのままそこに観音像を祀ることにしました。

その後しばらく経った夜、伊勢国の漁師が漁をしていると、美濃国方面から眩しい光が海を照らしてきて全く魚が獲れなくなります。その光の原因を探るべく漁師が美濃国に向かうと、その光が釜ヶ谷の観音像から発せられていることを突き止めました。

その話を聞いた伊自良村の人々と漁師が、一緒になって観音様を麓に下ろした場所が現在の甘南美寺の起源と伝えられています。その後1570年(永禄13年)頃、その場所に『白華山 甘南美寺』が創建され、観音像があった釜ヶ谷山頂付近には奥の院(甘南備神社ともいう)が現存しています。」

 

 

■苔生した万葉歌碑と完全に洗われた万葉歌碑■

 万葉歌碑巡りにあたっては、現地での探索時間を短縮すべく、歌碑のある場所をできるだけ特定するようにしている。ストリートビューで位置を確認したり、先達のブログをできるだけ見て見当をつけるようにしている。

 この「甘南美寺」の歌碑もブログ(ryujiさん)「 万葉の世界を訪ねて 後編 (リニューアル編)」を読ませていただきました。歌碑の写真も掲載されていましたので参考にさせていただきました。苔生した歌碑の写真と「厚見王」の文字をアップさせた写真があり、時代を感じる風格があった。

 驚いたことに、苔一つなく文字もはっきりと読めるすっぽんぽんの歌碑があり、一瞬何かの都合で作り直したのかと思ったが、写真を対比すると、恐らくきれいに洗ったのではないかと思われる歌碑であった。

 読みづらいが苔生した風格のある歌碑が良いのか、文字が読めきれいに洗われた歌碑が良いのか、皆さんはどう思われますか。

 

                                                            

歌碑一つとっても何か面白い出来事に出くわす楽しみもある歌碑巡りである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「コトバンク 旺文社日本史事典 三訂版」

★「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「はじめての山県市めぐり」 (山県市観光協会事務局HP)

★「山県市の魅力発信 やまなび」 (山県市HP)

★ブログ「 万葉の世界を訪ねて 後編 (リニューアル編)」 (4travel.jpHP ryujiさん)