万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2160)―岡山県―

岡山県

瀬戸内市邑久町尻海 道の駅一本松展望園万葉歌碑(巻十五 三五九八)■

瀬戸内市邑久町尻海 道の駅一本松展望園万葉歌碑(遣新羅使人等)
 20201027撮影

●歌をみていこう。

 

◆奴波多麻能 欲波安氣奴良 多麻能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎和多流奈里

        (遣新羅使人等 巻十五 三五九八)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)は明けぬらし玉(たま)の浦にあさりする鶴(たづ)鳴き渡るなり

 

(訳)ぬばたまの夜は今ようやく明けていくらしい。玉の浦で餌(えさ)をあさる鶴が鳴きながら飛んで行く。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)玉の浦:岡山県玉島あたりか。(伊藤脚注)

(注)あさり【漁り】名詞 ※「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる:①えさを探すこと。②魚介や海藻をとること。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その799)」で紹介している。

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この歌は「遣新羅使人等」の歌であり、次の歌群の一首である。

 

三五九四から三六〇一歌の歌群の左注は、「右八首乗船入海路上作歌」<右の八首は、船に乗りて海に入り、路の上(うへ)にして作る歌>とある。難波津から広島県鞆の浦までの航海上に詠った歌である。

 

 

この三五九八歌の歌碑は、倉敷市玉島 玉島公民館にも立てられている。

倉敷市玉島 玉島公民館万葉歌碑(作者未詳) 20201027撮影

 

 

 

瀬戸内市牛窓 牛窓神社万葉歌碑(巻十一 二七三一)■

瀬戸内市牛窓 牛窓神社万葉歌碑(作者未詳) 20201027撮影

●歌をみていこう。

 

牛窓之 浪乃塩左猪 嶋響 所依之君尓 不相鴨将有

        (作者未詳 巻十一 二七三一)

 

≪書き下し≫牛窓(うしまど)の波の潮騒(しほさゐ)島(しま)響(とよ)み寄(よ)そりし君は逢はずかもあらむ

 

(訳)牛窓の波の潮鳴りが島中に鳴り響くように、噂高く私との仲を言い寄せられたあの方に、ずっと逢えもしないでいることであろうか。

(注)牛窓岡山県瀬戸内市牛窓町(伊藤脚注)

(注)上三句は噂が知れ渡ることへの譬喩。(伊藤脚注)

(注)よそる【寄そる】自動詞:①自然と引き寄せられる。なびき従う。②うち寄せる。③異性との噂(うわさ)を立てられる。(学研)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その800)」で紹介している。

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岡山県倉敷市児島駅西口広場万葉歌碑(巻六 九六六・九六七)■

児島駅西口広場万葉歌碑(娘子ならびに大伴旅人) 20201027撮影

●歌をみていこう。

 

◆倭道者 雲隠有 雖然 余振袖乎 無礼登母布奈

        (娘子 巻六 九六六)

 

≪書き下し≫大和道(やまとぢ)は雲隠(くもがく)りたりしかれども我(わ)が振る袖をなめしと思(も)ふな

 

(訳)大和への道は雲の彼方にはるばる続いております。しかしあなたがその向こう遠くへ行ってしまわれるのにこらえきれずに振ってしまう袖、この私の振る舞いを、どうか無礼だとお思い下さいますな。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しかれども:しかし遠くへ行ってしまわれる悲しみに堪えきれずに。(伊藤脚注)

(注)なめし 形容詞:無礼だ。無作法だ。(学研)

 

 

◆日本道乃 吉備乃兒嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香聞

        (大伴旅人 巻六 九六七)

 

≪書き下し≫大和道(やまとぢ)の吉備(きび)の児島(こしま)を過ぎに行かば筑紫(つくし)の児島(こしま)思ほえむかも

 

(訳)大和へ行く道筋の、吉備の児島を通り過ぎる時には、筑紫娘子(をとめ)の児島のことが思われて仕方がないだろうな。(同上)

(注)吉備の児島:岡山市南方の海上にあった島。(伊藤脚注)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その801)」で紹介している。

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 大伴旅人の九六七歌の歌碑は、岡山市南区西紅陽台 干拓記念碑の側にも立てられている。

岡山市南区西紅陽台「干拓記念碑」側の万葉歌碑(大伴旅人) 20221111撮影

 この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1991)」で紹介している。この稿では、九六五~九六七歌についても紹介している。

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倉敷市真備町 マービーふれあいセンター万葉歌碑(巻二 一二三・一二四)■

倉敷市真備町 マービーふれあいセンター万葉歌碑(三方沙弥、園臣生羽娘子)
 20221111撮影

●歌をみていこう。

 

 一二三から一二五歌の題詞は、「三方沙弥娶園臣生羽之女未経幾時臥病作歌三首」<三方沙弥(みかたのさみ)、園臣生羽(そののおみいくは)が女(むすめ)を娶(めと)りて、幾時(いくだ)も経ねば、病に臥(ふ)して作れる歌三首>である。

 

◆多氣婆奴礼 多香根者長寸 妹之髪 此来不見尓 掻入津良武香  <三方沙弥>

       (三方沙弥 巻一 一二三)

 

≪書き下し≫たけばぬれたかねば長き妹(いも)が髪(かみ)このころ見ぬに掻(か)き入れつらむか

 

(訳)束ねようとすればずるずると垂れ下がり、束ねないでおくと長すぎるそなたの髪は、この頃見ないが、誰かが櫛(くし)けずって結い上げてしまったことだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)  

(注)たく【綰く】他動詞:①髪をかき上げて束ねる。②舟を漕(こ)ぐ。③(馬の手綱(たづな)を)あやつる。「だく」とも。 ※上代語。(学研)ここでは①の意

(注)ぬる 自動詞:ほどける。ゆるむ。抜け落ちる。(学研)

(注)つらむ 分類連語:①〔「らむ」が現在の推量の意の場合〕…ているだろう。…たであろう。▽目の前にない事柄について、確かに起こっているであろうと推量する。②〔「らむ」が現在の原因・理由の推量の意の場合〕…たのだろう。▽目の前に見えている事実について、理由・根拠などを推量する。 ⇒注意:「つ」はこの場合は、確述(強意)を表す。  ⇒なりたち:完了(確述)の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「らむ」(学研)ここでは①の意

 

 

◆人皆者 今波長跡 多計登雖言 君之見師髪 乱有等母  <娘子>

       (園臣生羽娘 巻一 一二四)

 

≪書き下し≫人皆(みな)は今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも 娘子

 

(訳)まわりの人びとは皆、もう長くなったとか、もう結い上げなさいとか言いますけど、あなたがご覧になった髪ですもの、どんなに乱れていようと、私はそのままにしておきます。(同上)

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1992)」で紹介している。

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岡山県笠岡市神島 天神社万葉歌碑(巻十五 三五九九)■

笠岡市神島 天神社万葉歌碑(作者未詳) 20201027撮影

●歌をみていこう。

 

◆月余美能 比可里乎伎欲美 神嶋乃 伊素末乃宇良由 船出須和礼波

         (作者未詳 巻十五 三五九九)

 

≪書き下し≫月読(つくよみ)の光を清み神島(かみしま)の礒(いそ)みの浦ゆ船出(ふなで)す我(わ)れは

 

(訳)お月さまの光が清らかなので、それを頼りに、神島の岩の多い入江から船出をするのだ、われらは。(同上)

(注)つくよみ【月夜見・月読み】名詞:月。「つきよみ」とも。(学研)

(注)神島:備後(きびのみちのしり)広島県東部 ※巻十三 三三三九歌の題詞に「備後の国の神島の浜にして」とある。

 

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岡山県笠岡市神島外浦 日光寺万葉歌碑(巻十三 三三三九、三三四三)■

笠岡市神島外浦 日光寺万葉歌碑(調使首) 20201027撮影

●歌をみていこう。

 

◆玉桙之 道尓出立 葦引乃 野行山行 潦 川徃渉 鯨名取 海路丹出而 吹風裳 母穂丹者不吹 立浪裳 箟跡丹者不起 恐耶 神之渡乃 敷浪乃 寄濱部丹 高山矣 部立丹置而 汭潭矣 枕丹巻而 占裳無 偃為君者 母父之 愛子丹裳在将 稚草之 妻裳有将等 家問跡 家道裳不云 名矣問跡 名谷裳不告 誰之言矣 勞鴨 腫浪能 恐海矣 直渉異将

         (調使首 巻十三 三三三九)

 

≪書き下し≫玉桙の 道に出(い)で立ち あしひきの 野(の)行(ゆ)き山行き にはたづみ 川行き渡り 鯨魚(いさな)取(と)り 海道(うみぢ)に出でて 吹く風も おほには吹かず 立つ波も のどには立たぬ 畏(かしこ)きや 神の渡りの しき波の 寄する浜辺に 高山を 隔(へだ)てに置きて 浦ぶちを 枕にまきて うらもなく 臥(ふ)したる君は 母父(おもちち)が 愛子(まなご)にもあらむ 若草(わかくさ)の 妻もあらむと 家問(と)へど 家道(いへぢ)も言はず 名を問へど 名だにも告(の)らず 誰(た)が言(こと)を いたはしとかも とゐ波の 畏(かしこ)き海を 直(ただ)渡りけむ

 

(訳)旅道に出で立って、野を行き山を行き、川を渡り海道に乗り出して、吹く風も並には吹かず、立つ波ものどかには立たない、恐ろしい神の支配する難所の、立ちしきる波のうち寄せる浜辺に、高い山を壁代わりにし、入江の岸を枕にして、何も気にかけずに臥せっている君、この君は、母や父のいとしい子なのであろう。かわいい妻もいるであろう。なのに、家を尋ねても家道も言わないし、名を問うても名さえも明かさない。いったい、どなたとの約束を気にして、うねり波の恐ろしい海なのに、そんな所をまっすぐに渡って来たのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。※「おぼなり」とも。上代語。

(注)のどなり 形容動詞:穏やかだ。(学研)

(注)しきなみ【頻波・重波】名詞:次から次へと、しきりに寄せて来る波。(学研)

(注)浦ぶちを 枕にまきて:岸辺からすぐ深みになっている入江の際に臥せっている様。

(注)うらもなし【心も無し】分類連語:①何気ない。無心である。くったくがない。②隔てがない。隠し立てがない。なんの遠慮もない。 ※「うら」は心の意。 ※※ なりたち名詞「うら」+係助詞「も」+形容詞「なし」(学研)

(注)いたはし【労し】形容詞:①苦労だ。②病気で苦しい。③大切にしたい。いたわってやりたい。④気の毒だ。痛々しい。(学研) ここでは③の意

(注)とゐなみ【とゐ波】名詞:うねり立つ波。(学研)

 

 短歌(三三四三歌)もみてみよう。

 

◆汭浪 来依濱丹 津煎裳無 偃為公賀 家道不知裳

       (調使首 巻十三 三三四三)

 

<書き下し>浦波(うらなみ)の来(き)寄(よ)する浜につれもなくこやせる君が家道(いへぢ)知らずも

(訳)浦波のしきりに押し寄せて来る浜辺に、何の思いもなく臥せっている君、その君の家道もわからない。(同上)

(注)つれもなし 形容詞:①なんの関係もない。ゆかりがない。②冷淡だ。つれない。※「つれ」は関係・つながりの意。(学研) ここでは、「無表情に」といったニュアンス

 

 

 

前述の三五九八歌(玉島公民館)、一二三・一二四歌(マービーふれあいセンター)、三五九九歌(天神社)、三三三九・三三四三歌(日光寺)の歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その802~804)」で紹介している。

➡ こちら

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」